2025.01.06
あ・える倶楽部
一期一会 地球旅 343 ニュージーランドの思い出(11)オークランド4
一期一会・地球旅 343
ニュージーランドの思い出(11)オークランド④
事前調査で特筆すべきは、オークランド市長にお会いできたことであろう。振り返ってみると、NZ政観(ニュージーランド政府観光局)からの要請でオークランド市に相談が為され、それが関係部署で検討されているうちに、市長の心を動かすことになったらしい。きわめて幸運であったと言えよう。今回、この稿を書くにあたり、当時(1994~5年頃)のオークランド市長について資料(Wikipedia)を開いてみたところ、レズ・ミルズLes Mills, https://en.wikipedia.org/wiki/Les_Mills として、Wikipediaに数ページにわたって紹介がある。実際にお会いしたL.ミルズ市長は、190cm近い偉丈夫。かつては、円盤投げや砲丸投げなど投擲競技の選手でコモンウエルス(英連邦)ゲームやオリンピックにNZ代表として出場し、1960年の夏季オリンピック・ローマ大会では、NZ選手代表・旗手も務められ、1964年の東京大会では円盤投げで入賞していると説明がある。選手生活を終えた後はフィットネスによる健康増進に力を入れ、「レズミルズ・ワールド・オブ・フィットネス」を開設、以後グループエクササイズは世界的な規模で発展していった。今日、レズミルズ・グループ・エクササイズ・プログラムはニュージーランドに本社を置き、世界70か国以上で展開され、週500万人が参加し、約1万2千クラブで導入されていると紹介されている。https://www.lesmills.com/workouts/fitness-classes/
事前調査で特筆すべきは、オークランド市長にお会いできたことであろう。振り返ってみると、NZ政観(ニュージーランド政府観光局)からの要請でオークランド市に相談が為され、それが関係部署で検討されているうちに、市長の心を動かすことになったらしい。きわめて幸運であったと言えよう。今回、この稿を書くにあたり、当時(1994~5年頃)のオークランド市長について資料(Wikipedia)を開いてみたところ、レズ・ミルズLes Mills, https://en.wikipedia.org/wiki/Les_Mills として、Wikipediaに数ページにわたって紹介がある。実際にお会いしたL.ミルズ市長は、190cm近い偉丈夫。かつては、円盤投げや砲丸投げなど投擲競技の選手でコモンウエルス(英連邦)ゲームやオリンピックにNZ代表として出場し、1960年の夏季オリンピック・ローマ大会では、NZ選手代表・旗手も務められ、1964年の東京大会では円盤投げで入賞していると説明がある。選手生活を終えた後はフィットネスによる健康増進に力を入れ、「レズミルズ・ワールド・オブ・フィットネス」を開設、以後グループエクササイズは世界的な規模で発展していった。今日、レズミルズ・グループ・エクササイズ・プログラムはニュージーランドに本社を置き、世界70か国以上で展開され、週500万人が参加し、約1万2千クラブで導入されていると紹介されている。https://www.lesmills.com/workouts/fitness-classes/
L.ミルズ氏は、1990年から98年までオークランド市長を務めておられ、その時代に私たちが訪れたのであった。ゆきわりそうの本部事務所には、オークランド市の紋章の額が飾られていたことを思い出す。
ミルズ市長は、重度の障がい者を核とする「私たちは心で歌う目で歌う合唱団」が平和を訴え、人々の連帯を呼びかけるというコンサート計画の趣旨に賛同して下さった。そして、市内のアオテア・センターを会場として使うことを勧め、その場でセンターへ連絡をして、メインホールを1995年12月9~10日の仮予約をして下さった。Aotea Centre(Maori : Aotea – Te Pokapū)は市の舞台芸術とイベント用の大型ホールで、1990年に正式オープン、ミルズ市長は開館式のテープカットをされている。メインホールは客席が2139席あり、このコンサート計画は、市の公的なプログラムの一つとして扱っていただけることとなり、結果的にはオークランド市後援として(Under the auspice of the City of Auckland)、会場使用料が半額となる旨、連絡があった。このメインホールは、この国出身で世界的なソプラノ歌手Dame Kiri Te Kanawaの名前を冠して2019年に Kiri Te Kanawa Theatreへと改名されている。
一方、オーケストラの指揮者ゲアリー・ディヴァーン(Maestro Gary Daverne)との交渉はむつかしいことが多かった。こちらは主として合唱指導者の新田光信氏と姥山代表が交渉されて私は通訳業務に徹した。彼の主張は、次のようなものであった。1)演奏会の時期がクリスマスに近く、休暇シーズンが始まっている。2)プログラムで言えば、「第九」は、この国では演奏されることは少ないし、市民がそれほど興味を持っているとは思えない。3)1時間余りの第九交響曲をじっくり聴くことはむつかしいだろう。それでは、せっかくのイベント自体が不成功に終わることも想像されるので指揮者としては賛成できない。新田氏は、第九は第1楽章に始まり第4楽章に至って「歓喜の歌」の合唱で平和への訴えと人々の連帯が呼び掛けられて終了すると力説したが、彼は、日本側の主張は理解しながらも賛成しなかった。そこで、この国でもよく聴かれる英国人作曲家エルガーのエグモント序曲などポピュラーな曲を数曲入れ、ほかに日本側の演奏も入れて、第九は第4楽章から演奏し、「歓喜の歌」へ持って行くというアイデアが出された。そして、より聴衆に喜んでもらえるプログラムを編成しよう、ということになり、結果的には、和太鼓の演奏と、外山雄三の「オーケストラのための日本のラプソディ」から「第九の4楽章」ということで落ち着いた。
また、この演奏会ではチャリティとして入場料をいただき、その一部を障害者団体への寄付をすることとしたいという申し出があった。しかしながら、これは私たちが応諾せず、入場料は無料として費用は日本側で全額負担することとして譲らなかった。そこで、会場内に寄付金を受ける箱を準備して、それを全額オークランド近郊の障害者団体へ寄付することに決まった。文化の違いとはこういうことなのか、第九は日本では盛んに演奏されるし合唱も多いが、西欧ではそれほど盛んではない国もあることを知った。むしろ「第九が好きな日本」と言える一面もあるかもしれない。国を越えての交渉とは、自分たちの主張だけでなく相手側のものの考え方や意見をよく聴き、自分たちの願いとの共通点を見出すことや落としどころを知ることなどの大切さを学んだと思う。
一番肝心なコンサートの設営が可能になったことを確認して、在オークランド日本総領事館も訪ねた。コンサート開催の趣旨を説明し、合唱へ向けて現地滞在の日本人や日系の人たちも合唱に加わっていただきたいとか、呼びかけていただきたいとのお願いをした。これについては、広報担当部門で案内していただけるとの協力を約束して下さった。また、宿舎はオークランド・シェラトンとすることで車いす使用者始め障がいのある方への配慮をしていただけるよう申し入れた。これらの基本的な事前準備は、ドイツで初めての演奏会を行ったときの苦労に比べれば、はるかに前進的であり、効率的な進め方であったと思う。ボン演奏会の設営で味わった様々な経験とそれを通じて得たものがニュージーランドで大きく役立った。そして、そのような積み重ねがそれから数年後、ニューヨークや韓国で演奏会を開催するために事務局として飛び回った時に大きく役立ったことを思い出す。
オークランドでの調査と準備の後、ニュージーランドを代表する温泉保養・観光地であるロトルアを訪れた。ここではコンサートで緊張した後のプログラムとして、温泉、観光、牧場での遊覧などを楽しんでもらうようにと様々なアトラクションを検討した。オークランドからロトルアまでは鉄道で2時間余り、列車の旅は大いに楽しんでいただきたい。ロトルアでは、牧場での羊の毛刈りや牧場での遊覧や乗馬体験、なんといっても楽しみは、ポリネシア・スパでの温泉入浴、言ってみれば温泉プール。ぬるめのお湯からかなり高温まであり、ゆったりリラックスしていただけるであろう。また、ロトルアはポリネシア系マオリの人たちの多いところでもあり、彼らのパフォーマンスも加えてもらうことになり大きな期待が持たれた。
さらに、水泳教室のドルフィン・スイミングの現地視察も必要であり、ロトルアからクライストチャーチへ飛び、カイコウラを訪問、これは少し前に紹介したとおりです。(以下、次号)
《写真、上から順に》
・ローマ・オリンピック(1960年)ニュージーランド代表 レズ・ミルズ氏 : Wikipedia
・Les Mills Program 公式案内H/Pの表紙 : Les Mills H/Pより
・オークランド市の紋章 : Coat of Arms of the City of Auckland : Wikipedia
・Kiri Te Kanawa Theatre : Aotea Centre 資料より
・Gary Daverne & Auckland Symphony Orchetra : Gary Daverne のホームページより
・Auckland Sheraton Hotel (1990年代): Archives Auckland より
・ポリネシアン・スパ : Rotorua’s Geothermal Historyより