2026.10.12 小野 鎭
一期一会 地球旅 434 フランス逍遥(4) 南仏・ニースにて3
一期一会・地球旅 434 
フランス逍遥(4) 南仏・ニースにて③ 

2011年ドイツ~オーストリアに続けて2014年、家族(家人と息子、私)でフランスに行った。ニースからプロヴァンスそしてカルカッソンヌ。最後にパリを訪れたがこれが最後のヨーロッパでもあった。フランス南部、スペインとの国境に近いカルカッソンヌは家人の強い希望であった。もちろん、私自身も興味があったがそれ以上に家人の願いが大きかった。彼女が通っていた英会話サロンの講師は旅行経験も豊富でフランスの大西洋岸の港町や城塞都市に興味を持っておられ、とりわけカルカッソンヌは是非行ってらっしゃいと推薦されたらしい。息子は、パリでフランスの音楽家や作家などの墓に詣でたいと希望していたが、それ以外は私たち夫婦に賛成していた。多分、親孝行の気持ちが大きかったのであろう。この時も、レンタカーで廻ることにして、息子が運転し、私は専ら地図を見てナビゲーターを務めることにした。もちろん、自分も国際免許は取得していったが前回ドイツではやっとベンツを駐車場から外に出したがそれでお手上げ。欧州人は概してマニュアル車が好きらしく、私は、と言えばすっかりオートマ車に慣れており、マニュアル車で左ハンドルとなると自分はほとんどペーパードライバーでしかなかった。
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第1日目、チューリヒ経由でニースに入った。空港名は、コート・ダジュール空港。何とも幸先の良い滑り出しであった。この日は予め頼んであったハイヤーで空港からホテルに向かった。この旅行ではホテルや観光、有名レストランなどは各所ともそれまでフランス観光ミッションなどで来日していた観光事務所やホテル・レストラン関係者を通じて直接予約してあった。ニースは目抜き通りのPromenade des Anglaisに面したWest End Hotel、これも英国風の名前。調べてみると1842年開業とあり、セミ・クラシックな造りであった。老舗のネグレスコやメリディアンクラスまでは手が届かないし、そこまで豪華にする必要もなかったが私たちが泊まったこのホテルもいわゆるベイビューの部屋はご機嫌であった。
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到着日は無理をせず早めに休み、翌日、最初の仕事は市内、それもホテルからすぐ近くにあるコンベンション・ビューローに行き、いろいろ心を配ってくれた担当者への挨拶、そしてニースの旧市街とシャトー(La Château de Nice)と呼ばれる城址公園などを廻るツアーバスを紹介してくれた。シャトーは旧市街から少し東へ寄った小高い丘の上にある城址、丘の上からの眺めは市街からBaie des Anges(天使の湾)に のぞむ沿岸一帯は見事な風景であった。次いで市内にあるレンタカー事務所へ行き、クルマを借り出すことであった。予約は息子が準備していたので書類に必要事項を書き込み、サインをして保険料などを払い、車のキーをもらって近くの駐車場に行って車を出すことであった。近くには警察署があり昔、盗難に遭って最初に飛び込んだのが多分この警察署であったかもしれない。前回、ドイツではベンツであったが、今回はフランスであり、シトロエンのステーションワゴン。5人乗りで後部の荷物置きスペースが広く、快適そうであった。駐車場に行って感じたことは駐車スペースが極端に狭く、ドアを開けて運転台までは文字通り、もぐりこむといった具合であった。 

この日はモナコ見物を予定しており、海岸通りを走って東へ向かった。ニースからモナコへ向かうには海岸と背後の丘の中腹、さらにその上の高台を走る国道の3通り、その奥にはさらにオートルート(高速道路)がある。海岸にそって幾度も曲がりくねった道には、レストランやアパート、ホリディホームとでもいうのだろうかバカンス客や長期滞在者向けのアパートタイプの建物が並んでいた。途中、サンジャン・キャプ・フェラ半島の付け根を通り抜けたがこの半島の突端、フェラ岬にはHotel Grand Cap Ferratがあり、1997年、盗難に遭ったその日の夕方、このホテルのレストランで夕食をしたことを思い出した。ニースでの盗難事件は自分にとっては痛恨の不祥事であり、何年経っても忘れられない苦い思い出である。そんな記憶が脳裏を廻っているうちにモナコの国へ入って行った。
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モナコ公国は面積2㎢、人口4万人、よく言われることだがバチカン市国に次いで世界で二番目に小さな国である。現在はアルベール2世大公(Albert Ⅱ de Monaco)が君主。19世紀後半、モンテカルロ・カジノがオープン、パリとの鉄道も開通し経済発展が加速された。温暖な気候と美しい景観、ギャンブル施設の充実などから観光地と富裕層の保養地としての地位を確立してきた。近年では、金融業がさらに栄え、サービス業や小規模で高付加価値の無公害産業に経済の多様化を図っている。モナコは、所得税が無く、事業税も低く、タックス・ヘイブンとしても有名である。
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この日は、カジノ前の広場にあるカフェ・レストランでサンドイッチとジュースなどの飲み物を摂り、3人で60ユーロ(8千円強)であったと思う。テーブルに座って注文しているのでサービス料も加算されていることは分かるがそれにしても物価の高いことに驚いた。その後、海に面した日本庭園で一休み。次いで大公宮殿前に行きモンテカルロ港などを眺めた。1966年、初めてヨーロッパへの添乗をしたときから数回ニースに来ているのでその都度、モナコにも来ていると思うがこの場所からしみじみこの風景を眺めたことはなかったような気がする。グレース公妃は、1982年9月13日に自ら運転していた自動車でモナコに戻る途中、脳梗塞を発症して急カーブの坂道でガードレールに激突、崖から転落して自動車は大破、公妃は意識が戻らぬまま、病院で逝去されたとのこと。日本庭園は日本文化に親しみを持っていたグレース公妃の「モナコに日本庭園を造園したい」という願いを夫の大公レーニエ3世が公妃を偲んで庭園の造営に着手して庭園が完成された。設計施工は日本の造園家が担当、山、滝、小川など日本の美しさを見事に表現した8,000㎡の庭園はヨーロッパ初の日本庭園として注目されたという。
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モナコで驚いたことは、駐車スペースが狭いことであった。カジノ前の地下とその後、日本庭園でも地下に駐車して実感したことである。実際の運転は息子がハンドルを握ったが駐車場に入るまでの狭小で曲がりくねった通路、空いていた駐車スペースにクルマを停めて車から出ようとすると隣のクルマとのスペースがほとんどなく、身体を斜めに曲げてフーフー言ってやっと出入りする始末。モナコは平地がほとんど無く、国土そのものが極端に狭く、高層ビルなどが林立しているので駐車場そのものも狭いのかも、と息子とぼやきながら外へ出た。ニースに戻り、夕食を兼ねてニースの旧市街の盛り場に行き、駐車場に入ったが駐車スペースがここでも極小。これはその後もずっと経験することであった。(以下、次号) 

《資料》 
・モナコ公国:Wikipedia 
・モナコ・日本庭園:株式会社 別府梢風園 & Wikipedia 

《写真、上から順に》 
・ニース、ホテルの朝:2014年10月 筆者撮影 
・ニース・シャトー(城址公園)から望むニース市街:2014年10月 筆者撮影 
・モナコ・モンテカルロカジノ前広場:2014年10月 筆者撮影 
・モナコ・日本庭園:2014年10月 筆者撮影 
・モナコ公国 宮殿前広場から見たモンテカルロ港:2014年10月 筆者撮影