2026.05.11
小野 鎭
一期一会 地球旅 412 初めての世界一周添乗(12)ホノルルにて
一期一会・地球旅 412
初めての世界一周添乗(12)ホノルルにて
日本を発って30日目、サンフランシスコからハワイのホノルルへ。太平洋を2/5超えたことになるが、サンフランシスコからホノルルまで約5時間、到着してタラップを下りると一気に暑さを覚えたがさわやかな海風であったと思う。頬に心地よかった。空港ビルに入ると国内線扱いであるので旅券の検査は無かった。しかしながら税関では食肉や果物は持っていないかと調べられた。税関検査というよりは、動植物検疫ということであろう。太平洋の島嶼であり、妙な種子や動物の生肉などを持ち込むことは厳禁されており、厳しく取り締まられているらしい。検査を終えて外に出ると、現地ガイドがいてレイをかけてくれた。アメリカ最後の旅行先、しかし、自分にとっては初めてのハワイであった。
ハワイ諸島は北太平洋に位置するアメリカ合衆国50番目の州であり、100以上の島や環礁から成る火山諸島である。主にオアフ島、ハワイ島など6つの島が有名であり、それぞれが独自の文化や自然の魅力を持ち、熱帯の楽園と言われている。その中でもオアフ島に州都ホノルルがあり、政治経済の中心となっている。市の西の方に真珠湾があり、その東側一帯にパールハーバー・ヒッカム統合基地があり、アメリカ空軍と海軍の基地が統合されて置かれている。太平洋の守りの要ということであろう。そして、真珠湾には、アリゾナメモリアルという慰霊の碑があると聞いた。
日本を発って30日目、サンフランシスコからハワイのホノルルへ。太平洋を2/5超えたことになるが、サンフランシスコからホノルルまで約5時間、到着してタラップを下りると一気に暑さを覚えたがさわやかな海風であったと思う。頬に心地よかった。空港ビルに入ると国内線扱いであるので旅券の検査は無かった。しかしながら税関では食肉や果物は持っていないかと調べられた。税関検査というよりは、動植物検疫ということであろう。太平洋の島嶼であり、妙な種子や動物の生肉などを持ち込むことは厳禁されており、厳しく取り締まられているらしい。検査を終えて外に出ると、現地ガイドがいてレイをかけてくれた。アメリカ最後の旅行先、しかし、自分にとっては初めてのハワイであった。
ハワイ諸島は北太平洋に位置するアメリカ合衆国50番目の州であり、100以上の島や環礁から成る火山諸島である。主にオアフ島、ハワイ島など6つの島が有名であり、それぞれが独自の文化や自然の魅力を持ち、熱帯の楽園と言われている。その中でもオアフ島に州都ホノルルがあり、政治経済の中心となっている。市の西の方に真珠湾があり、その東側一帯にパールハーバー・ヒッカム統合基地があり、アメリカ空軍と海軍の基地が統合されて置かれている。太平洋の守りの要ということであろう。そして、真珠湾には、アリゾナメモリアルという慰霊の碑があると聞いた。
ワイキキにあるホテルに宿泊した翌日、ガイドから、ホノルル市街の後部には二つの山脈があり、1941年12月7日の朝、日本の連合艦隊の戦闘機があの山の間から真珠湾の艦船をめがけて一斉攻撃をしたことから太平洋戦争が始まったと説明した。前日、空港に着いたときも真珠湾の話を聞いたし、あの時のガイドは、意図的に話したのか、それとも戦後20数年しかたっておらず、1969年ごろと言えば、もしかすると身内に戦争に深い思い出があったのかもしれないが、今となっては勿論、わからない。市内見学でパンチボウルというお鉢の中のようなくぼみにある国立太平洋記念墓地に行った。目的は、展望台からホノルル市街とダイヤモンドヘッドなどの景色の見物であったが、団員の先生方は、ガイドから聞いていたこの墓地に眠っている兵士たちへ手を合わせて頭を下げられていた様子が思い出される。
すり鉢型のパンチボウルの丘は現在、アメリカ合衆国の「国立太平洋記念墓地」 (National Memorial Cemetery of the Pacific) として使われている。太平洋戦争終結後、1949年に使用が開始され、第二次世界大戦ばかりでなく朝鮮戦争やベトナム戦争で亡くなった兵士の名も刻まれている。地面に置かれた墓標には、日系と思われる氏名も多く見られる。そして墓標には、それぞれ、キリスト教の十字架ばかりでなく、正三角形を逆に二つ重ねたユダヤ教のダビデの星や、仏教の法輪も刻まれていて、何人(なにびと)も宗教にこだわることなく葬られていることが分かる。墓標に書かれた名前の下には、100であるとか、442と書かれた数字も多い。第二次大戦の「第100歩兵大隊」や「第442連隊戦闘団」の兵士たちである。442連隊は、士官などを除くほとんどの隊員が日系アメリカ人により構成されていた。ヨーロッパ戦線に投入され、枢軸国相手に勇戦敢闘してアメリカ合衆国史上、最も多くの勲章を受けた部隊としても知られている。
太平洋戦争が始まり、アメリカ西海岸に居住していた多くの日系人や日本人移民などはほとんどの財産を没収されたうえ、各地につくられた強制収容所に強制収容された。しかし、ハワイ準州(Territory of Hawaii)居住の人口に対して日系人の割合がその島の人口の半分以上を占めるなど、島の経済や生活が成り立たなくなるなどにより、日系人幹部や僧侶など数百人が収容されたが、それ以外の全日系人が対象とはならなかった。こうして、第100歩兵大隊に続いて第442連隊戦闘団が編成された。彼らはイタリアのサレルノに上陸、イタリア戦線を北上、フランスやドイツで多くの熾烈な戦いを経て多大な武勲を挙げている。欧州戦線での戦いを終えた後、第442連隊は、その活動期間と規模に比して、アメリカ合衆国軍事史上最も多くの勲章を受けた部隊となり、歴史上に名前を残すことになった。戦後の1946年7月、トルーマン大統領が大統領部隊感状を授与するために閲兵し、「諸君は敵だけでなく、偏見とも戦い、そして勝ったのだ (You fought not only enemy, you fought prejudice – and you won.)」と讃えた。
1969年に初めてホノルルでこれらのことを一度に知ったわけではないが、その後もハワイを訪れるたびにパンチボウルに行くように心がけていた。ロサンゼルスでは、リトル東京にある全米日系人博物館を訪れることも多かった。また、ワシントンDCにあるアメリカ合衆国議会議事堂を見学したことがある。たまたま国会は休会中であり、下院議会を見学することができた。偶然であるが、ハワイ選出の日系人下院議員スパーク・マツナガの議席があった。後で知ったことであるが、出来れば、上院議会を見学して、ダニエル・イノウエの議席も見学したかった。
ダニエル・イノウエは442部隊で従軍したが戦時中に片腕を失い、医者になることをあきらめて、弁護士となった。その後、ハワイ選出の上院議員として1963年から50年近くにわたって在任した長老議員であり、上院民主党の重鎮議員であった。2010年には、上院で最古参の議員となり、慣例に従って、上院仮議長に選出され、亡くなるまで同職にあった。この地位は、大統領継承順位第3位の高位であり、アメリカの歴史上アジア系アメリカ人が得た地位としてはカマラ・ハリス副大統領に次ぐ上位のものであった。ダニエル・イノウエは、2012年の死後、大統領自由勲章および菊花勲章を受章した。ホノルル国際空港は、彼を記念して、現在は、「ダニエル・K・イノウエ国際空港」と名称変更された。彼もまた、パンチボウル国立太平洋記念墓地に眠っている。
様々な思いと学びを経験して出発から33日後、1969年7月12日、初めての世界一周添乗を終えた。(「初の世界一周添乗経験」は終わり)
後日譚:帰国して数日後、アメリカのケネディ宇宙センターから宇宙ロケットが打ち上げられ、宇宙船アポロ11号が月へ向かって飛んでいることが報じられていた。そして、7月20日、人類初の月面着陸に成功したことが報じられた。当時、社は東京・大手町にあるビルの地下に事務所があったが、社内にテレビはまだなかった。社の向かい側の喫茶店にはテレビがあったがもちろん、中は人でいっぱい。ガラス越しにアームストロング船長が月の静かの海に降り立ったのを見たことが懐かく思い出される。その数週間前、自分はアメリカ大陸を東から西へ横断して、各地でアメリカ合衆国の現状を見てきたばかりであったので、この国の底力を改めて強烈に感じたような気がした。
《資料》
(1) パールハーバー・ヒッカム統合基地(Joint Base Pearl Harbor-Hickam):Wikipedia
(2) パンチボウル国立太平洋記念墓地:Aloha Program
(3) 第442連隊戦闘団:Wikipedia
(4) ダニエル・K・イノウエ上院議員:Wikipedia
(5) Official NASA Apollo 11Mission:Lunar Planetary Institute
《写真、上から順に》
・ヒッカム空軍基地とホノルル国際空港、奥の方が真珠湾:Wikipedia
・ホノルルのホテル、後方には山脈が連なっている。:1969年7月 筆者撮影
・パンチボウル国立太平洋記念墓地:Aloha Program
・トルーマン大統領の顕彰をうける442部隊:アメリカ陸軍通信部隊資料より
・アメリカ合衆国連邦議事堂:1970年代 筆者撮影
・ダニエル・K・イノウエ国際空港:ハワイ国際空港資料
・アポロ11号、月面に立つ星条旗と宇宙飛行士バズ・アルドリン:NASA資料より