2026.07.20 小野 鎭
一期一会 地球旅 422 ドイツからオーストリアへの思い出、ミュンヘンからウィーンへ(4) ザルツブルクにて2
一期一会・地球旅 422 
ドイツからオーストリアへの思い出、ミュンヘンからウィーンへ(4) 
ザルツブルクにて② 
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1988年はザルツブルクを2度訪れていることを思い出した。この年、4月、航空会社の招きでザルツブルクとハンガリーのブダペストを観光面からかなり詳しく見学することができた。メンバーは、旅行会社の中堅社員など10数名に航空会社の営業担当者が1人、随行した。中には、日ごろの勤務ぶりなどが評価されてご褒美にヨーロッパ旅行に行かせてもらったという人もあった。私は、すでに130回以上の海外添乗経験があることを自己紹介で語ったところ、ずいぶん驚かれたことを思い出す。ザルツブルクはすでに数回訪れたことがあるが、観光面で集中的に見学したことはなかったし、ホテルやレストランなども幅広く案内してもらったことはとてもうれしいことであった。加えて、ザルツブルク東方のザルツカンマーグート地方を見学できたことはとても有難かった。事実、それ以後、オーストリアを6~7回訪れており、それまで以上にこの地域で時間をとって観光や保養地の視察をプログラムに織り込んだ。社でも今まで以上にオーストリアやハンガリーを意識することにつながって行ったと思う。それまでの西欧主体の旅程から中欧も意識することが多くなっていたことは事実である。加えて、1960年代に製作されたミュージカル映画「Sound of Music」が話題の一つとして取り上げられることが多かったし、観光面では映画のシーンを思い出したり、実際にその場所を訪ねることも多かった。
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モーツァルトの街と呼ばれるザルツブルクは彼を天才として称えると紹介されている。本年、西暦2026年は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトの生誕270周年を迎えると大々的に宣伝されている。この町は文化、音楽、芸術の舞台へと変貌する。今年はいつもの年以上にモーツアルトに関するイベントが催されていることだろう。「音楽の都」とも呼ばれるザルツブルクはこの町にゆかりのある音楽家に因む名所がたくさんある。地名では、モーツァルト広場やこの町で生まれた指揮者カラヤンの家もある。新市街にあるモーツァルテウム(国際モーツァルテウム財団)はさらに多忙であるに違いない。とにかく、この町を訪れるときは、何といっても音楽に関することを調べておくことも楽しい。但し、毎年恒例の「ザルツブルク音楽祭」が行われる夏の期間は音楽関係者だけでなく、さらに旅行者が多くホテルなど宿舎の確保に苦労する。視察などでオーストリアを訪れるときは逆にザルツブルクは敬遠せざるを得なかった。
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忘れられないのは、観光関係研修で訪れた時、夜のアトラクションでクラシックのコンサートに招待されたことである。会場はザルツブルク祝祭大劇場(Festspielhaus in Salzburg)であった。プログラムもさることながら興味深かったことは、この大劇場そのものであった。旧市街で大劇場を建設するための土地探しに難航、メンヒスベルクの岩盤をくりぬいて建築された。ステージの大きさは世界最大級で最大横32m、高さ9m、であり、さらに舞台裏には横100m、奥行き25mの広大なスペースが確保されているという。ザルツブルク音楽祭のメイン会場でもあり、私たちはこのホールでのコンサートを鑑賞することができた。昼間のセーターとジャンパーにジーンズ姿からネクタイを締めてスーツ姿で席に着いたことも懐かしく思い出される。肝心の曲目は忘れてしまっているのはお恥ずかしい限りである。祝祭劇場と並んで「モーツァルトのための劇場」(Haus für Mozart)もある。2006年、モーツアルト生誕250周年を記念してそれまでのザルツブルク祝祭小劇場(Der Kleine Fiestspielehaus)はモーツァルトのための劇場へと改称されたものである。日本では、モーツァルトの家とも呼ばれることがあるのでモーツァルトの生家(Mozarts Geburtshaus)ではないので要注意である。二つの劇場はメンヒスベルクの岸壁を背にして細長く連なっており、独立した大きなホール状の建物ではないことも知っておきたい。
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さて、2002年の還暦ヨーロッパではウィーンからザルツブルクへ向かったが途中でアウトバーンを下りてザルツカンマーグート方面へ入って行った。初めてミュンヘンからウィーンへ向かった1969年、これも正に初めての世界一周の医療事情視察団であった。ザルツブルクで昼食を摂り、再び、走り出して間もなく、ドライバーはこの先から南の山間に入っていくとザルツカンマーグート地方という美しい景色が広がっていると説明してくれた。しかし、具体的には想像がつかず、ドライバーの案内をそのままマイクで車内に伝えたがほとんどの先生方は昼食のワインで午睡の真っ最中、ろくに聞いていただけなかったと思う。その後も1,2回同じコースを走ったことがあり、ザルツカンマーグート地方の景勝については実際に見る機会が無かったので想像の域を出なかった。観光情報研修で訪れたときは、4月であったのでまだ雪をかぶった山々は冬枯れの景色であったので良くは分からなかった。しかし、温泉保養地などのことはドイツやスイスなど各地で見聞していたのでおおよその想像は付いていた。「Sound of Music」も幾度か見ていたのでなおのこと、自分自身訪れてみたいと思っていた地域であった。 
ハプスブルク家やハプスブルク帝国についての研究で知られた江村洋氏の著書にはこの地、特にバッド・イシュルがたびたび出てくるし、この町を加賀美雅弘氏の「ハプスブルク帝国を旅する」では、フランツ・ヨーゼフ皇帝がこよなく愛した温泉保養地と書いている。さらに、この地域の特徴として、「ケルト語で塩を意味するハルの名を冠する町ハルシュタットはアルプス有数の大規模な塩抗を擁する。その南にそびえるダハシュタイン連峰は、石灰岩の白っぽい地肌とそれを刻む深い雨裂が荒々しさを演出している。この一帯、森と湖が織りなす風光明媚な国際的観光地ザルツカンマーグートはまさしく塩の山地なのである。」と紹介している。この地方にあるトラウン湖を船で運ばれた岩塩は、グムンデンの町で鉄道に積み替えられてボヘミア(今のチェコ)のチェスケー・ブジョヴィーツェに輸送されたとある。19世紀前半であり鉄道とは、ここでは、馬車鉄道であった。「19世紀後半には、馬車鉄道は蒸気鉄道に替わり、ザルツブルクとチェコのプラハを結ぶかつての『塩の道』がプラハとザルツブルクという国際的観光地を結ぶルートとして利用されている中で馬車鉄道も新たな歴史的遺産として脚光を浴びつつある。」と加賀美氏は続けている。そんなかつての塩の道を私たちはバスで走り、「皇帝の町」バッド・イシュルに向かった。ところで、この塩の道のボヘミア側の終点チェスケー・ブジョヴィーツェはチェコのビールの名産地でもあり、これを巡っての話があるが、それは別の機会に紹介させていただこう。(以下、次号) 

《資料》 
・モーツァルトの街と呼ばれるザルツブルク:Salzburg Info. 
・ザルツブルクとボヘミアを結ぶ馬車鉄道:加賀美雅弘著 「ハプスブルク帝国を旅する」講談社現代新書 

《写真、上から順に》 
・ザンクトカンマーグート地方・ヴォルフガンク湖:2005年 筆者撮影 
・ヘルベルト・フォン・カラヤンの生家(ザルツブルク市内):2005年 筆者撮影 
・ザルツブルク祝祭劇場:2005年 筆者撮影 
・トラウン湖畔にて 還暦記念ヨーロッパ旅行、前列右端が筆者:2002年 撮影 
・バッド・イシュルとトラウン川 : 2002年 筆者撮影 
・ザルツカンマーグート地方とボヘミアを結ぶ馬車鉄道:Europeense 資料より