2026.09.28
小野 鎭
一期一会 地球旅 432 フランス逍遥(2) 南仏・ニースにて2
一期一会・地球旅 432
フランス逍遥(2) 南仏・ニースにて②
ニースで明確な記憶があるのは、1997年、盗難に遭ったこと。重度障がいのある方などへのサービスを行っておられる施設の有志の方々を案内して、画家アラン・ボヌール氏の出身地、フランス中西部のリモージュに行き、その後、リヨンを経てニースに至った。2泊して中の一日、モナコ観光を予定しており、ホテル前に駐車していた貸切バスに皆さんを案内した。この時、私はリュックサックを運転台のハンドル前のダッシュボードの上に置いてホテルの玄関まで皆さんを呼びに行き、歩行不自由な方をおぶって座席まで案内した。そして、リュックサックを取りに運転台まで戻った。そこで、愕然とした。ザックが無かった!団員の誰かがお預かり下さっているかもしれないと尋ねてみたがどなたもご存じなかった。この時は、ドライバーはバスから降りて、前のバスのドライバーと何やら冗談を言い合っていたようであった。つまり、運転台は無人であった。ホテルはニースの目抜き通りであるプロムナードのコーナーにあたる部分にあり、通りの向かい側は広い公園になっている。後で気づいたことだが、この公園のベンチなどでは、旅行者を狙って「その道の達人たち」が隙をうかがっていたらしい。完全に私は格好のカモであったに違いない! ザックには、この日の夕食会などのためにかなりの金額を現地通貨(この時は、まだユーロではなく、フランスフラン)に替えてあった。また、旅行者小切手少々とクレジットカード、愛用のペンタックスの一眼レフカメラなどが入れてあった。自分の馬鹿さ加減が情けなく、頭の中が真っ白になった感じであった。一行の代表であるU様に盗難に遭ったことを報告し、急ぎ善後処理をしなければならず、当日の現地ガイドにこの日のお世話とその後の自由行動について、必要な案内をしておいていただきたい、と頼んだ。
ホテルの部屋に戻って、会社に国際電話で盗難に遭ったことを報告し、応急処理に当たることについての了承を得た。警察への盗難届と必要な書面の発行、アメックスでクレジットカードの盗難届と旅行者小切手の再発行願い。問題は旅券に替わる「帰国のための渡航書」の発行である。これは在仏日本国総領事館への出頭が必要であり、ニースの場合は、マルセーユであった。両都市間は、約180kmあり、鉄道があるが、火急の場合は、クルマの方がいいと判断し、タクシーを借り切ることにした。鉄道よりはるかに高額になるが、ここは時間との勝負であった。マルセーユまではドライバーに聞くと多分2時間半くら い?だという。当時、イギリスの作家ピーター・メイルの「南仏プロヴァンスの12か月」などプロヴァンス地方に関する著作が人気で、プロヴァンスは旅行先としてとても人気があった。この地方の明るい青空と自然、何よりも現地の人々とのふれあいの楽しさが話題となっていた。しかし、この日、マルセーユに向かう私にとっては、何とも陰鬱な気分であった。3時間近い車中でドライバーは私の窮状を察して元気づけようとあれこれ話してくれたがフランス語は多くは聴き取れず、何ともやりきれない思いとあまりにお粗末な自分の失態がとにかく情けなかった。
当時は、海岸近くにあった領事館に到着して、窓口で事情を隠さず説明した。領事は昼休みを返上して親切に応対して下さり、旅券に替わる必要書類を発行していただき、思わず三拝九拝! そして、ニースまでまたタクシーで急いだが、帰りは思わず気が緩み、眠り込んでしまった。午後4時頃であっただろうか、ホテルに到着。代表のU様に報告すると我がことのように、喜んで下さり、メンバーから集められた見舞金としてお心遣いを賜り、「地獄に仏」とはこういうことを指すのかもしれないと胸の中が熱くなった。この日の夕方は、仕上げの夕食会。ニースの町から少し離れたヴィルフランシュ半島のフェラ岬突端にある5つ星Grand Hotel du Cap Ferratのこれもミシュランの星が付けられたレストランであった。暮れなずむ夕日が岬の向こうでBaie des Anges(天使の湾)に落ち、テーブルには淡いランプが灯され素晴らしい夕食に、朝からの一連の動きを振り返りながら味わったことが懐かしく思い出される。
海に面した豪華ホテルのレストランで夕食を楽しんだ記憶のほかにもう一つ、これは地中海を見下ろす山の上でのレストランの思い出。ニースからモナコに至る三本の道のうち、山の中腹を走る国道から、曲がりくねった坂道を走っていると途中に「Eze」という標識が立っている。矢印に沿って曲がりくねった坂道を登っていくと小さな集落があり、遥か岩山の上の方へと建物が続いている。古い村で、ルーツは古代ローマ時代に遡るそうであり、村の中央部に建っている教会の周囲に集落が広がって行ったらしい。フランスやイタリアの地中海沿岸では海岸から急に険しい岩山となっ ているところが多く、山の中腹から山頂部分にかけて集落が作られており、鷹の巣村(Village perché)と呼ばれている。古代ローマ時代、北アフリカから攻めてきた海賊や敵の襲撃から身を守るために海岸ではなく、険しい山頂部分などに集落が築かれていった。(塩野七生 ローマ亡き後の地中海世界、等) このEzeはその代表例の一つで地中海を見下ろす絶壁上にあり、もっとも有名な鷹の巣村の一つと紹介されている。
この集落にあるのがla Chèvre d'or (金の山羊)という名のホテル&レストラン。中世の城が1920年代に改築され、そこを拠点としている。1950年代に美食レストランとなり、その後、周辺の建物を買い上げるなどして個別の部屋へと改装していったとのこと。レストランは1975年にミシュランの1つ星、2000年には二つ星を獲得して今日に至っていると案内がある。カンヌ国際映画祭の期間中は、俳優や映画監督などなどが頻繁に訪れる場所ともなっているとある。スイートルームにはこの村やここに滞在した著名人の名前が付けられており、フリードリッヒ・ニーチェやジャン・コクトーの名前もある。哲学者ニーチェは、健康療養を求めてこの地にも滞在しており、海岸からエズの村に至る山道はChemin de Nietzsche (ニーチェの道)と名付けられている。
私がこのレストランを訪れたのは1971年、全日本司厨士協会主催のヨーロッパのレストラン訪問見学ツアーの添乗であった。実はこのグループが出かけられるまでには紆余曲折があったがそれは後で書かせていただくとして、フランスのほかに英国、デンマーク、ドイツ、スイスなどを廻ったことが添乗記録に残っている。コペンハーゲンでは、オープンサンドイッチ(スモーレブロ)のオスカー・デービドソン、ロンドンではローストビーフで有名なシンプソン、スイスでは首都ベルンのベルビューパラスのダイニングルームでアルプスの山々を遠望しながらコース料理をいただいたことが思い出される。ニースではネグレスコホテルのダイニングルームでの試食のほか、エズのシェヴ・レ・ドールは航空会社の案内か何かで知った情報をもとにフランス航空の営業マンを通して訪問許可を取り付けたと思う。
実際に訪れたエズの集落は、険しい岩山の上に建物が点在しており、麓の国道から少し入ったところでバスを降り、あとはひたすら急な坂道だった。この時のグループは有名レストランのシェフであるとか、営業部長、料理学校の講師やお弟子さんなど25名、そして団長は司厨士協会の会長であり、某レストランのオーナーであった思う。スーツ姿や女性は和服を召された人も多く、時は8月中旬、レストランまでの坂道は汗だくの難行であった。やっとレストランに着くと庭先には美しい花々が咲き乱れ、噴水が涼しさを感じさせていた。そして、何よりもの圧巻は、これまで歩いてきた集落の屋根や半島の向こうにはニースからカンヌ方面へ美しい風景が続き、思わず歓声が上がった。あの厳しい坂道で流した汗が心地よい風で拭われる思いであった。
シェフの歓迎のあいさつとさわやかで美しいピンクのシャンペンはその名もUrine de Chèvre = 山羊のおしっこというユニークな名前であったような気がする。洗練された空間と文字通り紺碧の海岸コート・ダ・ジュールの絶景、羊をベースにした料理だったと思うが2時間余りの食事は何とも優雅で素晴らしいひと時であった。私たちが訪れて数年後、このレストランはミシュランの一つ星を得たが、2000年には、さらに二つ星を獲得して今日に至っていることが紹介されている。今の地図を見ると国道から少し入ったところにこのレストラン/ホテルのヴァレット(送迎)とあるので、小型車などで案内してもらえるのだろう。今では食事だけでもかなりの金額であろうと思うが、それは下世話な話。(以下、次号)
《資料》
・レストラン/ホテル ラ・シェヴ・レ・ドール:la Chèvre d'or案内より
・鷹の巣村(Village perché):塩野七生著 ローマ亡き後の地中海世界、他
《写真・上から順に》
・ニース・メリディアンホテル(1997年、盗難に遭った):2014年 筆者撮影
・ピーター・メイル著「プロヴァンスの12か月」:河出書房
・グランド・ホテル・ドゥ・キャプ・フェラのレストランにて:1997年6月
・エズの集落:French Momentsより
・ニーチェの道(Chemin de Nietzsche):SNCF資料より
・Eze le Col (エズ峠へ):Rendez vous Nationale 7資料より
・レストラン/ホテル ラ・シェヴ・レ・ドール(屋根の上に金の山羊):la Chèvre d'or案内より