2026.08.31
小野 鎭
一期一会 地球旅 428 ドイツからオーストリアへの思い出、ミュンヘンからウィーンへ(10) またまたウィーンにて3
一期一会・地球旅 428
ドイツからオーストリアへの思い出、ミュンヘンからウィーンへ(10)
またまたウィーンにて③
カールスプラッツ駅の 近くには、ゼツェッション会館(Secessiongebäude=分離派会館)があり、白亜で直線基調の建築には金色を効果的に用いて動植物をモチーフとした彫刻が施されている。正面上部には月桂樹のドームを頂き、その姿から「金のキャベツ」という別名を奉られている。19世紀末から20世紀初頭にかけて、グスタフ・クリムトなどの芸術家や建築家が保守的な芸術家協会から脱退、ゼツェッション(分離派)の名前で新たな芸術団体がを結成された。正式な名称は、オーストリア造形芸術家協会(Vereinigung bildender Künstler Österreichs)。そして1898年に同名の建物が完成した。現在は、ウィーンでもっとも著名な建物の一つに数えられている。
この建物の地下には、クリムトのベートーヴェン・フリース(Beethoven Fries)という作品が展示されており、ベートーヴェンの第九交響曲を視覚的に解釈して表現したものとして知られている。建物の入り口には、ゼツェッションのモットーである「Der Zeit ihre Kunst, Der Kunst ihre Freizeit」={時代にはその芸術を、芸術にはその自由を}という言葉が掲げられている。建物の入り口には、「Ver Sacrum」=「聖なる春」、芸術の新しい開花や青春を意味しており、分離派が発行していた機関誌の誌名にもなっていたという。
オットー・ワーグナーのことについて調べているうちに、Otto Wagner und sein umfassendes Erbe für Wien.というYouTube が出てきた。「オットー・ワーグナーと、彼がウィーンに残した数々の偉大な功績」というタイトルらしい。多くの著名な建造物や都市景観上の多くのものが彼の作品であることを改めて知ることができる。地下鉄の駅や様々な建造物が紹介されている。ウィーン郵便貯金局やマジョルカハウスは、「ウィーンの歴史地区」が世界遺産として登録されており、その構造物件の一つとして紹介されていたので知ってはいたが、それ以外にもたくさんの建物や街路、高架橋など市内中心部にたくさん紹介されている。動画のダイアログがドイツ語であるがテロップを見ると中心街には今もたくさんの建物など建造物が残されていることがわかる。市内見学でもよく見かけた風景であり、いまさらのごとく、オットー・ワーグナーがウィーンの市街地の都市計画などに深く携わっていたことがわかる。何やら、ウィーンの建築物察報告のようになってしまい、恐縮です。
ここまで来るとかなり疲れたので国立歌劇場(オペラ座)近くのザッヒャーホテルのカフェに寄った。名物のザッヒャートルテとウィンナコーヒーで一休みしたのも楽しい思い出」。2005年の「いやしの旅」でもここに寄ったことが思い出される。今回は、最初の夜にも訪れたオペラ座からケルントナー通りを歩いていくと聖シュテファン大聖堂の尖塔が見えてくる。市内には、古い建物ではバロック式が多いと言われているが大聖堂はそのずっと前の時代、中世からあり、建造物の代表格といわれている。最初はロマネスク様式で建造されていたが、途中からゴシック様式として改修されて全体が建てられたとのこと。見事な尖塔が立っているが元はもう一本建てられる予定であったが資金難などからこちらは建設が中止され丸屋根として建てられている。
大聖堂は、ウィーンのシンボルであり、同時に町の中心でもあるという。地図を見ると大きな五角形の中心街の真ん中にあることがわかる。大聖堂の屋根には様々な色合いの瓦でオーストリア・ハンガリー二重帝国の紋章である双頭の鷲、さらにウィーン市とオーストリアの紋章が描かれている。第二次大戦後の共和国の復興の象徴であり、ウィーンのアイデンティティでもある。但し、ハプスブルク帝国の代々の皇帝や一家のための墓所としては、中心街にあるカプツィナー教会の地下に皇帝と一族の墓所があり、ここに1633年以降の皇帝家の人々150人の棺が納められて永眠の地になっているとのこと。(Vienna Info. より) 因みに、日本の場合、天皇・皇后の墓所は陵(みささぎ)、その他の皇族は墓所と呼ばれ全国に散らばっており、すべて宮内庁が管理しているとのこと。近代以降は、東京や京都などに造営され、東京は大正天皇が多摩御陵、昭和天皇が武蔵野御陵、明治天皇は伏見桃山御陵とのこと。ハプルブルク帝国の皇帝のお墓について調べているうちに、興味を覚えて日本の天皇家のことまで話を広げてしまった。
ウィーンの旧市街一帯とバロック建築でも代表的なベルヴェデーレ宮殿などが含まれる「ウィーンの歴史地区」が世界文化遺産として登録されている。近年、登録範囲内に高層ビル建築を含む再開発計画が問題となって2017年に「危機遺産リスト」に記載されていた。その後、開発計画などが改められ、2026年、危機遺産リストから削除されたそうである。今後も中心街の交通問題や再開発などは慎重に進められて、世界遺産の決まりである「顕著で普遍的な価値(OUV)」を維持し、整合性を確保するための取り組みが継続されていくことであろう。
旧市街や歴史的な景観美が交通混雑を解消するため、あるいは再開発のための都市計画の一環として建設計画が進められていくと、歴史的な価値が失われるとか景観美が損なわれることがある。そのため、世界遺産の顕著で普遍的な価値が大きく損なわれたりすることによって危機遺産リストに記載されたり、極端な場合は、世界遺産リストから抹消されるという例もある。現に、英国の「海商都市リヴァプール」は再開発計画が優先されるとか新サッカースタジアム建設などの工事が優先されて2017年に世界遺産リストから抹消されている。一方では、スペインのセビーリャのように、高層ビル建設計画が持ち上がってきたことから「セビーリャの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館」が危機遺産リストに記載される懸念があった。しかし、この建物は、世界遺産登録範囲の外側にあたるバッファーゾーン(緩衝地帯)のさらに外側に建設されるということで景観を乱すことの懸念が解消され、危機遺産リストへの記載は行われなかったという例もある。このように世界各地で開発や景観の悪化、戦争や紛争、自然破壊などから世界遺産の顕著な普遍的価値が失われる危険があるということは人間社会のせめぎあいでもあるということかもしれない。(以下、次号)
《資料》
・ゼツェッション会館(セセッション館Secessiongebäude=分離派会館):Wikipedia
・ウィーン分離派(Wiener Secession)=オーストリア造形芸術家協会=Vereinigung bildender Künstler Österreichs):Wikipedia
・オットー・ワーグナー(Otto Wagner):Wikipedia
・シュテファン大聖堂:Vienna Info.
・世界文化遺産「ウィーンの歴史地区」:NPO 世界遺産アカデミー発行「すべてがわかる世界遺産1500下」
「オットー・ワーグナーと、彼がウィーンに残した数々の偉大な功績 「オットー・ワーグナーと、彼がウィーンに残した数々の偉大な功績」
《写真、上から順に》
・ゼツェッション会館(Secessiongebäude): 2011年筆者撮影
・ゼツェッション会館入り口「Ver Sacrum」=「聖なる春」:2011年筆者撮影
・Otto Wagner und sein umfassendes Erbe für Wien. 「オットー・ワーグナーと、彼がウィーンに残した数々の偉大な功績」(動画):Wien ErLebenより
・ザッヒャーホテルのカフェにて いやしの旅のメンバー:2005年筆者撮影
・聖シュテファン大聖堂:2011年筆者撮影
・ベルヴェデーレ宮殿庭園と下宮&ウィーン旧市街方面:2011年筆者撮影
・海商都市リヴァプールの港湾地区一帯:Wikimedia Commons