2021.12.02 小野 鎭
一期一会 地球旅 200 ホテルアイガーからの手紙(4)

一期一会 地球旅 200 ホテルアイガーからの手紙(4)

ミューレン続きでもう一つ思い出すことがあるので書いてみたい。 2002年6月下旬、高校の同期生、還暦記念有志でオーストリア、ドイツ~スイス・アルプス旅行。ウィーンからザルツブルクを経てミュンヘンから列車でチューリヒに到り、そこからバスでベルナーオーバーラントへ向かった。このような仲間内の旅行には貸切バスは最適。一面の緑野と美しい集落の風景を車窓に親しい仲間が近く座っては、40年以上前の青春時代に戻ってワイワイガヤガヤ懐かしい話がそこここで弾んでいた。一行は26名、すでに現役を早期引退した人もあれば、割に時間の取れるメンバーもあり、配偶者とともに参加している人もあった。多くは依然として血気盛んな顔ぶれであった。
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 ラウターブルンネンからミューレンに向かう登山電車の車窓からはアイガー、メンヒ、ユングフラウなどいわゆるベルナーオーバーラントの主峰群が初夏の青空と白い雲の下、氷河を抱く谷間などが鈍く光っていた。みんな歓声を上げて絶景に見とれたり、忙しくシャッターを切る様子がほほえましかった。こんな見事な日和であれば案内者は2倍も3倍も得をした気分になる。毎回思うのが山の風景ほど、天候に左右されるものはない。まさに天は吾に味方せり、である。 ホテルアイガーで夕食を終えて、玄関前のテラスに出ると深い谷間を挟んでユングフラウの巨大な赤黒い岸壁がそそり立ち、そのはるか上の方に主峰から連なる海抜3,800~4,000mの尾根が続き、夕日を浴びて白い峰々は少しピンク色を帯びていた。玄関前のイスにグループ以外のお客様も数名あり、暮れなずむ風景に目を細めているようだった。
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ホテルの前の通りを挟んで駅があるが時々静かに電車が出入りするだけで警笛らしきものも鳴らさず乗客もほんの僅かが出入りするだけで静かであった。この駅と集落の反対側のロープウェイの駅以外にこの村には乗り物は無く、その間500mくらいは歩くのみ。陽が落ちると村は静寂そのもの、時々通る村人たちの話し声が小さく聞こえるくらいで谷を挟んで対岸のヴェンゲンの集落の日がはるか遠くに瞬いていた。そんな中で我がグループはいくつかの塊になって、昼間の余韻に浸るなどそれなりににぎやかであった。一般客から見ると多少迷惑そうな様子が感じられ、そのことが気になっていた。 そんな思いをしながら、はるかに山の端に目をやると月が出て次第に明るさを増している感じだった。誰かが「月が出た!」と声を挙げた。我々の出身地は福岡県の筑豊盆地、かつての炭鉱町が連なっていたい。盆踊りとなると何といっても先ずは「月が出た々々、月が出た♪♪♪」炭坑節である。アルプスにかかるお月さまの美しさもさることながら、個々でそれが出なければよいが、とヒヤヒヤしていた。
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実はウィーンの夜、グリンチンのワインレストランやミュンヘンのホーフブロイのビヤホールでは大変な賑わいとなり、はるか昔に戻って、校歌合唱となり大いに盛り上がったのはつい数日前のことであった。あの勢いがこの静寂なアルプスの夕べで飛び出したら!? そのことが頭の中をよぎった。そんな心配をよそに、そこは流石に我が仲間はみんな紳士であり、淑女であった。考えてみると今朝は、早朝ミュンヘンを発ちチューリヒを経てここミューレン迄数百キロを鉄道とバスで移動する長い一日、疲れもかなり出ていた筈である。明日のシルツホルン登頂へ向けて、それぞれ部屋へ戻り、ビールやワインのグラスを傾けながら静かな山の宿の一夜を過ごして貰えたのが嬉しかった。幸い、前夜の善行(?)の為せるところであろうか、翌日は朝から空が澄み渡り、海抜2970mのシルツホルン山頂からの眺めはまさにこの旅行のクライマックスであったと思う。  
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ミューレンの後日譚。スイスの旅の終わりは山紫水明のルツェルン。ここには旧市街にシュタットケラーという名のフォークロール・レストランがあり、日本で言えばさながら民謡酒場。ここで一行は世界各国から訪れているお客と共にアルプホルンを吹いたり、ビールの飲み比べに挑戦したり、ダンスに酔いしれ一夜を楽しんだ。その勢いは、カペル橋のたもとで3回目の校歌合唱となり、還暦記念オーストリア、ドイツ~スイスアルプス旅行は大団円となった。 写真 上から順に(ことわりなしは小野撮影) ヴィンターレッグ付近から仰ぐアイガー、メンヒ、ユングフラウ(スイス政府観光局より借用) ユングフラウからエブネフリューにかかる夕月 シルツホルン山頂にて ルツェルン・カペル橋夜景(TrekEarthより借用)

(以下次号)