2026.08.03 小野 鎭
一期一会 地球旅 424 ドイツからオーストリアへの思い出、ミュンヘンからウィーンへ(6) ザルツブルクにて4
 一期一会・地球旅 424 
ドイツからオーストリアへの思い出、ミュンヘンからウィーンへ(6) 
ザルツブルクにて④
image.png
ザルツブルクのランドマークはやはりホーエンザルツブルク城塞であろう。旧市街を見下ろすようにメンヒスベルクの丘の上に要塞として11世紀に造られて次第に拡張され、16世紀にさらに大きく拡張されて現在みられるようなかたちになったとある。ヨーロッパの中世の城塞としては完璧に保存された稀な例となっている。この城からの眺望は市街地側の眺めと共に、ブルクホーフ(城の中庭)と言われる南側の眺望も美しく、ウンタースベルク山がきれいに見渡せる。絵葉書やカレンダーなどでもよく紹介されている。この城の中庭にあるレストランで夕食をいただき、この城で行われるコンサートを聴きに行ったことがある。数世紀前の城塞の中に造られたステージでは、この町で学ぶ音楽家や声楽家を目指す学生たちが演奏している。この時は、夕食後とはいえ、まだまだ日も高く、暑さに参って途中で引き上げるメンバーもあり、ステージのミュージシャンたちに頭を下げて、辞したことが思い出される。
image.png

メンヒスベルクの丘から少し下っていくと、ノンベルクの尼僧院がある。1471年に完成したとあるが、もとは、紀元700年に創設されたそうである。映画、Sound of Musicでは、主人公のマリアが修道女を目指して学んでいたところとして紹介されている。クライマックスではこの修道院のシスターたちが大活躍し、修道院長が「すべての山に登れ」(Climb every mountain)を朗々と歌う姿が思い出される。旧市街には、聖ペテロ修道院のレストランとして、St. Peter Stiftskellerがある。レストランの資料を見ると、西暦803年から1200年以上にわたって、ヨーロッパ最古のレストランとしていまも素晴らしいお料理で皆様をお待ちしていますとある。幾度か夕食を楽しんだことがあり、この町の名物ザルツブルカー・ノッケルン(Salzburger Nockerln)がテーブルに運ばれてくるとその大きさに驚く。しかし、いつの間にか完食してしまう!やはり、デザートは別腹ということかも?
image.png
還暦ヨーロッパもいやしの旅もともに市内中心部にあるSheraton Hotelに泊まっている。ホテルはクアパークに面しており、公園を抜けていくとそのままミラベル庭園に続いている。市内見学では、ガイドの案内でそのままここから歩いて行ったことを思い出す。園内には同名の宮殿があり、由来を調べると興味深い。世界遺産オンラインガイドで次のように紹介されている。
image.png
ミラベル宮殿は、17世紀初めに大司教ヴォルフ・デートリッヒ・フォン・ライテナウが愛人サロメ・アルトのために建てた宮殿で、創建当初は、愛人アルトの名に因んで「アルテナウ宮殿」と名付けられていた。1611年に大司教デートリッヒが失脚すると、後任の大司教によって「ミラベル宮殿」と改名された。この宮殿は、1818年に大火災に遭い、大部分を消失した。現在の建物は、その後再建されたもの。その大火災の中でも残った部屋もあり、それが宮殿内において、見どころの一つでもある「大理石の間」。この大理石の間は、ザルツブルクが生んだ神童モーツァルトが演奏を行った場所で、現在も、定期的に演奏会が開かれている。 

大司教の権力には驚くばかりだが、この機会に改めて、ザルツブルク大司教領について調べてみた。いろいろな資料から拾い読みから書いてみたい。
image.png
ザルツブルク後に司教座がおかれたのは、7世紀。司教とは、カトリック教会における位階の一つで、司教区を監督する聖務職とある。8世紀末には大司教座に昇格され、教会内での権威を確立するだけでなく、広範な所領を獲得し始めた。さらに神聖ローマ帝国において、皇帝にのみ従属し、領内において独自の法、貨幣鋳造権、軍事権を行使するようになった。このころから「ザルツブルク大司教領」という政治的な実体としての性格を強めていった。この大司教領の経済的な基盤は、「塩」の生産と金・銀などの鉱業であった。ハルシュタットはじめ、領内各地で古くから岩塩が採掘されており、大司教領は繁栄した。この豊かな財源により、大司教は豪華な宮殿や教会を建設し、文化芸術を振興するうえで大きな役割を果たした。 17~18世紀、ザルツブルクにはバロック様式の壮麗な建築 と音楽文化が栄えた。ザルツブルク大聖堂やミラベル宮殿の拡張など都市の景観が大きく変貌した。また、この地でウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが生まれ、幼少期を過ごした。歴代の大司教は、芸術のパトロンとなり、多くの音楽家や芸術家を庇護した。
image.png
しかしながら、19世紀の始め、ナポレオン戦争により、神聖ローマ帝国の解体と聖界諸侯領の終焉をもたらし、ザルツブルク大司教領は世俗化され、その領土はハプスブルク帝国に帰属した。一時的にバイエルン王国領となるなど変遷を経て最終的には1816年、オーストリア帝国領となった。これにより、800年以上にわたったザルツブルク大司教による世俗統治の歴史に幕が下ろされた。(以下、次号) 

《資料》 
・ホーエンザルツブルク城塞:Salzburg Info. & Wikipedia 
・聖ペテロ修道院のレストランについて:St. Peter Stiftskulinarium資料より 
・ミラベル宮殿と庭園:Salzburg Info. & Wikipedia 
・ザルツブルク大司教:Salzburg Info. & 世界遺産オンラインガイド 

《写真、上から順に》 
・The Sound of Music : ザルツブルクの絵葉書より。 
・ザルツブルク・ノッケルンを楽しむ。:2011年 筆者撮影 
・ミラベル庭園と遥かにホーエンザルツブルク城塞:2005年 筆者撮影 
・還暦記念ヨーロッパ旅行一行、ミラベル庭園にて、背景はミラベル宮殿、後列右端が筆者:2002年撮影 
・ホーエンザルツブルク城塞の中庭から見たザルツブルク大聖堂と旧市街:2011年 筆者撮影。 
・レジデンツ(大司教宮殿)広場に見られる世界遺産のマーク:2005年 筆者撮影