2026.09.14 小野 鎭
一期一会 地球旅 430 ドイツからオーストリアへの思い出、ミュンヘンからウィーン(12) またまたウィーンにて5
一期一会・地球旅 430 
ドイツからオーストリアへの思い出、ミュンヘンからウィーン(12) 
またまたウィーンにて⑤
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ホイリゲで心地よいひと時を過ごして市電でホテルに戻り、これが今回の最終夜。 

荷物を整理したり、帰国準備をしていたところ、息子が突然、このホテルに作曲家ブルックナー(Anton Bruckner)がよく泊まっていて、今でもBruckner Suiteという部屋があるらしいと言う。そこで翌朝、行ってみた。336号室にBruckner Suiteという札が掛けてあり、壁にはブルックナーの写真が掛けてあった。もちろん、入室は出来ないがブルックナーはウィーンに来たときは定宿としてこのホテルに宿泊していたのであろう。記念に写真を撮り、ウィーンでの思い出がまた一つ増えたと嬉しかった。 

ブルックナーの定宿について調べているうちにもう一つ興味ある話題を見つけた。東京・神保町にあるクラッシック音楽カフェ Bach Kantaten_ Café Ataraxiaの店主久保田克敏氏の日記の中に「クレデンザ(Credenza)蓄音機と大作曲家アントン・ブルックナーを巡るエピソード」の中に氏がウィーンで滞在されるときの定宿のことが綴られている。クリテンザ(クレデンザ蓄音機)とは、1920年代にアメリカのビクター社が製造した、最高峰の音響性能を誇る大型木製キャビネット型アコースティック蓄音機で通称「クレデンザ」のことであり、久保田氏は、このクレデンザ蓄音機と当時のSPレコードを用いてブルックナーなどクラッシック音楽の歴史的音源を店内で再生し、その魅力を発信していると紹介されている。 

氏の日記によれば、年に一度くらいヨーロッパに行かれるが、ドイツからウィーンへ行き、国立歌劇場で見たい演目を軸に滞在都市と行程を決められるらしい。ウィーンでは、ドゥ・フランスを挙げておられ、ホテルの位置、宿泊料、居心地などいずれも満足しておられるが、それ以外にもう一つ理由があるとのこと。「このホテルと軒伝いに古いアパートがあり、その最上階の一室は19世紀の交響曲大作曲家として名高いアントン・ブルックナー(1824年9月4日~1896年10月11日)の住居だった。つまり、ドゥ・フランスはブルックナーが生活していた場所と最も近い(隣の建物)ホテルということになる。アパートの壁面にはプレートがはめ込まれている。しかし、ここがブルックナーの終の棲家ではなか った」とある。この住まいにいつごろからブルックナーが住んでいたかは書かれていないが「アパートの最上階までは上り下りするだけでも大変であった。そこで、別の住まいを探していたが、その希望は皇帝フランツ・ヨーゼフに届き、ベルヴェデーレ宮殿上宮の管理人用住居を1895年夏の間、無償で提供し、のちにこれは無期限となった。1895年7月4日にブルックナーはここへ引っ越し、結果、未完成となった交響曲第九番の作曲をここで続けた。しかし、引っ越してから1年3か月後の1896年10月11日、ここで亡くなった」という。 

「ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトといったウィーン所縁の作曲家の住居(部屋)は、博物館となり、公開されているところも多いがブルックナーはそうはいかない。『ブルックナー・オタ』でない限り、どうでもいい話だとは思う。しかし、同等の料金と満足度の他のホテルに泊まるなら、断然こちらだ。敬愛する19世紀の大作曲家が住まいしていたすぐ隣で短い時間とは言え、その事実をかみしめながら過ごす、を迷わず選択する。」と書いておられる。氏の日記にはドゥ・フランスのBruckner Suiteについての記述はなく、ブルックナーがこのホテルを定宿としていたのは当然、彼が隣のアパートに引っ越してくるよりも前のことだとは思うがそれについては私たちが滞在中にホテルに確認してはいないので今となっては、調べる余地もない。
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そこで、このホテルについてもう一度調べてみた。ホームページを開くと、生憎、現在は、改装中で別の姉妹ホテルらしいところが紹介されていた。あのクラッシックな外観は多分そのままにして、内部を改造してさらに快適なホテルとして生まれ変わるという。そこであのブルックナー・スィートはこれを機に消えていくのかもしれない。もし、そうだとすれば、それも時の流れということかもしれない。いずれにしても今まで通り、あるいはそれ以上に快適なホテルに生まれ変わるのだろう。自分がもう一度泊ることは考えられないが宿泊料は多分かなりの金額になると思われる。ホテルに限らず、古い建物が改装されて元とは違った目的のために利用されることは幾度か拙著に書いているが、つい最近、懐かしい思いをすることがあった。
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パリ10区にあるレピュブリック広場(共和国広場)に面したホテル、1966年12月、私が初めてヨーロッパへのツアーに添乗して最後にたどり着いたのがここであった。25日間の旅行で、最初にロンドンに入り、ベルギーからドイツ(西ドイツ)、スイス、イタリアと周り、リヨンからバスでパリに着いたとき、ホテルには、会社からテレックスが入っており、「Ato-hitoiki, Gambare!」とローマ字で書いてあった。この広場はパリの名所の一つであり、いずれ、書かせていただく予定ではあるが、とりあえず、このホテルのこと。ホテルは大型の建物で多分、5つ星のランクから言えば、3つ星クラスであったと思う。外観は見応えがあり、内部はクラッシックでフロントには鍵のマークを付けたスタッフが居て、部屋の鍵がずらっと掛けられていた。ロビーには鳥かごのようなエレベーターがあり、自分でドアを開け閉めして網目状のかごが上下する仕組み。エレベーターを取り巻くようにらせん状に階段があった。古いフランス映画でよく見る代物であり、それを見ると昔を思い出す。
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先頃、社のお客様の旅行行程を拝見していたところ、パリでは、レピュブリック広場に面したHotelとあった。そのホテルはモダンな建物であったが、そのすぐ近くにCrowne Plaza Paris-Republiqueがあることが分かった。その広場は、60年前に初めてパリに着いて泊まった、当時の名前はHotel Moderne・・・が建っている場所であった。このクラウン・プラザ・パリの案内を見ると1866年築の歴史的な建物を利用したエレガントなホテルとして、生まれ変わっていることが分かった。クラッシックな外観は変わらない、しかし、白く輝くような美しさは見事に蘇ったようだった。つまり、私が初めてパリで泊まったあの伝統的なホテルで、それは160年前の建物であり、今は、4つ星ホテルとして今も息づき、輝き続けているということになる。 

以前にも書いたが、例えば、ルーブル美術館は元はと言えば、12世紀、要塞として造られた建物、14世紀には王宮となり、17世紀にルイ14世がヴェルサイユ宮殿に移るとルーブル宮殿はフランス国家の芸術品や財宝類を保管する建物となり、それが今のルーブル美術館になっている。古い建物を長く持ち続けて、内部を改造しながら時代に合ったかたちで使い続けるフランス人、あるいはヨーロッパ人の見事なエスプリと建物を蘇生させるための技術に驚き、敬意を表したい。他方、日本では高度経済成長時代に建てられたビルが4~50年を経て次々に壊されて新しい建物が建設されている。中には、古い建物の一部、例えばファサード(建物の正面部分)を玄関部分として、あるいはビルの一部を活かして新しい建物を建設することも見かけるが例としてはそれほど多くはないと思う。地震など自然災害の多い日本では、建築基準など耐震対策がさらに強化されて住宅を含めて多くの建物や超高層ビルが建設されている。それは安心安全を第一として、より効率的に、一方では、日本経済をさらに成長させている要因の一つでもあるだろう。新しく生まれ変わっている建物がより安心して、より快適に過ごせるように、これからも使い続けていかれることを願うのみである。 

ウィーンのホテルが生まれ変わることから飛躍してしまったが、2011年の「ドイツからオーストリアの旅」はそれほど昔ではないこともあって、ずいぶん、いろいろなことを見聞きし、体験してきたことは幸いであったと思う。添乗させていただいた各グループのお客様や、一緒に行った家族に感謝したい。(ドイツからオーストリアの旅はこれで終わり、次はどこへ?) 

《資料》 
・クレデンザ1926x78rpmの邂逅#10~ブルックナー的視点からのウィーン・ホテル・セレクト、そしてシューリヒト、1943年の第9番~:Bach Kantaten _Cafe Ataraxia 久保田克敏 
・Hotel de France, Wien: 同ホテル案内より 
・Crowne Plaza Paris-Republique : 同ホテル案内より 

《写真、上から順に》 
・ホテル・ドゥ・フランスのブルックナー・スイート:2011年 K.Ono撮影 
・アントン・ブルックナーの住まい跡、 Hessgasse 7、01 Wien : Wikimedia 
・ベルヴェデーレ宮殿上宮:2006年 筆者撮影 
・ホテル・ドゥ・フランス:Wikipedia 
・1960年代のレピュブリック広場(Place de la République):Pinterest UKより 
・ホテル・クラウン・プラザ・パリ-レピュブリック :同ホテル資料より