ミルズ市長は、重度の障がい者を核とする「私たちは心で歌う目で歌う合唱団」が平和を訴え、人々の連帯を呼びかけるというコンサート計画の趣旨に賛同して下さった。そして、市内のアオテア・センターを会場として使うことを勧め、その場でセンターへ連絡をして、メインホールを1995年12月9~10日の仮予約をして下さった。Aotea Centre(Maori : Aotea – Te Pokapū)は市の舞台芸術とイベント用の大型ホールで、1990年に正式オープン、ミルズ市長は開館式のテープカットをされている。メインホールは客席が2139席あり、このコンサート計画は、市の公的なプログラムの一つとして扱っていただけることとなり、結果的にはオークランド市後援として(Under the auspice of the City of Auckland)、会場使用料が半額となる旨、連絡があった。このメインホールは、この国出身で世界的なソプラノ歌手Dame Kiri Te Kanawaの名前を冠して2019年に Kiri Te Kanawa Theatreへと改名されている。
一方、オーケストラの指揮者ゲアリー・ディヴァーン(Maestro Gary Daverne)との交渉はむつかしいことが多かった。こちらは主として合唱指導者の新田光信氏と姥山代表が交渉されて私は通訳業務に徹した。彼の主張は、次のようなものであった。1)演奏会の時期がクリスマスに近く、休暇シーズンが始まっている。2)プログラムで言えば、「第九」は、この国では演奏されることは少ないし、市民がそれほど興味を持っているとは思えない。3)1時間余りの第九交響曲をじっくり聴くことはむつかしいだろう。それでは、せっかくのイベント自体が不成功に終わることも想像されるので指揮者としては賛成できない。新田氏は、第九は第1楽章に始まり第4楽章に至って「歓喜の歌」の合唱で平和への訴えと人々の連帯が呼び掛けられて終了すると力説したが、彼は、日本側の主張は理解しながらも賛成しなかった。そこで、この国でもよく聴かれる英国人作曲家エルガーのエグモント序曲などポピュラーな曲を数曲入れ、ほかに日本側の演奏も入れて、第九は第4楽章から演奏し、「歓喜の歌」へ持って行くというアイデアが出された。そして、より聴衆に喜んでもらえるプログラムを編成しよう、ということになり、結果的には、和太鼓の演奏と、外山雄三の「オーケストラのための日本のラプソディ」から「第九の4楽章」ということで落ち着いた。