2025.10.20 小野 鎭
一期一会 地球旅 384 ドイツの思い出(23) クアオルト・バッドライヘンハルにて
一期一会・地球旅 384 
ドイツの思い出(23) クアオルト・バッドライヘンハルにて 
 
ドイツでは、他にも10か所以上のクアオルトを訪れているが、印象深いのはバッド・ライヘンハル(Bad Reichehall)。バイエルン州、ミュンヘンの東南方向130㎞位にあり、ドイツでも代表的な山岳保養地として知られ、かつてヒットラーの山荘があったことでも有名なベルヒテスガルテンにも近い。一方では、オーストリアのザルツブルクからも30㎞ほど、バイエルン・アルプスの麓にある美しい町である。一帯は、古来、塩の生産で知られ、この町も塩水をためた貯水池から塩を含んだ水を蒸発させることによって得られる塩の生産の伝統的な中心地である。豊富な塩が含まれた泉質から、高い療養効果が認められており、バイエルン国立温泉としても位置付けられている。大型の保養施設やリハ関係、呼吸器系疾患の治療施設など温泉医療施設も多い。 
 
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1985年にこれも社会保険病院団体の医療事情視察団で訪れたが温泉施設のほかに、この町から北へ30数キロに位置するトラウンシュタインにある同名の病院を訪問している。17世紀にバッド・ライヘンハルから木製のパイプで塩を含んだ水を輸送し、この町で塩の生産が行われるようになり、一帯の塩の集散地として発展してきた。近くにキーム湖(Chimsee)があり、トラウンシュタインは「キムガウの真珠」と呼ばれているそうである。この地方の自治体、産業、医療サービス、交通、教育の中心地として機能してきており、トラウンシュタイン地域病院(Kreiskrankenhaus Traunstein)、訪問時は420床、さらに建設中で3年後に完成すると490床の総合病院になるとのことであった。市長も来院されて視察団の訪問に対して歓迎のあいさつがあった。この病院の建設とキムガウの真珠としての発展と成長が誇らしいことがうかがえた。 
 
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院内見学に先立って、内科のDr. Peter Kiefhaberの講演があった。消化管出血に対する内視鏡による治療法の一つであるNd.-Yagレーザーによる止血法の開発者の一人である。1977年に世界で最初の臨床法の開発応用を報告した人であり、講演で数回日本にも見えているとのこと。使用されている内視鏡は、日本のOlympus社製であり、世界各地の医療施設で使われているのは圧倒的にこのメーカーの製品が多いことを見かけた。もう一度、調べてみたところ、「Biomedical Laserの開発の歴史において、The Technique of Gastrointestinal Laser Endoscopy に関して、1977年に世界で3つのグループがこれを開発した。」その中に、「Dr. Peter Kiefhaber, Professor of University of Munich」 として、英国の科学ジャーナル Springer Science of Business Media (Carper PP 255-269)に掲載されているとあった。近年では、内視鏡による手術が普及しており、早期食道など消化器系ガンのオペは内視鏡で行われていることを聞いている。半世紀前、そのような技術が開発されていたのであろう。 
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次いで医系、事務系、検査、看護などの少人数グループに分かれて関係部署を院内見学。医系では各種医療器具や設備がそろっており、ミュンヘン大学医学部の教育関連施設の一つとなっているとのことであった。そのようなこともあって、Dr. P. Kiefhaberもこの病院で活躍されていたと思われる。この時の病院見学について報告を担当されたのはDr. Aで当時、横浜社会保険病院の小児科部長であった。大変律儀な方で毎年年賀状をくださり、今もご交誼をいただいている。 
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バッド・ライヘンハルでは、Axelman Hotelに宿泊している。当時は高級ホテルチェーンとして知られたSteigenberger 系の一つであった。この街で塩が生産される一方、泉質温泉を利用した保養施設としてもこのホテルが建てられ、次第に発展している。バイエルン王国国王マキシミリアン2世は、このホテルのもっとも著名な宿泊客の一人であり、1849年に5週間滞在している。このようなこともあり、宿泊客は増大、20世紀初頭、かつての建物が改築されたが、古い構造等を考慮して再建され、歴史的建造物として登録されているとか。バッド・ライヘンハルは、バイエルン・アルプスを望む美しい景色で知られており、リトグラフでもよく紹介されていたので、私も小さな作品を土産に買ってきて、自室の壁に掛けて楽しんできた。しかし、先年、我が家を改築した折、この額絵をどこかにしまい込み、今となっては思い出のみが残っている。 
 
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また、この時の報告書の編集後記には、出発前の1985年 6月23日、成田空港でカナダ太平洋航空(CPAL)の航空機に搭載された荷物が爆発、一方ではその少し後、アイルランド沖でインド航空の墜落などがあり、不安な思いで出発されたことが記されている。7月2日に4週間の視察を終えて帰国。ところがその翌月、8月12日に日本航空123便(JL123)が御巣鷹山に墜落、乗員乗客524人を載せて墜落するという未曽有の大事故が発生、自分たちは何事もなく4週間の視察を終えたことを安堵されたらしいことが書かれている。添乗した私自身も皆様の視察旅行が無事終了されたことを有難く、感謝している。(以下、次号) 
 
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《写真、上から順に》 
Kreiskrankenhaus Traunstein:昭和60(1985)年度 全社連 海外医療事情視察団 報告書より転載 
・The Biomedical Laser Technology and Clinical Applications:Springer Science of 
Business Media 資料より 
・Kreiskrankenhaus Traunsteinにて : 1985年7月 筆者撮影 
・Hotel Axelmannstein Bad Reichenhall : Bayerischen Staatsbäder 資料より 
・Bad Reichenhall 風景 : Lithograph Postcardより 
・昭和60(1985)年度 全社連 海外医療事情視察報告書