2025.03.17 小野 鎭
一期一会 地球旅 353 オランダでの思い出(1)湖上に浮かぶ舟のように
一期一会・地球旅 353 
オランダでの思い出(1)湖上に浮かぶ舟のように 
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これは、オランダのアムステルダムでの出来事。1970~80年代にかけて、毎年ある業界団体の視察団をヨーロッパやカナダへ案内していた。ある年、オランダが最初の訪問国であった。目的は、アムステルダム港につながる北海運河の出口にあるアイミューデン(Ijmuiden)の魚市場見学や業界団体を訪問することであった。北海に面したオランダは、ニシンやヒラメなどの漁獲高も多く、Ijmuiden Fish Marketは、ヨーロッパでも有数の魚市場であった。この時は、全体で20日間の日程であった。東京(羽田)出発、北回りでヨーロッパ有数の大空港であるスキポール空港に到着。空港からはこれも世界最大と言われていたアルスメアの花市場見学、時計式のセリが珍しく、広いホール内にはその日運び込まれたシューリップやバラなどがトロリーに積まれて、体育館のような大きなホールいっぱいに整然と置かれ、さわやかな花の匂いが漂っていた。次いで、定番の運河沿いの風車見物、市内中心部にある国立美術館もやはり運河に面している。ここでは、レンブラントの「夜警」という大きな絵画を鑑賞、その後、市内レストランで昼食、世界的に有名なAmstel Bierを召し上がる人もあり、次第に酔いが回り、食事中も舟をこぐ人が出てくる。昼食後、中央駅を車窓から見学、東京駅のモデルになったとガイドの説明も子守唄のように聞こえ、多くの団員が心地よい揺れで睡魔に襲われているのはよく見る光景。 
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アムステルダムは中央駅を扇の要とすると、そこから大きく半円形に広がっており、運河が縦横につながっており、主な通りには市電が走っている。建物は、レンガ造りが多く、高さは、6~7階建てが多い。屋根裏部屋にあたる部分に大きなフックが付けられており、大きな家具などはこのフックにロープをかけて引っ張り上げ、細長い窓から該当する階に引っ張り入れるという風景も時々見かける。古い建物を改造していくつかの建物をつなぎ合わせて一つのホテルにしているということもある。結果的には、建物内は床の高さが違っているとか、廊下には数段の階段があることもあるし、後付けの小さなエレベーターが動いていうこともある。中には、隣接した建物も一緒に右や左に、なかには前に少し傾いていることもあるが今も変わらず使われている。従って、ときどきホテルの室内では床がわずかに傾斜していることもある。外観は古く、旧市街内では、個人が個人の思い付きで勝手にはモダンな建物などを建てることは許されていない。外観は数百年前そのままに維持されているが、中身は快適に、現代風に改造されていることが多い。ホテルに限らず、オフィスビルもあるし、集合住宅として使われていることも多いがどこであっても、窓は見事に磨かれ、洒落たカーテンが掛けられていることはオランダの建物の特徴であろう。 
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街の風景の説明はこのくらいにして、この時のホテルは中心街からは少し離れており、街路も少し広かったが運河沿いにあった。レンガ造りの建物自体は4~5階建てであったと思う。その日、午後、早めにホテルにチェックインし、ほとんどのメンバーが各部屋に入ることができた。グループ全体で20名近くであったが、多くはツインルームに2名ずつの組み合わせであったので11~2室であったと思う。ホテルで夕食となっているので、それまでは部屋で休むとか、外出するときは必ず、ホテルのカードを持って出かけていただきたい、交通事故に遭わないように、自転車にも注意してくださいと念を押して解散した。スーツケースはポーターに各部屋に運んでもらい、全部運び終えたことを確認して団の事務局担当と今夕から明日にかけての打ち合わせを終えた。その後、自分も部屋に入り、夕食と明日の予定等を再確認してホテルの周りを少し歩いてみた。 

 アムステルダムにはすでに幾度か来ていたのでそれまでに泊まったホテルや中心街などはなじみがあったが、この時のホテルは初めてであったのでホテル近辺の街の様子は興味深かった。多分、一時間くらい過ぎたであろうか、ホテルに戻り、部屋のカギをもらおうとフロントに行ったところ、スタッフが血相を変えて、部屋の一つから水が廊下に流れ出しており、大変!だとのクレーム。当該客室に電話をいくらかけても返事がなく、ドアをノックしても返事がないとのこと。部屋番号を聞いたところ、メンバーの一人であり、本人の希望でシングル使用であった。どういう理由であったのかは分からないが個室利用として追加料金が払われていたと思うが、それは今となっては定かではない。階数も覚えていないが、とにかく、部屋に駆けつけてみたところ、ドアの下から水が流れ出しており、すでに廊下のじゅうたんにも水がしみ込んで隣の部屋付近まで水浸しになっていた。両隣の部屋の中にも水がしみ込んでいるかもしれない! 背中に冷水を浴びせられたような思いで件(くだん)のお客様の部屋のドアをノックしてみたが返事がない。団長と事務局の部長にも来てもらい、彼らもお客様の名前を呼びながらもノックしてみたが依然として返事がなかった。 
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もしかすると、急病などで人事不省状態に陥っておられるのかもしれないと不幸な想像までしてしまった。やむなく、フロントからマスターキーでこの部屋のドアを開けてもらうことになった。内カギがかかっていなかったのは幸いだった。ドアを開けてもらい、そこで見た光景は、まさに湖上に浮かぶ小舟のようであった。この旅行よりも数年前、タイのバンパイン離宮を見学した時、お堀に小さな船が浮かんでおり、典雅な風景を見たことを思い出した。今回、アムステルダムでのホテルは19世紀調の建物であり、それほど大きなホテルではなく全体で30室程度であったと思うが、外見はレンガ造りで歴史を感じさせるスタイルであり、ベッドやイス、机なども美しい鉄枠の飾りなどを付された洒落た造りであった。そのベッドの上にそのお客様は高いびきで熟睡。その光景を見ると同時に、私は、何はともあれ、浴室の蛇口を閉めることが先決であった。 
 
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このお客様はある県の連合会の役員であり、50歳代の男性であった。事務局氏と団長が名前を呼びつつ肩をゆすると間もなく、酔眼朦朧とした様子で驚きながら目を開けてゆっくり起き上がり、ベッドから足を下したところ、水の中であったので何事が起きたのかと驚いた様子であった。床に置かれたスーツケースも靴も水浸し。窓近くにあったテーブルの上には半分近く空になったジョニーウォーカー(当時、海外旅行では大人気のウィスキー)のビンがあった。どうやら、部屋に入って荷物を開いて、風呂に入るつもりで浴槽にお湯をためている間にウィスキーを飲んでいるうちに酔いが回って時差も加わり、猛烈な睡魔に襲われて、そのまま寝込んでしまったというのが本人から聞いた理由であった。それから後の処理が大仕事であった。団員の多くに来てもらい、ホテルから出してもらったタオルや雑巾などで、水浸しの室内と廊下をぬぐって水をふき取ってはバケツなどに絞って下水溝まで運んで大掃除。ホテルにはほかのお客もいたのでこの騒動振りを驚いて苦笑するとか、中にはしっかり働けと言わんばかりにはやし立てる人もいた。1時間近くかかったであろうか、やっと水気を拭い去り、あとはホテル側にお詫びしてホテル側の損害等について滞在中に教えてもらうことになった。予定では、このホテルには2泊することになっており、明日は一日視察などで外出し、夕方帰館することになっていた。両隣の部屋も使えず、宿泊を予定していた新たなお客様には別室が確保されたのか、それとも別のホテルが手配されたのかもしれない。そんな訳でその日の夕食は1時間近く遅くなり、ホテルのレストランでは通夜のような雰囲気の冴えない風景であった。 
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翌日は、早朝起きて、朝食は見学先の魚市場の食堂で、ということになり、多分、午前5時ごろ出発して見学先に向かったと記憶している。魚市場の見学と水産関係の組織や漁協などを訪問することになっていた。洪水騒ぎを起こした当該客には別室に移ってもらい、事務局氏が同室者としてそれ以後は旅行が継続された。見学を終えてホテルに戻ったところ、汚損した3部屋と廊下や下の階の天井部分などの清掃と修理代、部屋が使えるようになるまでの逸失利益などを含めてかなりの金額、数万Dfl(オランダ・ギルダーNLG)、当時で100万円以上となることがお客様に告げられ、絶句されていた。幸い、この旅行団では、全員が共済保険関係の旅行傷害保険に入っておられ、損害賠償担保で処理されたが帰国後、現認報告書などを作成してお届けしたことを覚えている。この旅行に限らず、旅行傷害保険をお掛けするようにお勧めしてきたが、旅行中の航空機事故や交通事故、盗難などだけでなく、この時の経験から、損害賠償も大事な担保部分であることを旅行説明会では強調するようになった。(以下、次号) 
 
《写真、上から順に》 
・アムステルダム・スキポール空港(模型:マドローダム・ミニチュア・パーク): 1980年6月 筆者撮影 
・アムステルダム郊外の風車 : 1978年9月 筆者撮影 
・アムステルダム中心部は、世界文化遺産(2010年登録): アムステルダム中心部:ジンフェルグラハト内部の17世紀の環状運河地区 ユネスコ世界遺産 資料より 
・アムステルダム国立美術館 : Wikipedia Rijksmuseum Amsterdamより 
・タイ・バンパイン離宮とお濠 : 1974年11月 筆者撮影 
・アイミューデン魚市場 : Ijmeuiden nl 資料(You tube)より 
・アイミューデンでの漁業関係視察後、干拓地の家庭訪問:1978年9月撮影