2025.02.17
小野 鎭
一期一会 地球旅 349 ハワイにて(1)
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一期一会・地球旅 349
ハワイにて(1)
1974年2月、海外教育事情視察団でミャンマーからオーストラリア、ニュージーランドそしてタヒチをまわって帰国の途次、ハワイに立ち寄った。ハワイを初めて訪れたのは1969年に海外医療事情視察団でこれはヨーロッパからカナダ・アメリカをまわってサンフランシスコから帰途、ホノルルにも立ち寄った。その後も数回訪れているが、ハワイだけを訪れたのは、これまでも4~5回しかなく、ほとんどが米本土などからの帰国時に立ち寄ったということが多い。‘74年にタヒチからハワイに立ち寄ったときは4泊、中3日の滞在であった。夜、到着したので窓から見えるホノルル市街の夜景が美しかった。
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1974年2月、海外教育事情視察団でミャンマーからオーストラリア、ニュージーランドそしてタヒチをまわって帰国の途次、ハワイに立ち寄った。ハワイを初めて訪れたのは1969年に海外医療事情視察団でこれはヨーロッパからカナダ・アメリカをまわってサンフランシスコから帰途、ホノルルにも立ち寄った。その後も数回訪れているが、ハワイだけを訪れたのは、これまでも4~5回しかなく、ほとんどが米本土などからの帰国時に立ち寄ったということが多い。‘74年にタヒチからハワイに立ち寄ったときは4泊、中3日の滞在であった。夜、到着したので窓から見えるホノルル市街の夜景が美しかった。
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翌日はホノルル市内と近郊の見学、宿泊はワイキキの浜辺に面したホテルであったので、ワイキキ一帯はぶらぶら歩きしながら自分たちで自由に見て回れるだろうということで主たる見学は、パンチボウルと呼ばれる高台から中心街や港湾地区、ダイアモンドヘッドを眺めるとか、真珠湾一帯やワヒアワのパイナップル畑、ヌアヌ・パリ峠の風の名所などをまわった。1か月に及ぶ視察団の最終訪問地であり、多くの団員が長途の疲れを感じておられたと思うがハワイではどこへ行っても日本語が飛び交い、日本食も食べられ、この後はいよいよ帰国ということで疲れも忘れてリラックスされている様子が感じられた。
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報告書には、各団員が交互に旅の感想などを残されているが、ハワイは、K氏が担当。氏は中学校の教頭で50歳代後半であったので1920年代生まれであり、もしかすると第2次大戦では、戦地に赴かれた経験がおありであったかもしれない。氏が書かれたハワイの思い出には、戦争につながることが多かったように思える。ハワイには多くの旅行者が訪れる観光名所もたくさんあるが、一方では太平洋上において、軍事面での要衝でもある。真珠湾を囲む広大な海軍基地、ホノルル国際空港につながるヒッカム空軍基地、パンチボウルの中にある国立太平洋記念墓地などに関する記述が多い。そういえばガイドの説明の中で真珠湾近くの丘の上にあるピンクの大きな建物、トゥリプラー陸軍病院が当時はベトナム戦争中(1960~1975年にかけて)であり、とても忙しいらしいと聞いているとのことだった。ベトナム戦争は、私たちがホノルルを訪れたこのころ(1974年2月)も続いていた。他にも、私はパリを訪れるたびに凱旋門近くの建物でベトナム和平会談が行われているとよく聞いていたので早く平和が訪れてほしいと願っていたことを思い出す。そして、この1年後の1975年に北ベトナムが南ベトナムのサイゴン(現ホーチミン)を陥落させて戦火は治まったとされている。
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ホノルル滞在3日目、最終日は団員の総意でバーベキューを兼ねたピクニックをして視察団としての打ち上げをやろうということになり、ワイキキから東へ走ったマカプーの海岸でひと時を過ごした。1か月に及ぶ海外教育事情視察では、ビルマ(現ミャンマー)とオーストラリアで教育関係行政府訪問や学校等見学に続いて経由国各地での市内見学や社会探訪、民情視察などで経験した忘れられない思い出などを全メンバーが一人ずつ担当して各地について日報を書き、感想を語ることで全体を振り返るという趣向であった。ほとんどの団員にとって初めての海外旅行であった。ビルマに始まり、タイ、シンガポール、オーストラリアやニュージーランド各地、そしてタヒチの各地での見聞や様々な経験は強烈な印象があり、心に深く残っている様子がうかがえた。団員各氏は、郷里で、そして、それぞれの学校や教育機関で海外での見聞したことについて語るとか、記されたことであろう。(以下、次号)
《写真など、上から順に》
ホノルルで宿泊したホテル(Sheraton Moana Surfrider) モアナホテル資料より
アイエア地区の高台から真珠湾を望む。 1974年2月撮影
パンチボウルの展望台にて (背後には、国立太平洋記念墓地)1974年2月撮影
ホノルル郊外マカプウ・ビーチ公園にて 1974年2月撮影