2026.07.07 小野 鎭
一期一会 地球旅 420 ドイツからオーストリアへの思い出、ミュンヘンからウィーンへ(2) インスブルックからザルツブルクへ
一期一会・地球旅 420 
ドイツからオーストリアへの思い出、ミュンヘンからウィーンへ(2)
インスブルックからザルツブルクへ
オーストリア西部チロル地方の中心地インスブルックは古い町で一時、神聖ローマ帝国の都が置かれ、その名残が名所として多くの観光客が訪れている。文化と政治の中枢とされて黄金の小屋根と呼ばれるバルコニーやインスブルック王宮教会には、皇帝マキシミリアン1世の棺が置かれるなど見どころが多い。もう一つはウィンタースポーツのメッカであり、かつて冬季オリンピックが2度行われている。またハプスブルク帝国のイタリア方面への主要路でもあり、交通の要衝としても栄えてきたとある。私自身は、遥かな昔、最初は1971年、この時はベネチアからミュンヘン方面へ抜けるため一泊しただけであった。2月であったのでブレンネル峠(1373m)は通れないのではないかと心配したが、無事通れたことを思い出す。当時は一般国道のみであり、高速道路は建設中でそれから数か月後に完成してイタリアからオーストリア方面への自動車交通が快適になったと聞いた。この時は、大学のユースホステルグループであったので、インスブルックでは、Jungend Herberge(独語=ユースホステル)に宿泊した。街はずれであり、街中は中心街の名所を少し見たと思うが記憶にはなく、むしろ、真っ青に晴れた空の下で仰いだ白銀のアルプスの絶景は目にもまぶしかったことは今も覚えている。
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次は、1988年、病院建築関係団体の視察で、ゼネコンであるとか、建築事務所、大学の建築学科などの病院建築に携わる建築士など専門家集団であった。インスブルックでは、チロル州立大学病院の見学であった。社会保険病院であるとか、公立病院の見学などで欧米の医療施設をずいぶん訪問してきたし、数多くの医師や看護師、医療技術関係者をご案内してきたが、建築家グループをご案内することも多くなっていた。この時、見学したのは大学病院のうち、産婦人科病院と頭部医学科病院でこの前年、1987年に竣工された真新しい施設であった。地下2階、地上9階建ての建物で市内中心部にあり、見るからに斬新な建物であったと、記録にある。もちろん、20数年前の訪問であったのでこの時はそれらしい記憶が蘇ってこなかった。しかし、旧市街を出たところには大学病院の大きな建物が何棟も建っていたのでそのいずれかであったのだろうと思う。むしろ、この時は病院見学をした後、市内から南の方に拡がるイグリス山 の中腹へバスで上がり、冬季オリンピックの会場などから眼下に広がる市街を眺めたことが思い出される。
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旧市街はイン川に沿った一画にあり、その真ん中にこの町で一番の名所であろう「黄金の小屋根」があった。今回は、小雪舞う中で写真を撮ったことが思い出される。前夜はこの近くにある古いレストランGoldener Adlerで夕食をいただいたことも懐かしい。この町では名の通ったレストランであり、念のため、ホテルから電話してもらい、雨の中を訪れた。14世紀からあるホテル&レストランであり、クラッシックな雰囲気であった。何を食べたかは覚えていないが美味しかったことは覚えている。建物の前はアーケードになっており、冬でも雪や雨を避けて通れるようになっている。玄関先の壁には年表が掛かっており、1494年にカイザー(皇帝)マキシミリアン1世、1773年にウォルフガンク・A・モーツァルトなど、ここを訪れた著名人の名前があった。氷雨の中、旧市街の名所を巡り、アーケード街で買い物をした後、川岸のマーケットのカフェで冷え切った身体をコーヒーで温め、ザルツブルクへ向かった。
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インスブルックからザルツブルクへ向かうには、バイエルンアルプスの南麓をイン川に沿って東へ走り、次第に北上していく。山なみはオーストリアとドイツの国境を成しているが山麓は美しい緑の森が中腹まで広がり、それから上は多分白く雪に覆われているはず。ところがこの日はあいにくの日和で雨の中を走っているので景色はほとんど見えず、左右に牧場や農場、時々集落らしいものが見えるくらいであった。途中で谷間を抜けて北上し、再び国境を越えてドイツへ入った。バイエルン州の南東部一帯であり、このあたりの主要都市ローゼンハイムの市街が眼の前に拡がっていたがこの日は走るのみ。ミュンヘンからザルツブルク方面を通ってさらに東へ伸びる幹線道路でオーストリア国内を走っているときより、交通量が多くなる。しかもドイツやオーストリアなど丸の中にDやAという国際標識の丸いシールを付けた以外にも、CZ(チェコ)やPL(ポーランド)、時にはROU(ルーマニア)などの乗用車や大型トラックも見かけた。ドイツ南部の主要道路であり、人々の移動だけでなく、様々な貨物が運ばれており物流面で大変活発な様子がうかがえた。
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間もなく、車窓の左側(北側)に大きな湖水が見えてきた。バイエルン州でもっとも大きな湖キーム湖である。中の島には、かつてのバイエルン王国時代に造られたヘーレンキーム城がある。ルートヴィヒ2世が1873年に島を取得して、1878年からヴェルサイユ宮殿を模して建設を始めた宮殿である。フランス王ルイ14世への深い敬愛から構想された宮殿で、フランスのヴェルサイユ宮殿を手本に設計されている。1886年にルートヴィヒ2世が死去したことで建設は中断され、宮殿は完成に至らなかった。現在、見られる建物は完成部分だけであるが内部には、19世紀の高度な建築技術を駆使して造られた豪華な芸術表現が取り入れられており、ルートヴィヒ2世の理想と美意識が今に伝えられているという。ノイシュヴァンシュテイン城などと共に世界文化遺産として登録されている。今回はもちろん湖岸を走り抜けたので遥かに島を遠望しただけであった。
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間もなく、Autobahndreieck(ジャンクション)があり、直進する幹線道路ミュンヘン/ザルツブルクA8号線と南へ伸びるA10号線に分かれている。4車線位の広い道路であり、疾走する多くの車両を避けながらザルツブルク方面への方向指示を見ながらハンドルを握っている息子に右だ左だ、と指示を出して、何とか一般道へ下りることができた。多分、彼はハンドルを握る手に脂汗を書いていたかもしれない。無理もない。数日前にミュンヘンで借りたベンツのレンタカーであり、これまでもこれから先もすべてが彼にとっては未知の世界であった。よくもここまで無事走ってきたものである。
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実をいうと、ノイシュヴァンシュテイン城に向かう一般道で、多分、制限速度は30~40㎞位であったと思うが、ほとんどクルマも走っていない区間から次の集落に入ったとき、警察から停車を命じられた。そして、10kmくらいの速度超過ということで反則金を課された。多分、自動のレーダーかカメラが設置されていたのであろう。反則金は、帰国後、送金したと思うが、日本の免許には反映されなかった。ドイツのアウトバーンでは、速度制限のない区間もあると聞いてはいるが、交通量の多いところであるとか大都市近郊では制限があり、最高130kmという表示もよく見かけた。一般道ではもちろん、制限速度があり、例えは少し変だが、天網恢恢疎にして漏らさず、ということか。 

ザルツブルク市内に入ると新市街に入って行った。午前中、走っていたインスブルック市内より交通量も多く、地図と見比べながらナビに目をやり、今夜の宿のある方向を確かめた。ここでは、市内中心部ではなく、旧市街を見下ろす丘の上にあるホテルに2泊することにしていた。(以下、次号) 

《資料》 
・インスブルック:Austria Info. 
・A13 Brenner motorway:Mautwelt & The Brenner Pass / The Most Important Alpine Crossing : BBT (Brenner Base Tunnel) 
・ヘーレンキームゼー城:世界遺産ナビpamon 

《写真、上から順に》 
・ブレンナー峠のアウトバーン完成記念(1971年)のオーストリア切手:Wikimedia 
・冬のインスブルック(1970年代):Wikimediaより 
・黄金の小屋根:2011年 筆者撮影 
・ゴールデン・アドラーレストラン&ホテル:2011年筆者撮影 
・ゴールデン・アドラーレストラン&ホテル 来客者年表:2011年筆者撮影 
・キーム湖とA8号アウトバーン:Adobe Stockより 
・ドイツA8号アウトバーンのザルツブルク/インスブルック&ローゼンハイム方面へ のジャンクション近くに見る渋滞:Reise Reporter 資料より 
・高地バイエルン・ホーエン・シュヴァンガウへの道:2011年筆者撮影