2025.10.27 小野 鎭
一期一会 地球旅 385 ドイツの思い出(24) バーデンバーデンにて
一期一会・地球旅 385
ドイツの思い出(24) バーデンバーデンにて 
 
さて、そんなバーデンバーデンやウィスバーデンさらにはバッド・ライヘンハルなどクアオルト滞在での興味深い視察と滞在であったがもう一つ付け加えたい。しかし、これは何ともお恥ずかしいバーデンバーデンでの思い出で恐縮です。 
 
74年、初めてのバーデンバーデン、ホテルは多分かなり上位にランクされ、雰囲気の良いところであったと思う。入館してみると華やかな中にも落ち着いた飾りの壁を背にしてフロントにはユニフォームを着た数人のスタッフがにこやかに笑みを浮かべて応じてくれた。自分は、Doctor TourのReiseleiter (添乗員)でチェックインをお願いしたいとこれまで覚えてきたドイツ語で申し出た。フロント・スタッフが、当然ながらWillkommen(Welcome)! とにこやかに応じてくれた。私はうれしくなり、いつものように部屋割り表を提示して、部屋番号を写し取り、部屋同士や日本への電話のかけ方、エレベーターやレストランの場所と夕食時間などについて質問した。 
 
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もっともこのあたりまではかなりうろ覚えであり、自分でも最初にカッコウをつけてドイツ語で始めただけに引っ込みがつかず、冷や汗をかきながら続けたのであった。これに対してフロントも当然のことながらドイツ語で説明してくれた。それを聞きながらメモを取っていったが次第に分からなくなり、結局、英語に切り替えて、すみませんもう一度お願いしますと尋ねざるを得なかった。フロントは、Mr. Onoは、ドイツ語を話されるので私たちもうれしい、それでは英語で話しましょう、と笑顔で続けてもらえたのでほっとした。と同時に、カッコウを付けていた自分が恥ずかしくなった。そして、やはり、フロントやレストランなどで細かく確認が必要なところでは下手な外国語より、自分は英語でやり取りすべきだと自覚したのだった。しかし、そんなやり取りがあっただけに、フロントでは滞在中一層親切に応じてくれていたような気がする。一方、ドライバーやポーターなどとは挨拶や人数、荷物の個数、部屋番号などの数字はその国の言語でやり取りするほうがウケも良く、親しさが増してそれなりの効果を生むことができたと確信してきた。 
 
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バーデンバーデンでは、もう一つ覚えていることがある。以前にも書いたが、70~90年代はヨーロッパへの添乗が多かったので、ホテルで使えるように湯沸しポットを買ったことである。70年代、日本からの海外旅行客は急激に増加していたが、まだ旅慣れない人も多く、日本茶や梅干を持参して、部屋で召し上がる方も多かった。そこで、ルームサービスにお湯を頼んでほしいと頼まれることがよくあった。ところが、すぐには届けてもらえないとか、届けてもらってもお湯は熱くなくてお茶がうまく出ないなどお気に入りいただけないこともあった。そこで「自前のポット」を携行してこれをグループ内で使っていただこうと考えていた。買うとすればドイツ製かスウェーデン製がいいだろうというのはそれまでの旅行経験から得た事前知識であった。バーデンバーデン滞在中にホテルの近くにある電気器具店を見かけていたのでのぞいてみたというわけである。BraunであるとかWMFなどの家電製品があったと思うが、店で勧めてくれたのは、Quelleという製品であった。多分1リットルくらいであったと思うががっしりした「つくり」でかなりの重さであった。高さは25cm、直径は15cmくらいであったかもしれない。ついでにヘヤドライヤーも買った。この時代、ホテルには備え付けのドライヤーもあったが未だ備わっていないところが多かった。ヨーロッパの電圧は220Vで日本より高く、お湯はすぐ沸いた。ポットは予想通り好評で早速部屋から部屋へ順に回して重宝されたことを覚えている。ドライヤーも貸してください、と予想よりも希望される方は多かったと思う。 
 
そんなわけで携行電気製品は喜ばれたが難点はかさばることと重かったこと。スーツケースに入れるとかなりのスペースを取り、すぐに20kgsを越えてしまうことが多かった。視察用の資料もあるし、旅行日数は3週間から1か月ということもざらで添乗業務を満たすためにはやむなくスーツケースは2個携行することにしていた。当時、空港の搭乗手続きでは乗客一人ずつの荷物を個別には計量せずにグループ全体の合計重量で処理されることもあった。チェックインにあたっては、出来るだけカウンタースタッフの手伝いをすることで荷物の重量を大目に見てもらうなどの裏技もそれなりに役立っていた。 
 
重宝されたポットであるが、次第に出番は減っていった。日本では多種多様な海外旅行用品が出回るようになり、コップに挿してお湯を沸かすという製品が出るとか、ホテルの朝食がセルフ式になってお湯も容易に使えることになり、わざわざ重くかさばるポットを携行する必要がなくなったということである。重宝されたポットは、無用の長物とは言わないが、我が家の押し入れの奥にしまいこんでいるうちに行方不明になってしまった。 
 
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Braunと言えば、私事がもう一つある。20年近く前に、愚息たちが誕生日祝いということで送ってくれた同社製のUniversal Typeのシェイヴァー(髭剃り)がある。日本だけでなく、ヨーロッパ、アメリカでも使え、しかも堅牢であり、重宝してきた。引退した今はでは、毎日ひげを剃ることもなく、不精を決め込んでいるがそれでもよく使ってきた。ところがさすがに経年劣化ということであろうか、刃先が部分的にこぼれて使い心地が悪くなってきた。不具合なままに使うわけにもいかず、そのままお役御免にすることは勿体ないし、第一、息子たちに申し訳ない。そこで、替え刃は無いものだろうかと製品番号など細かい印字を見つけてネットで検索してみた。幸いそれらしい案内を見つけて問い合わせを試みた。2023年4月ごろのことである。間もなく、Braun社のこの製品についての日本の代理店であるP&G社の担当者から連絡があった。そして、今も通販で扱われている替え刃が使えること。但し、本体は修理サービスの期間が過ぎているので対応できないので悪しからず、と丁寧な説明があった。幸い、本体は異常なく動き続けているので早速替え刃を買い求め、今も快調に使っている。製品本体は決して安い値段ではないが、20年近く使っても耐用できることに感心している。 
 
家電製品に限らず、日本の製品も故障が少なく堅牢であり信頼して使っている。しかし、いったん故障したり壊れたりすると部品が少なく、すでに製造を終わっていることが多いので対応できないと言われることがある。修理をしてもらうところも少なく、販売店などでは、修理すると却って高い値段となり、新しく買う方が機能も幅広く、消費電力も少なく、お得ですよ、といわれ、止む無くそちらを選択せざるを得ないことが多い。 
 
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いつも考えることがある。先ごろのオランダの病院のこと、あるいはこのところ書いているドイツの病院や施設のこと。たまたま訪問したのが70年代であるとか、あるいはそれ近くなることもあるかもしれないが50周年を迎えたというニュースが付されていることである。半世紀前に建てられた建物が今も使われていることがよくわかる。ヨーロッパでは、何世紀も前に建てられた建物が内部を模様替えするなどして、そのまま使われているとか、用途を改めて使われていることが多い。パリのオルセー美術館などはその好例であろう。日本では先の大戦で灰燼に帰した建物は勿論、その後、建てられた建物が4~50年で建て替えられていることが多い。それが日本経済発展の一つとなっていることもあるとは思うが都市計画や建造物に求める役割についてわからないことが多い。木と紙の日本文化と石の文化の違いからくること、あるいは式年遷宮という作り替えによる蘇りという日本人の精神構造もあるとは思うが、古いものをうまく使い続けるというヨーロッパ人の考え方についても学ぶところは多いように思う。(ドイツの項は、これで終わり、次はどこへ?) 
 
《写真、上から順に》 
・バーデンバーデン市内風景(宿泊したホテルであったかも? 1974年 筆者撮影) 
・病院見学の後、ハイデルベルクの古城にて(1989年9月、海外医療事情視察団) 
・長年愛用しているシェイヴァー(髭剃り、Braun社製) 
・パリ・オルセー美術館(1989年9月、海外医療事情視察団 報告書表紙より)