2025.09.16
小野 鎭
一期一会 地球旅 379 ドイツの思い出(19) ハイデルベルクにて(2)

一期一会・地球旅 379
ドイツの思い出(19) ハイデルベルクにて(2)
ところで、スイス人3人のT/Eのこと、一人は私と同じホテルに泊まるMr. Gredig, 次いで Mr. Weltiともう一人、名前は忘れたがフランス系であった。何しろ半世紀以上前の話、考えてみれば、断片的ではあるがよく覚えているものだと我ながら感心する。それだけ初めてのヨーロッパへの添乗ということで印象が強かったのであろう。
添乗中、ついついこの前はどうであった、こうであったと各地での思いを新たにすることがあったが、お客様にしてみればどこであっても初めての土地。お客さまには自分が初めて味わったときと同じ喜びをしていただけるよう自分自身も真摯な気持ちで臨まなければ、と自らに言い聞かせるようになっていったと思う。その夜は、食事は後でいただくのでお客様と同じ内容の料理をT/Eと合わせて二人分残しておいて欲しいとレストランのマネジャーに頼んであった。そして、やっとグレディックとテーブルに着いた。かなり遅い時間になっていて、レストランは静かになっていたが、窓の外の街灯が淡く庭を照らしていいたことが今も脳裏に残っている。

食事が運ばれてくるのを待っている間にグレディックに言語のことで質問した。スイス人に限らずヨーロッパのT/Eは数か国語を話す人はざら、彼は英仏独西葡、さらにロマンシュ語(スイス東部のサンモリッツなどグラウビュンデン地方で話されることばでスイス4か国語の一つ)も話すと言っていた。彼はどの言葉もふつうに話すと言っていた。そこで、その中でも何語が一番得意なのか、ということに興味があり、夢を見るときは何語で見るの?と質問した。彼は笑っていたが、自分はスイス東部の出身で、普通はドイツ語が多いと答えてくれた。とにかく素朴な希望として、自分もこれから世界各地に出かけるときはぜひ、その地域で使われる言語でせめて挨拶はできるようになりたい、数字は覚えたいと自分自身に誓ったような気がする。

この夜のメニューであるが、蒸した分厚い豚肉のスライスに酢漬けのキャベツ、ザワークラウト、そしてかなりの量の辛子入りマスタードが添えてあった。皿の上にはもう一つ、黒っぽいソーセージが乗せてあり、何だろう?と思いつつ口に含んでみたところ、しょっぱくてざらざらしたちょっと微妙な味。グレディックに聞いたところ、Blut Wurst (Blood Sausage)だと教えてくれた。自分は、何とも苦手で遠慮した。この豚肉料理は、ドイツの家庭料理としても好まれているそうでシュラハット・プラッテ(Schlacht Platte)と呼び、そのまま訳すると屠殺場の皿、何とも物騒な名前であるが、豚肉料理好きのドイツ人には好まれているらしい。フランスでは、ドイツと国境を接するアルザス地方で、Choucroute Alsasienne 「アルザス風シュークルート」と呼び、よく食べられているらしい。パリのシャンゼリゼ近くのレストランでこのシュークルートがあり、寒い時期だったのでこれも記憶に残っている。

さて、この夜泊まったPark Hotel Haarlassであるが、雰囲気と言い、設備・サービスいずれも満足すべきものであったが、唯一の欠点は、ハイデルベルクの中心街からはかなり離れた一軒家であった。一泊のみで夕方チェックインして翌日、そのまま出発するときはそれほど支障はなかったが連泊したり、夕方、町まで出かけようとするとタクシーなどアシ(足)が無くては歩くにはかなりの距離があった。この時が初めての宿泊であったが、それから本格的にヨーロッパへの添乗が増え、ハイデルベルクではポピュラーでオペレーター(現地手配会社)は、よく提示してきた。そこで、これは腹案として、他のホテルを探してもらうことが多かった。

しかしながら、今も印象に残っているということはこのホテルにはその後も幾度か泊ったことがあり、ホテル自体としては割に好きであったと思う。市内で夕食などをとるために往路はタクシーを数台呼んでもらい、旧市街の中心部にあるマルクト広場または聖霊教会の前などを指定してそこまで行ってもらうことにした。そこから旧市街などを散歩して学生牢や大学本部など名所をまわってレストランに落ち着くというやり方をとった。食後は、近くにあるタクシー乗り場からそれぞれ帰っていただくことにした。町の中心部の旧市街には、学生たちでにぎわった学生酒場と呼ばれる酒場やレストランなどがあり、その中には有名な赤い雄牛亭(Roter Ochen)もある。当時は医療関係視察団の添乗でもこの町にはよく来たが、その中にはドイツに留学された方もあり、ドイツ語が達者な方もあったし、この町の中心部にある大学関係の建物や名所は人気があった。高台にある古城のテラスから眺める町の風景、対岸の山の中腹に伸びる「哲学者の散歩道」など先生方にとってはドイツと言えば、やはり、若いころを思い出されていっそう旅情を高めたのであろう。

一方では、町の中心部にある比較的小さなホテルで歴史的な建物もあり、少人数で泊まるには好都合でよく利用したこともある。Zum Ritter(騎士の館)という16世紀に建てられた古い建物のホテルもあった。今回、これを書くにあたり、調べてみたところ、先のコロナで、経営危機となったことが地元紙(Rhein Neckar Zeitung)で報じられていたそうだが、最近のホテル案内では、B&B(Bed & Breakfast)として載っているので敗者復活というところであろうか。また、比較的潤沢な旅行であれば、伝統的なホテルとして、Hotel Europäischer Hof があり、このホテルに泊まるときはチェックインも楽しみであった。今も、この町の代表的なホテルの一つとして紹介されている。

初めてのヨーロッパ添乗で印象深かったPark Hotel Haarlassはその後、どうなったのだろうと今回調べてみたころ、ホテル案内には紹介されていないが、白黒の絵葉書で紹介されており、きっと往時を懐かしむ人もあるのだろう。同様に、Hotel Stiftsmühle(修道院の風車または水車)も絵葉書で紹介されている。数十年経った今、ホテル選びで苦労したり、いざ泊まるとなるとどうやってお客様にこの町で楽しい時を過ごしていただくにはどうすれば一番具合が良いだろうと考えたり、あちこちご案内したことが懐かしく思い出される。(以下、次号)
《写真または地図、上から順に》
・スイスの言語地図、濃い黄色部分がドイツ語圏:Wikipedia より
・シュラハット・プラッテ(Schlachat Platte):Wikipediaより
・Park Hotel Haarlassのラベル:eBay資料より
・Zum Roter Ochsen (赤牛亭):Heidelberg Arrival Guide より
・Zum Ritter Hotel : City Map of Heidelberg より
・Park Hotel Haarlassの絵葉書:Heidelberg Post Cardより