2017.05.24
小野 鎭
一期一会 地球旅159 地球の歴史を見に行こう リンデンハウス 秋の東北へ(1)
一期一会 地球旅 159
リンデンハウス 秋の東北へ(1)
これまで、ほとんど海外添乗での思い出を綴ってきた。今回も海外の思い出に因むことであるがここで述べる旅行それ自体は国内、昨秋ご案内した「秋の東北へ」のことを書いてみたい。 東京都西多摩郡日の出町にグループホーム「リンデンハウス」がある。JR武蔵五日市駅からクルマで5分ほどのところにあり、男女7~8人が生活しておられる。平日は日の出町や五日市など近隣の町や市にある会社などに勤務し、ハウスでの共同生活を送っておられる。皆さんは、昨年10月、宮城県松島湾から石巻、南三陸への意義深い旅行をされた。寮長の中島三智子様から国内旅行について相談したい、と連絡をお受けしたのはこの旅行からさかのぼること半年前、4月上旬であった。そうは言いながら、旅行業に半世紀以上従事してきた筆者に対してであっても、形の見えない旅行計画についての相談が突然寄せられるはずもない。何らかの故あってのことであり、そこで旅行の話を始める前に先ず、中島様との出会いのことから始めたい。 これまでにお世話させていただいたたくさんの団体や組織、そして、実際に旅行に参加された方々とのふれ合いや訪問した国とその土地での様々な出来事などを「一期一会地球旅」として、書き始めたのは3年前、第1号は2014年4月9日であった。当初は1年間くらい書いてみるつもりであったが、駄文を書いている間に3年余り、今号で159号となってしまった。これまでに230回余り海外添乗に出かけているが、合計すると延べ日数は、3,319日、つまり、ほとんど9年間は海外の町や村で過ごしたことになり、飛行距離は519万㎞、赤道の周りを129回余り回ったことになる。お取り扱いした旅行はほとんどが公的団体、そして多くは非営利団体の社団や財団法人、あるいは社会福祉法人や教育機関などが企画・主催された視察や研修、あるいは国際会議参加などを目的としたものであった。その団体の携行旅程を綴ったものが手元にある。第1回の地球旅で紹介したので重複することは避けるが、この冊子は、最初のころの数年分は不幸にして旅先で紛失してしまい、切歯扼腕して悔しがったが今となっては取り返しもつかない。幸い、旅行団体の名称や主催者名、あるいは参加者数や大まかな旅行先は記録がある。それを見直すと程度の差はあっても、いずれの旅行もまざまざと思い出すし、毎年恒例の旅行などは一層強く思い出して懐かしさが蘇って来る。 この冊子の綴りは最初のころは「最終旅程」と呼んでいたが、最後の旅行と解釈される方もあり、不評を買っていることに気づき、いつのころからか、「携行旅程」と呼ぶようになっていた。旅行業界用語では、確定書面と称する書類の一部を為すものであり、旅行日程、宿泊ホテル、出発・帰国日の案内、訪問各国の通貨換算表、旅行先での注意事項や旅行のヒントなどが含まれている。特記したいのは旅行参加者の名簿が含まれていることである。名簿にはお名前はもちろん、所属先と職名、住所、電話、さらに多くの場合、個人の現住所と電話番号も書かれていることが多かった。今の時代にあっては個人情報の最たるものであり、団員各位に配布するにしてもお名前と所属先、あるいは職名などにとどめるべきであろう。むしろ、名簿などは別刷りされてマル秘として配布されるのが一般的であろう。それも予め主催団体などを通じて名簿を作成することの了承を得るなど、慎重な対応が求められることは言うまでもあるまい。しかしながら、数十年前の視察や研修旅行では珍しいことではなかったし、企画主催団体でこれを作成するようにと要望されることが一般的であった。 当時はまだパソコンも無ければ、ワープロと称する器具もなく、先ずは手書きで原稿を作り、社内の和文タイピストが原紙を作成し、印刷会社に冊子作成を依頼、旅行出発の10日くらい前までに納品してもらう、という流れであった。通常、一人あたり3部を作成、一冊は旅行に携行、もう一冊は留守宅用、そして他の1冊が勤務先用、という使い方が多かった。つまり、わが社でお世話した旅行団の参加者は圧倒的に何らかの公的な補助や負担、あるいは命によりこれに参加する人が多かったということである。手元にある最古のものは、昭和46年(1971年)の海外医療事情視察団、46年前である。200冊近くの冊子を見るとそれぞれの旅行の思い出がまざまざと蘇って来るし、お客様のお名前を拝見すると今も印象が強く残っている方もある。いつのころかお客様個々に年賀状を差し上げることを始めて、それから毎年ご返事をいただく方も次第に増えてきた。最盛期には社用の年賀状とは別に自費で数百枚を購入して書いていた。一番古い方は、73年に添乗した一カ月間の海外教育事情視察団のお一人、今は多分卒寿を過ぎておられるであろう。今年も元気でやっています、と一言添え書きがあった。これからも変わらず、賀状を交換させていただきたいと願っている。それやこれやで、携行旅程の綴りは、私にとっては何よりもの宝物、これを見る度に自分の生きざまそのものと思うことさえある。