2026.08.10 小野 鎭
一期一会・地球旅 425 ドイツからオーストリアへの思い出、ミュンヘンからウィーンへ(7) ザルツブルクにて5
 一期一会・地球旅 425
ドイツからオーストリアへの思い出、ミュンヘンからウィーンへ(7)
ザルツブルクにて⑤ 
ミラベル庭園は、幾何学模様の美しい花壇が特徴でこの花壇と遥かにそびえているホーエンザルツブルク城塞とのコントラストが素晴らしく、誰もがシャッターを押したくなるザルツブルクで一番の名所と言えるのではないだろうか。この庭園と宮殿のテラスが映画Sound of Musicでのシーンとして登場している。庭園には、マリオネット(人形劇)劇場があり、世界屈指の人形劇場として知られている。看板演目は、ザルツブルクが舞台となった名作映画「サウンド・オブ・ミュージック」や、モーツァルトのオペラ(『魔笛』や『ドン・ジョヴァンニ』などであり、ここでもSound of Musicとモーツァルトがこの町を代表していることがわかるような気がする。そういえば、逆にあの映画の中でも人形劇が登場しており、持ちつ持たれつというところかも。昨年、2025年のザルツブルク音楽祭では、この人形劇場で、ストラヴィンスキーの「兵士の物語」が演じられ、先頃(2026年7月中旬)NHK BSでも放映していた。 
庭園を抜けるとザルツァッハ川に架かる歩道橋があり、その手前に「ヘルベルト・フォン・カラヤンの生家」(Geburtshaus Herbert von Karajan)と彫られたプラク(石板)が掛かっている。歩道橋は、以前はMuseumsteg(博物館歩道橋)、その後、架け替えられて、マカルトシュテッグ(マカルト架け橋)そして2001年に現在みられる橋が架けられ、名誉市民マルコ・M・ファインゴルドに因み、「マルコ・ファインゴルド橋」(Marko-Feingold-Steg)と命名された。毎日、多くの人々が行き交っているが、いつの頃からか橋の欄干と網目状の手すりに「愛の南京錠」が掛けられ始めて膨大な数の南京錠の重さで橋は危険にさらされるようになった。2024年に1万5千個の南京錠が取り外されたがそれは全体の10%であったとのこと。これにより橋全体の重量は2トン軽くなったとか。その後もまた南京錠は掛けられているのだろうか。愛の南京錠は世界的な流行になっているらしいが、橋の崩落の危険にも影響してくるとなると、愛の告白も危うくなってくるということか?。
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橋を渡って旧市街に入っていくと、Sternbräu(星のビール)という地ビールを楽しませてくれるレストランがある。私たちが行った頃は、Sound of Salzburgというショーをやっており、いわばDinner and Showだった。Sound of Musicとモーツァルトのオペラ“魔笛”のメロディなどをテーマとした1時間くらいのプログラムであり、1993年からやっているという。食後にザルツブルクの思い出として楽しいひと時を過ごした。いまは、「Sound of Salzburg Show & Dinner」として独立したディナー&ショーをやっていると案内がある。
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ザルツブルクと言えば、何といってもモーツァルトということになるが他にもマイナーではあるが、フランツ・サーベル・グルーバー(Franz Xaver Gruber)のことが思い出される。オーストリアの小学校教師でオルガン奏者と紹介されているが、世界的に有名なクリスマス・キャロル「きよしこの夜」(ドイツ語原曲“Stille Nacht=静寂な夜)の作曲者として知られている。ザルツブルクに近いオーベンドルフで、1818年、クリスマスの前日、村の聖ニコラウス教会のオルガンがネズミに齧られて壊れていたため教会の助祭ヨーゼフ・モール(Joseph Mohr)は”Stille Nacht”の作詞を書き上げた。そして、村の音楽教師をしていたオルガン奏者のグルーバーにギターで伴奏できる讃美歌を作曲するよう依頼し、急ぎ、完成させた。こうして、1818年12月24日の夜、オーベンドルフの聖ニコラウス教会で “Stille Nacht”が初演された。 

オーベンドルフのこの教会は、1890年にザルツァッハ川の洪水で集落が広範囲にわたって流され、聖ニコラウス教会も破壊された。その跡地に1937年に聖ニコラウス教会記念礼拝堂が建てられ、その傍に「きよしこの夜博物館」(Stille Nacht Museum)が併設され、世界中から観光客が訪れている。私も1988年の観光施設研修でザルツブルクでの研修の一環として、この教会と博物館を訪ねた。クリスマスが来て「きよしこの夜」のメロディを聞くたびにあの小さく素朴な教会のことが思い出される。 

ザルツブルクは、人口15万、オーストリアでは、ウィーンと並ぶ音楽の都であり、観光都市として多くの旅行者を魅了している。この町だけでなく、周辺のザルツカンマーグートなどへの周遊を含めて楽しんだことが懐かしい。2011年の旅行では、お昼ごろ、中央駅からウィーンへ列車で発つことにしていた。息子は、レンタカーを返して列車の出発ホームで会うことにしていたが、レンタカーの事務所までの道がわかりにくかったのか、何か問題があったのか、約束の時間に現れず、ハラハラした。幸い、列車の出発時間の直前に到着し、ほっとした。それにしても、初めてのヨーロッパ旅行でミュンヘンやインスブルックそしてザルツブルクの旧市街や雪道のアウトバーンをベンツで走って私たちを楽しませてくれた息子には感謝いっぱいであった。
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ザルツブルクからウィーンまでは、特急列車で2時間半くらい。途中、オーストリア有数の工業都市であり、ドナウ川に面したリンツを通るが、近代の著名な音楽家アントン・ブルックナーの出身地でもあり、せめて列車の窓から町の様子を見たいと楽しみにしていたのだが、旅の疲れと心地よい列車の揺れですっかり眠り込んでしまい、気がつくとリンツはとっくに通り過ぎていた。ヴァッハウ渓谷とドナウ川沿いの美しい風景が車窓を流れ、そして、メルクの町を通った。メルク修道院がある。マリーアントワネットがフランスのルイ16世のもとに嫁ぐため、1770年4月、ウィーンからヴェルサイユまで馬車での移動、全長1500kmという長旅であった。ウィーンを発って第1日目の宿泊がこのメルクであり、修道院が宿舎として使われた。バロック式で内部も豪華な建物であり、世界遺産「ヴァッハウ渓谷の文化的景観」の構成要素の一つとなっている。
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2006年、高校の同期生有志で「ハプスブルク家の華麗な跡を訪ねる旅」では、メルクからドナウ川遊覧船に乗り、このヴァッハウ渓谷の美しさを楽しみ、船上での昼食を予定していた。この日、チェコのチェスキ・クルムロフを発ってここメルクで乗船することになっていた。ところが、バス移動では、幾つかの理由で予定より30分位の延着であった。すでに船は発っており、止む無く、一つ先の船着場に直行、何とか予定していた船に乗ることができた。しかし、船上では渓谷美を愛でる余裕もなく、ひたすら昼食を摂っていただかざるを得なかったという苦い経験がある。このあたりは、ヨハン・シュトラウスの名曲「美しく青きドナウ」の舞台であり、ドナウ川が重要な交通手段として利用されていた中世には交通の要衝となり、首都ウィーンを守る役割もあったとある。そんな思い出が脳裏を巡りつつ、終着駅ウィーン西駅が近づいていた。(以下、次号) 

《資料》 
・ザルツブルク・マリオネット劇場:Salzburg Info. 
・マルコ・ファインゴルド橋:Wikipedia & 365Austria 
・Sound of Salzburg Dinner & Show : The Sound of Music Show(CD) 
・フランツ・サーベル・グルーバー : Franz Xaver Gruber & Wikipedia 
・きよしこの夜が生まれた町オーベンドルフ:Austria Express 
・世界遺産「ヴァッハウ渓谷の文化的景観」:NPO法人 世界遺産アカデミー発行 「すべてがわかる世界遺産1500下」 
・メルク修道院:Wikipedia 

《写真、上から順に》 
・ミラベル庭園、映画「Sound of Music」 では、マリアと子どもたちがこの庭園で踊っていた。: 2005年 筆者撮影 
・マリオネット劇場で演じられた「兵士の物語」:Salzburger Marionette Theatre資料より 
・ヘルベルト・フォン・カラヤンの生家:2011年 筆者撮影 
・いやしの旅一行、マルコ・ファインゴルド橋のたもとにて:2005年筆者撮影 
・サウンド・オブ・ミュージック ショー:2005年筆者撮影 
・きよしこの夜礼拝堂(Stille Nacht Kappelle):Salzburger Magazine資料より 
・メルク大聖堂:2005年筆者撮影 
・ドナウ川遊覧船にて、ハプスブルク家の栄華の跡を巡る旅:2006年 筆者撮影