第1日目、チューリヒ経由でニースに入った。空港名は、コート・ダジュール空港。何とも幸先の良い滑り出しであった。この日は予め頼んであったハイヤーで空港からホテルに向かった。この旅行ではホテルや観光、有名レストランなどは各所ともそれまでフランス観光ミッションなどで来日していた観光事務所やホテル・レストラン関係者を通じて直接予約してあった。ニースは目抜き通りのPromenade des Anglaisに面したWest End Hotel、これも英国風の名前。調べてみると1842年開業とあり、セミ・クラシックな造りであった。老舗のネグレスコやメリディアンクラスまでは手が届かないし、そこまで豪華にする必要もなかったが私たちが泊まったこのホテルもいわゆるベイビューの部屋はご機嫌であった。
到着日は無理をせず早めに休み、翌日、最初の仕事は市内、それもホテルからすぐ近くにあるコンベンション・ビューローに行き、いろいろ心を配ってくれた担当者への挨拶、そしてニースの旧市街とシャトー(La Château de Nice)と呼ばれる城址公園などを廻るツアーバスを紹介してくれた。シャトーは旧市街から少し東へ寄った小高い丘の上にある城址、丘の上からの眺めは市街からBaie des Anges(天使の湾)に のぞむ沿岸一帯は見事な風景であった。次いで市内にあるレンタカー事務所へ行き、クルマを借り出すことであった。予約は息子が準備していたので書類に必要事項を書き込み、サインをして保険料などを払い、車のキーをもらって近くの駐車場に行って車を出すことであった。近くには警察署があり昔、盗難に遭って最初に飛び込んだのが多分この警察署であったかもしれない。前回、ドイツではベンツであったが、今回はフランスであり、シトロエンのステーションワゴン。5人乗りで後部の荷物置きスペースが広く、快適そうであった。駐車場に行って感じたことは駐車スペースが極端に狭く、ドアを開けて運転台までは文字通り、もぐりこむといった具合であった。
この日はモナコ見物を予定しており、海岸通りを走って東へ向かった。ニースからモナコへ向かうには海岸と背後の丘の中腹、さらにその上の高台を走る国道の3通り、その奥にはさらにオートルート(高速道路)がある。海岸にそって幾度も曲がりくねった道には、レストランやアパート、ホリディホームとでもいうのだろうかバカンス客や長期滞在者向けのアパートタイプの建物が並んでいた。途中、サンジャン・キャプ・フェラ半島の付け根を通り抜けたがこの半島の突端、フェラ岬にはHotel Grand Cap Ferratがあり、1997年、盗難に遭ったその日の夕方、このホテルのレストランで夕食をしたことを思い出した。ニースでの盗難事件は自分にとっては痛恨の不祥事であり、何年経っても忘れられない苦い思い出である。そんな記憶が脳裏を廻っているうちにモナコの国へ入って行った。
モナコ公国は面積2㎢、人口4万人、よく言われることだがバチカン市国に次いで世界で二番目に小さな国である。現在はアルベール2世大公(Albert Ⅱ de Monaco)が君主。19世紀後半、モンテカルロ・カジノがオープン、パリとの鉄道も開通し経済発展が加速された。温暖な気候と美しい景観、ギャンブル施設の充実などから観光地と富裕層の保養地としての地位を確立してきた。近年では、金融業がさらに栄え、サービス業や小規模で高付加価値の無公害産業に経済の多様化を図っている。モナコは、所得税が無く、事業税も低く、タックス・ヘイブンとしても有名である。