2026.03.23
小野 鎭
一期一会 地球旅 405 初めての世界一周添乗(5)ワシントンDCとシカゴにて
一期一会・地球旅 405
初めての世界一周添乗(5)ワシントンDCとシカゴにて
ニューヨークのラ・ガーディア(LGA)空港からワシントンDCのナショナル空港(DCA)へ飛んだ。この空港は、その後、1998年に元大統領ロナルド・レーガンに因んでロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港という長い名前に替わっている。NHKなどでは、「レーガン・ナショナル空港」と呼んでいるが、地元では今も「ナショナル空港」と呼んでいるとのこと。ワシントンはニューヨークと違って高層ビルがない。ガイドの説明によると連邦議事堂より高い建物は建てられないとのこと。しかも計画的に作られた町であり、ゆったり、そして、すっきりした市街が広がっていた。但し、ガイドの説明にあった建物の高さ制限は、よく言われる通説であって、正しくはないらしい。実際には、1910年制定の「建築物の高さ制限法」(ワシントン市の規則?)により、建物の高さは道路幅(一般的には130フィート=約39.6m)との対比によって制限されている。従って、連邦議事堂とワシントン記念塔(共に1910年以前の建設)が際立って高い建物ということになり、低層建築のスカイラインが維持されているとのこと。厳密にいえば、連邦議事堂より高さが高い聖堂(National Shrine of the Immaculate Monument)もある。通説は巷で言われる解釈であって、やはり、正しくないこともあるという一例かもしれない。
アーリントンの国立墓地には、1963年に暗殺された故ケネディ大統領の墓地があり、あの衝撃的なニュースを思い出し、団員の先生方と一緒に頭を下げたことを思い出す。墓所を囲む低い壁には、ケネディ大統領が就任演説で述べた文章のうち、“And so, my fellow Americans : Ask not what your country do for you – ask what you can do for your country.”「邦訳:故に、国が諸君のために何ができるのかを問わないで欲しい ― 諸君が国家のために何ができるかを問うて欲しい。」と刻まれており、先生方はじっと読んでおられた。墓碑の前には、永遠の灯(Eternal Flame)が燃えていた。この後も、ここにグループをご案内するたびに、団員各位がこの文章に目をやり、中には声に出して読む人もあった。あれから数十年、今もこの墓に詣でる人たちは、この文章を読んでいるのだろうか。加えて、ケネディ大統領の弟ロバート・ケネディ司法長官も1968年に暗殺されており、大統領の墓の近くに眠っている。
リンカーン記念堂(Lincoln Memorial)の建物の正面には、一直線に伸びた細長い池(リフレクティング・プール)とナショナルモールの中ほどにワシントン記念塔、その向こうに連邦議事堂のドームがそびえている。私たちが訪れたのは1969年であるが、その6年前、1963年8月にマーティン・L・キング牧師の呼びかけで全国から多数のアフリカ系アメリカ人がワシントンDCに集結し、公民権運動のピークとなったワシントン大行進が行われた場所であった。しかも、キング牧師は1968年に暗殺されており、ベトナム戦争への反戦運動がさらに高まるなど、アメリカ社会を揺るがす大きな事件が続発した時代であった。ガイドの説明に耳を傾けてワシントンDCの美しく静かな街並みを眺めながら、それでいて激動のアメリカを信じられぬ思いで見る感じであった。
実は、私たちがワシントンDCのリンカーン記念堂を訪れて3か月後の1969年10月から11月にかけて、この場所はベトナム戦争の早期終結を求めるための抗議活動の中心地となり、モラトリアムデモの際にはその活動がひときわ顕著であったことが報じられている。記念堂の階段やその前のリフレティング・プール周辺は抗議活動の参加者で溢れ、ニクソン大統領が11月15日の早朝、ここを電撃訪問し、学生デモ参加者と対話したとのこと。今も、アメリカ社会が大きく揺れ動いていることを如実に感じたことを思い出す。
実は、私たちがワシントンDCのリンカーン記念堂を訪れて3か月後の1969年10月から11月にかけて、この場所はベトナム戦争の早期終結を求めるための抗議活動の中心地となり、モラトリアムデモの際にはその活動がひときわ顕著であったことが報じられている。記念堂の階段やその前のリフレティング・プール周辺は抗議活動の参加者で溢れ、ニクソン大統領が11月15日の早朝、ここを電撃訪問し、学生デモ参加者と対話したとのこと。今も、アメリカ社会が大きく揺れ動いていることを如実に感じたことを思い出す。
ワシントンDCからシカゴへ飛んだ。オヘア国際空港は、アメリカを代表する大型空港の一つであり、ハブ空港として一日中航空機が離発着している。この町には、アメリカ医療と病院関係の中枢が集まっている。ここでは、シカゴ郊外のエルジンと呼ばれる町にあるシャーマン病院を訪ねた。一帯は大都市シカゴの衛星都市と言えばいいのだろうか、美しい住宅地が広がり、この病院は、循環器系疾患治療ではアメリカでも知られた高度施設であったらしい。今もこの病院は非営利のAdvocate Sherman Hospitalとして高度な医療サービスが行われているとある。シカゴには、アメリカ病院協会(AHA)、アメリカ医師会(AMA)の本部があり、その後も、病院医療評価合同委員会(JCAHO)という組織も訪問したが、医療や看護関係の視察や研修、福祉関係施設などの見学も含めてシカゴは30回以上訪れていると思う。
シカゴはアメリカの航空や鉄道など交通の中枢であるだけでなく、穀物など商品取引の一大中心地でもあり、自分にとっては視察や研修などでとても興味深い町となっていった。この町は、ミシガン湖畔に位置しているが、湖そのものは海と言ってもいい大きさであり、アメリカの湖の桁違いの大きさに驚いた。町の中心部には、頭の上をLoopと呼ばれる高架鉄道が通っており、かなりクラッシックで小型の電車が走っている。調べてみると19世紀末に建設されたそうでシカゴに行くと時々利用した。1980年代に経営危機の時代もあったが歴史的建造物の保存の観点からもいまは安定して市民の足として使われているとのこと。
ところで、街の中心部にはマグニフィセント・マイル(驚きの1マイル)と呼ばれる洒落た通りがある。言わば銀座通りのようなところと言っても良いだろう。この通りには、私なりに心に残る二つのビルがある。その一つが、リグレイ・ビル。チューインガムで名高いリグレイの本社ビルとして、1921~4年に建設されている。私たちがシカゴを訪れた69年では、まだ建設後45年くらいしか経っていなかったが白く輝くビルの美しさを称して、ガイドはリグレイのチューインガムを噛むと歯がこのくらい白くなるといっていたことが思い出される。今回、この項を書くにあたり、もう一度調べてみると今はこのビルはリグレイ社から別の所有者に替わっているがビルそのものは今もシカゴ市内の有名ビルとして知られているとある。
もう一つは、ミシガン・アベニュー875番地、(旧称ジョン・ハンコック・センター、現在でも一般的にはその名前で呼ばれているそうです)。100階建ての超高層ビル、1968年11月に完成しているので私たちがシカゴを訪れた時には実際に見ているはずであるが確かな記憶はない。当時は、ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルに次いで世界で2番目に高いビルであり、シカゴでは勿論、最も高いビルであった。屋上にはアンテナが立っており、その頂点までの高さは475mである。前述したように、シカゴは医療や看護、福祉関係、建築関係などで幾度も訪れている。このビルの43階まではオフィスビルであり、44階にスカイロビー、それよりも上の階には700戸のコンドミニアムがある。その一室に20年近くにわたってお世話になった方が住んでおられたのでシカゴに行くたびによくお邪魔していた。ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルやかつてのワールド・トレード・センターもよく訪問したが、ジョン・ハンコック・センターの上層階は、日本でいえばタワーマンションのそのものであり、その一室にお住いのその方をグループ全員で邪魔することが多かった。そんなわけで、私が、シカゴ、否、アメリカでもっとも親しみを覚えていたビルである。このことについては、別の機会に改めてもう少し詳しく書かせていただこう。(以下、次号)
《資料》
・ワシントンDCの建築物の高さの制限法(Height of Building Act – 1910): Wikipedia
・雇用と自由のためのワシントン大行進 1963年8月23日(The March on Washington for Jobs and Freedom) : Wikipedia
・ベトナム戦争終結へ向けたワシントンDCでの大規模デモ 1969年11月15日
(Large Moratorium March in Washington, D.C.to End the War in Vietnam):Wikipedia
・ミシガン通 875番地(John Hancock Center):875 Michigan Avenue資料より
《写真、上から順に》
・ポトマック川とワシントンDC中心街、森の向こう側の高い塔がワシントン記念碑:1997年11月 筆者撮影
・アーリントン国立墓地のケネディ大統領の墓地、黒いのが墓銘碑。中央、ガイドの左が筆者:1991年5月 撮影
・ワシントン記念塔とリフレクティング・プール:1980年代 筆者撮影
・ベトナム戦争終結へ向けた大規模デモ:ABC News資料より
・平成3年度 社会保険病院等看護事情視察団 イリノイ州立大学メディカルセンターにて 前列右端が筆者:1991年10月
・リグレイ本社ビル:Wikipedia より
・シカゴ中心部の高層ビル群、左側の高いビルがジョン・ハンコック・センター:1970年代 筆者撮影