2026.09.21 小野 鎭
一期一会 地球旅 431 フランス逍遥(1) 南仏・ニースにて1
一期一会・地球旅 431 
フランス逍遥(1) 南仏・ニースにて①
image.png
幾度も書いて恐縮ですが、初めてのヨーロッパは1966年ということで今から60年前。イギリス・ロンドンから~ベルギー~西ドイツ~スイス~イタリア~フランス、パリから帰国。その後、ヨーロッパへは130回くらい行っていると思うが、最後のパリが2014年10月。それ以後の海外は、アメリカ、台湾、カナダのみであり、パリはこの時が最後であったことになる。海外で一番多く行ったことのある町はパリで、111回目であったと思う。現業時代、よく聞かれたことは、「どこが良かったですか?」 ということであり、答えるのに窮した。そして、妙な答え方であるが、「どこもみんなよかったような気がします、自分は旅行先についていえば、惚れっぽいので、行くところ、行ったところみんなよかったような気がします・・でも、強いて言えば、料理ならば、フランスかイタリア、景色ならスイス、大自然であればカナダやアメリカでしょうか・・・」などと答えたような気がする。偶然であるが、最初のヨーロッパの最終地がパリであり、最後のヨーロッパの最終地もそうであった。そして、「こじつけ」のようで申し訳ないが、最初のフランスで最初に入ったのがニース、1966年11月下旬であった。そして、最後に訪れたフランスで最初に着いたのはこれもニースで、2014年10月2日だった。そこで、しばらくフランスでの思い出について書いてみたい。フランスと言えばパリが圧倒的に多いが、他にも少ないながら南仏はニースやプロバンスなどでの思い出もある。そこでニースから始めてみたい。 
前置きが長くなったが、1966年11月8日、羽田を発って北回り、アンカレッジ経由ロンドンに入り、ドーヴァー海峡を渡って、ベルギーのオステンドから貸切バスでブリュッセル、西ドイツ~スイス~イタリアはナポリからローマへ戻り、ピサからジェノアへ。イタリア最大の港町であり、アメリカ大陸を発見した(実際は、カリブ海に浮かぶ島であり、やがて西インド諸島と呼ばれるようになったが)コロンブスの出身地。もう一つは、クオレの「愛の学校」の中にある「母をたずねて三千里」の主人公マルコが母をたずねてアルゼンチンに向かうため出港したのがジェノアの港であった。そんな漠然とした予備知識でジェノアに宿泊、翌日、ひたすら地中海(リグリア海)の海岸を西へ走り、サンレモ を経てフランスへ。すぐにモナコ公国を通り抜けて夕方ニースに入った。今になって妙に新たな印象が出てくるのは、F.フォーサイスの原作になる映画「ジャッカルの日」(1973年公開、フレッド・ジンネマン監督)で主人公がジェノアから車でフランスに入るとき通過した伊仏国境のヴェンティミリアからフランスへの入国審査の息詰まるシーン。自分たちも同じところでフランスに入っており、もっと簡単ではあったが同じように検査を受けており、映画で見た様子が生々しく思い出される。
image.png
モナコから西へかけての南仏海岸はコート・ダ・ジュール(紺碧の海岸)と呼ばれているが、イタリア側の景勝地サンレモなどを含めた美しい海岸はイタリアン・リヴィエラと呼ばれている。バスではなく、ローマからニースまで夜行列車で走り抜けたこともあるが、リグリア海を望む風景はどこも見事だったと記憶している。とりわけ、サンレモ一帯は美しく、毎年、音楽祭で知られたところでもあった。1950年代から60年代にかけてアメリカのジャズなどはもちろん、フランスのシャンソン、そして、イタリアのカンツォーネもラジオからよく流れてくる「西洋音楽」であった。ドメニコ・モドゥーニョの「ボラーレ」は、半世紀以上過ぎた今でも聞かれるイタリアのメロディーとして知られていると思う。1964年のサンレモ音楽祭では、ジリオラ・チンクェッティが優勝し、「夢みる想い」(Non ho l'età)は日本でもずいぶん流行ったし、「ノ・ノ・レタ♪」と繰り返し口ずさんでいたことが懐かしい。 

以前にも書いたが、この時のグループは145名、4人の添乗員が付き、その内の一人が私だった。西ドイツの会社の貸切バス3台、それぞれに46~7名、25日間のツアーであった。ホテルは一つに納まったのは、多分、ロンドン、ローマ、パリの三大都市のみであとは2か所、最大6か所の分宿であり、移動するごとに毎朝、各ホテルに分かれて泊まる人数と名前が読み上げられ、旅行鞄もホテル毎に仕分けすることが必要であり、考えただけでも大変な手間であった。翌日、バスの中では、前夜泊まったホテルの良し悪しが話題となり、今夜はどうなんだろうと気にしながら、次の町へ移動したことが思い出される。この時は、スイスの大手のツアー・オペレーターであり、今、考えてもよくもあの大きなグループの手配をしたものだと感心する。ニースも多分、2~3か所に分宿であったと思うが、海岸通りから一つ内側に入ったところにあるホテルであったような気がするが今となっては記憶の彼方である。ニースには2泊した。
image.png
中の一日、モナコ公国への観光であった。入国自体に旅券は不要であったが、カジノを見学することが含まれていたので、上着とネクタイ、旅券携行が必要であった。もう一つの思い出は、アメリカの映画女優グレース・ケリーがモナコのレーニエ3世大公と1955年に結婚した。つまり、今様シンデレラ物語として話題になり、日本でも大きく報道されていた。そして、もしかすると、モナコ見学では、グレース公妃に会えるかもしれないなど、胸をときめかせて公宮殿前で記念写真を撮ろうと多くの人が服装を整えていったことが懐かしい。女性は多くの人が和服でおしゃれしていたことも覚えている。残念ながら宮殿入り口には衛兵が立っていて、許可を得た車だけが入って行き、旅券か何か証明書を提示して入っていく人も見かけたが、勿論、観光客である私たちは互いに記念写真を撮り合ったことが思い出される。 
その後、ニースやコート・ダ・ジュール方面は、数回訪れているがあまり確たる記憶はない。ニース以外では、グラースという小さな町、香水作りの本場ということで訪ねたことがある。クリスチャン・ディオールであるとか、イヴ・サンローランなど当時流行っていた有名ブランド名の香水も元はあまり変わりなく製造されてそれが会社ごとにブレンドされ、ブランド名が付けられていくのだと聞いたと思う。よく言われることだが、香水とオーデコロンの違いは、アルコールに溶かした香料の濃度によって分けられており、濃度が高いほど、香りが強く、長く続くという説明であった。オーデコロン(Eau de Cologne)は、「ケルンの水」ということで、ケルンは西ドイツのライン川沿いの大きな都市であり、初めてのヨーロッパでここでも宿泊した。その時の市内見学で現地ガイドから聞いた「Kölnisch Wasser」であり、このことはよく覚えていた。オーデコロンの元祖はドイツだったのだと妙に納得したことを思い出す。ケルン中央駅には、オーデコロンでも名の知れた「4711」が大きく紹介されている。(以下、次号) 

《写真、上から順に》 
・スイス・ミューレン、シルツホルン山頂(海抜2970m)にて:2005年 いやしの旅 
・イタリア・フィレンツェ。現地ガイドの説明で「マイケルアンジェロ」という人名が解らず、苦労した。:1966年 フィレンツェのミケランジェロ広場にて。 
・伊仏国境の出入国管理事務所。:映画「ジャッカルの日」A Day of Jackalより 
・1964年 サンレモ音楽祭 Gigliola Cinquetti in Festival di Sanremo(1964) : Rai Play資料より 
・モナコ公宮殿前広場にて:1966年 
・グラース市:Ville de Grasse (グラース市)資料より 
・ケルン中央駅、オーデコロン「4711」の案内:Wikimedia Commonsより