2026.05.11
小野 鎭
一期一会 地球旅 411 初めての世界一周添乗 (11) サンフランシスコにて(2)
一期一会・地球旅 411
初めての世界一周添乗 (11) サンフランシスコにて(2)
サンフランシスコでは、もう少し書きたいことがある。ツインピークス(双子山)から見た金門橋(ゴールデンゲイトブリッジ)やサンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジ(通称 ベイブリッジ)のことである。金門橋(1)は西海岸において南北に走る主要道路である国道101号(US Highway 101)が通っているし、ベイブリッジ(2)は文字通り、サンフランシスコとオークランドやバークレイ方面を結ぶ州際高速道路(Interstate)I-80号線が通っている。これらの長大橋は、1933年ごろから建設され始めて1936~1937年ごろに完成している。以前にも書いたが、ネバダ州とアリゾナ州境を流れているコロラド川をせき止めて作られたフーバーダムも同じころ造られている。いずれも1929年の大恐慌後にアメリカ合衆国で実施された公共工事であり、実施主体は必ずしも連邦政府ではないところもあるが、経済不況からの経済復興に向けて雇用創出とインフラ整備の根幹となったものである。
特に、フランクリン・D・ルーズベルト大統領政権下で行われた「ニューディール政策」は、こうしたビッグプロジェクトを極力推し進めたとある。代表的なものとしてTVA(テネシー川流域開発公社)がある。ミシシッピ川の支流であるテネシー川流域にたくさんのダムを建設するなど電源開発と地域の農業始め産業を活発化させることであった。ニューディール(New Deal)とは、「新規まき直し」を意味しており、救済(Relief)、回復(Recovery)、改革(Reform)の3Rを政策の理念としてアメリカ合衆国の経済を再建し、ドイツ、日本などのファシズム国家の台頭という危機への対応や社会主義国家であるソ連との関係の修復などの外交課題に当たろうとするものであった、と説明されている。(3)ファシズム(Fascism)とは全体主義的で一党独裁、自由の抑圧を特徴とする政治的理念及びその体制を指しており、対外的には侵略政策を執る。第一次大戦後、イタリアで起こり、その後、ドイツ・日本などに拡がった。(4)
そういえば、ニューヨークでマンハッタン島の東側を流れているイースト川の川岸をバスで走っていたとき、FDR Driveというのがあった。1969年に初めてニューヨー クを訪れた時から後、幾度もこのFDR Driveを通るとか、見かけたりしたがかなり古い道路であったという印象がある。これはフランクリン・D・ルーズベルト大統領の名前を冠した道路であり、マンハッタン島の東側を北から南へ走る自動車専用道路であり、これも1930年代に建設されている。その後も建設は続行されて1942年頃かなりの部分が完成し、45年6月に大統領に敬意を表してフランクリン・デラノ・ルーズベルト・イーストリバードライブと改名され、一般的にはFDRドライブと呼ばれている。(5)
この時代、ハリウッドでは総天然色の大型映画「風と共に去りぬ」(Gone with the Wind)が製作されている。石油は大恐慌で暴落したが、テキサスなどで新たな油田が次々に発見されて次第に好況になってきているし、国際メジャーのスタンダード・オイルが誕生している。石油は軍需物資としての重要性が増し、単なる産業から外交・国防政策の中核へと発展した。それに比して、日本は、欧米とのつながりが切られて、東南アジアでの石油を求めるためにもこれらの地域へ侵攻することになっていった。
一方、この時代、日本は、というと、私が生まれる10年位前からのことであり、1930~1940年、昭和5~15年ということになる。1931年、満州事変勃発、1932年、満州国建国宣言、1933年、国際連盟脱退、1936年、2・26事件、1937年、盧溝橋事件(日中戦争勃発)、1938年 国家総動員法発布、1939年、ドイツ・ポーランド侵攻(第二次大戦勃発)、1940年、日中戦争長期化に備えて、日独伊三国同盟締結、枢軸国へ接近。作家半藤一利は「昭和史」という本の中で書いている。「国際連盟からの脱退がその後の日本にどういう結果をもたらすかについての想像力もなかった。勇んで『栄光ある孤立』を選んだなどという言葉で、日本国民は今や日本は国際的な被害者であるのにさながら加害者のごとくに避難されている、と信じ、ますます鬱屈した孤立感と同時に『コンチキショウ』という排外的な思いを強め、世界中を敵視する気持ちになりはじめる。排外主義的な『攘夷』思想に後押しされ、国民的熱狂が始まった。一番大事なのは、この後から世界の情報の肝心な部分が入ってこなくなったこと。アメリカがどういう軍備をするのか、イギリスがどういうことをしているのかなどがほとんど分からなくなり、国が孤立化するということは情報からも孤立化するということ。それを全く理解していなかった。つまり、日本はその後、いい気になって自国の歴史をとんでもない方向へ引っ張っていくという話になる。」と言っている。(6)
もちろん、1969年、初めてのアメリカ訪問・添乗中、サンフランシスコでそこまで考えたわけではない。しかしながら、ツインピークスからみた金門橋やベイブリッジを眺め、ガイドの説明を聞きながら、これらの長大橋やフーバーダムがつくられたのは1930年代であっったこと。そして、私が生まれて3か月後の1941年12月に太平洋戦争が始まったことを考えるとアメリカのニューディール政策やこの国の国力を感じる一方、日本がたどったその時代のことをしみじみ思ったことは今も覚えている。(以下、次号)
《資料》
(1) ゴールデンゲート・ブリッジ:Wikipedia
(2) サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジ:Wikipedia
(3) ニューディール政策:世界史の窓
(4) ファシズム:国語辞典(集英社版)
(5) FDR Drive: Wikipedia
(6) 半藤一利著: 昭和史・戦前篇
《写真、上から順に》
・ツインピークスにて&右手後方にベイブリッジがうっすらと見える:1969年 撮影
・TVAのパンフレット:連邦国会図書館資料より
・フランクリン・D・ルーズベルト・ドライブ:Wikipedia
・映画「風と共に去りぬ」:Ephemeral New York 資料より
・国際連盟脱退を報じる日刊紙:東京朝日新聞 昭和8年(1933)2月25日
・ゴールデンゲート・ブリッジ:1969年 筆者撮影