2025.07.07 小野 鎭
一期一会 地球旅 369 ドイツでの思い出(9) ボン:ベートーヴェンの生誕地にて(4)
一期一会・地球旅 369 
ドイツでの思い出(9) ボン:ベートーヴェンの生誕地にて(4) 
 
ボンでの事前調査は、確証は得ないまでも徐々に準備が進んでいるだけでなく、ムッタース氏が私たちのコンサート開催希望の趣旨をとてもよく理解されたうえで各方面へ協力を呼び掛けて下さっていることがとても有難い思いであった。そして、今後の進展を期待して、コンサート終了後のコースを確定するため、スイスへ向かった。 
 
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ボンから鉄道で5時間、バーゼルを経て、訪れたのはスイス中央部のルツェルンで美しい湖畔の町である。湖畔一帯はスイス発祥の地でもあり、湖上遊覧を楽しみ、さらにここから1時間ほどのところにあるティトゥリス山(3238m)までお連れしたいと考えていた。山頂一帯はなだらかな雪山であり、山頂駅(3020m)まで登山電車とロープウェイなどがかかっており、麓からは30分くらいで雲上の世界に到達することができる。山頂駅には大きなレストランがあり、ゆったりしたテーブルからは中央スイス(Zentralschweiz)の雄大は眺望を楽しむことができる。ここのトイレには、1980年代にすでに車いすマークが付けられていたことを知っていたのでここまで車いす使用のお客様をお連れすることができるのだ、と以前から感じていた。 
 
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山の麓にはエンゲルベルク(Engelberg=天使の山)という集落(海抜1,000m)があり、12世紀に創建された修道院を中心に発展してきた村だそうである。小さな湖、牧場や花畑などが広がっている。雄大な山岳風景の麓で新鮮なオゾンをいっぱいに吸いながらきっとコンサートの余韻を反復しながらこの集落でひと時を楽しんでいただけることを願っていた。ティトリス遊覧と言い、エンゲルベルクでの散策と言い、姥山代表にはことのほか、この村を喜んでいただけた。かねてこの村に来たとき宿泊したホテルで休憩し、感想をお聞きしたところ、姥山さんから、ルツェルンもいいけれど、ここエンゲルベルクで過ごす方が私たちのグループにはより楽しんでもらえると思うし、この静かな山里でひと時を過ごす方がずっといいと思う、と感想を述べられた。 
 
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そこで、このホテルのマネジャーに来年このホテルにこういうグループで3~4泊したいと相談したところ、通常の客室(シングル&ツインなど)とは別に、長期滞在用のホリディ・アパートがあり、家族や少人数グループに好評であり、それをお勧めしたいとのこと。加えて、ホテルの地下には温水プールがあり、年中使えるという。そこで、ホリディ・アパートとプールなどを見学したところ、いかにも快適そうな感じ。レストランの一部を使って夕食会を行うとすればパーティー形式にして、スイス・ヨーデラーにも来てもらえば大いに楽しんでいただけると思うとの誘いであった。ゆきわりそうでは、群馬の山荘で夏冬のプログラムがあり、打ち上げなどを楽しまれており、ここでの滞在は、きっと素晴らしいアルプスでの休日になるだろうと期待された。ティトリスのロープウェイ会社の社長はエンゲルベルク観光協会を代表して、かつてスイス観光促進のために日本に来たことがある。その時に私も会ったことがあり、彼らの協力を得ることできっと、エンゲルベルクでこの旅行の打ち上げを大いに盛り上げることができるに違いないと嬉しかった。 
 
こうして、スイスは瓢箪から駒が出たような調査と収穫があった。実際に現地を見ることの大切さと、お客様に見ていただくことで、よりグループが期待される旅行を準備することができるであろうと確信した。 
 
現地調査を終え、準備はさらに具体化していった。航空会社はルフトハンザ・ドイツ航空に120名前後、その中には20名前後の車いす使用の方が予想されるのでそのことについても承知してもらい、今後の協力を得ることの約束を取り付けた。1988年にオーストラリアに初めてゆきわりそうのグループをお連れしてから、ほとんど毎年、オーストラリア、カナダ、アメリカ西海岸、他にも国内では与論島などへお連れしていた実績などが航空会社と交渉するうえでも大きく評価されていることを感じたのもこの時であった。 
 
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その後、現地手配会社の東京事務所を通じて、少しずつ、ボンでの準備について進捗状況が伝わってきた。ケルンのカルイトイザー派教会(Kölner Kartäuserkirche)の合唱団(聖歌隊であろうか)などのグループを交えて合唱団が編成され、私たちの合唱団と一緒に歌うことを約束してくれていること。さらにボンのベートーヴェン・オーケストラなどの伝手であろうかTono Wissingなる若い指揮者が私たちのコンサートの指揮をしてくれることになり、彼が当日のオーケストラのメンバーを選出するため動いていることなどが分かってきた。多くは、ベートーヴェン・オーケストラに所属する演奏家だと思われるが、所属する楽団の名前などは出さないことが条件となっているらしい。ソリストも交渉が進められていることが分かってきた。そして、もう一つの朗報は、会場として、Rheinische Friedrich-Wilhelm-Universität Bonn(ライン・フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ボン大学=通称ライン・ボン大学)の講堂を使わせていただけることである。こうして、様々な条件を満たして、演奏会本番は1993年5月14日、オーケストラとの合唱全体練習は前々日の夕方行われることになった。 
 
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話はいよいよ現実味を覚えてきて、ここで肝心の費用はどのくらいかかるのかが、新たな課題であった。オーケストラ、指揮者、ソリスト、会場使用費等ドイツ側については、Wissing氏が音楽関係費用などを伝えてきた。そこで、私たちの音楽関係者に相談してみたところ、国が違うので判断するのはむつかしいがそれほど高い金額でもなく、良心的な見積もりではないでしょうか、との説明であった。これに加えて、日本からの合唱指導者の雇用費、旅行経費、印刷費、現地諸経費など合算して所要総額を見積もった。この費用については、ドイツへの参加希望者が負担するにしては、かなりの金額になる。そこで、ゆきわりそうでは外部の団体などからの支援を仰ぐため、財団法人東京都文化振興会などへの助成金交付申請を行われた。 
 
92年の暮れにはかなり準備が整ってきた。とは言え、細部にわたってはなお煮詰まっていないところが多かった。そこで、現場の様子を知るため、93年2月に私は単身で再度現地に赴き、細部を見学して詰めをおこなった。こうして、1年半に及ぶ長い準備期間を経ていよいよ5月10日、ドイツへの出発が近づいてきた。(以下、次号) 
 
《写真、上から順に》 
ティトゥリス山頂駅(Klein Titlis) : 1992年5月 筆者撮影 
エンゲルベルク風景 : 1995年5月 筆者撮影 
Treff Hotel Regina Titlis   :  Treff Hotel Regina Titlis 資料より 
Maestro Tono Wissing : ボンに響け、歓喜の歌 記念誌より 
ライン・フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ボン大学 : 同大学資料より