モナコから西へかけての南仏海岸はコート・ダ・ジュール(紺碧の海岸)と呼ばれているが、イタリア側の景勝地サンレモなどを含めた美しい海岸はイタリアン・リヴィエラと呼ばれている。バスではなく、ローマからニースまで夜行列車で走り抜けたこともあるが、リグリア海を望む風景はどこも見事だったと記憶している。とりわけ、サンレモ一帯は美しく、毎年、音楽祭で知られたところでもあった。1950年代から60年代にかけてアメリカのジャズなどはもちろん、フランスのシャンソン、そして、イタリアのカンツォーネもラジオからよく流れてくる「西洋音楽」であった。ドメニコ・モドゥーニョの「ボラーレ」は、半世紀以上過ぎた今でも聞かれるイタリアのメロディーとして知られていると思う。1964年のサンレモ音楽祭では、ジリオラ・チンクェッティが優勝し、「夢みる想い」(Non ho l'età)は日本でもずいぶん流行ったし、「ノ・ノ・レタ♪」と繰り返し口ずさんでいたことが懐かしい。
その後、ニースやコート・ダ・ジュール方面は、数回訪れているがあまり確たる記憶はない。ニース以外では、グラースという小さな町、香水作りの本場ということで訪ねたことがある。クリスチャン・ディオールであるとか、イヴ・サンローランなど当時流行っていた有名ブランド名の香水も元はあまり変わりなく製造されてそれが会社ごとにブレンドされ、ブランド名が付けられていくのだと聞いたと思う。よく言われることだが、香水とオーデコロンの違いは、アルコールに溶かした香料の濃度によって分けられており、濃度が高いほど、香りが強く、長く続くという説明であった。オーデコロン(Eau de Cologne)は、「ケルンの水」ということで、ケルンは西ドイツのライン川沿いの大きな都市であり、初めてのヨーロッパでここでも宿泊した。その時の市内見学で現地ガイドから聞いた「Kölnisch Wasser」であり、このことはよく覚えていた。オーデコロンの元祖はドイツだったのだと妙に納得したことを思い出す。ケルン中央駅には、オーデコロンでも名の知れた「4711」が大きく紹介されている。(以下、次号)