2026.07.13 小野 鎭
一期一会 地球旅 421 ドイツからオーストリアへの思い出、ミュンヘンからウィーンへ(3) ザルツブルクにて1
一期一会・地球旅 421 
ドイツからオーストリアへの思い出、ミュンヘンからウィーンへ(3) 
ザルツブルクにて① 

ザルツブルグでは、シティホテルではなく、シュロスホテル(Schloss Hotel=城館ホテル)に2泊した。自分は、オーストリアでは、首都のウィーンより、ザルツブルグの方をもっと多く訪れているかもしれない。多くは、市内の大小のシティホテルに泊まった。1988年に航空会社主催の研修旅行でこの町と周辺、そしてハンガリーのブダペストなどの観光名所やホテル、レストランなどを見学したことがあり、その中にシュロスホテルやレストランについての情報も得て、機会があればぜひ利用してみたいと思っていた。シュロスホテルは文字通り、かつては城であったとか、領主の館などがホテルやレストランなどとして使われているところが多い。従って、建物は古くて設備などもそのままでは使いにくいので外部はオリジナルのままであっても内部は改築されて快適に利用したり、大小の部屋を効果的に使うとか、改造されて使いやすくなっていることが多い。但し、部屋の大きさであるとか、設備の違いから、たくさんの部屋を必要とするグループには不向きなことも多い。70年代にスコットランドのハイランド地方を幾度か周遊してCastle Hotelに宿泊したことがある。文字通り、かなり名前の通ったホテルではあったが、お客さまには必ずしもご満足はいただけなかったことが思い出される。 
2011年のときは私的な旅行であり、ザルツブルクで泊まったのは、旧市街を見下ろすように連なるメンヒスベルクの丘の上に立っているHotel Schloss Mönchsteinであった。Netでホテルの情報などをよく調べて1TWBと1SWBの二部屋を予約した。宿泊料はそれなりの金額であったが、思ったほどではなかった。そこで、支払いは現地で行うこととして、予約を確定するためにクレジットカードの番号を伝え、万一に備えて取り消し条件を入念に調べて自分なりに納得して準備を進めた。建物は3~4階建てであっただろうか、広い庭園の中にしっかりした城館が立っていた。城としての歴史は、西暦1350年に文書で紹介されている建築の傑作とあり、内部は改築されており、部屋は居心地がよさそうであった。チェックインして、庭を散策し、少し歩くと丘のはずれは急な崖になっており、その向こうには旧市街一帯が広がっていた。さらにザルツァッハ川が流れ、次いで新市街が広がっていた。この日は、インスブルックを発つときからずっと雨であったが少し小止みになり、美しい庭園と木立はしっとり濡れていた。右手に目をやるとメンヒスベルクの丘は少しずつ高くなり、この町の象徴ともいうべきホーエンザルツブルク城塞が威容を誇っていた。 

市街地からこの高台に上がってくるときは、曲がりくねった道を通ってきたが、反対側は市街地が広がっていた。通りに立っていた四角の案内板に「H」と大きく書いてあり、その下に「Spital」と書いてあった。病院の案内であり、地図を見るとSt.Johanns-Spital Salzburger Landeskliniken(聖ヨハネ病院&ザルツブルク州立病院)と長い名前が書いてある。そういえば、この町で病院見学をしたことを思い出した。その時のことについて調べてみたところ、昭和52年度(1977年)の全社連の海外医療事情視察団であった。その報告書が残っており、ここで訪問したのがSt.Johanns Klankenhausであった。病院の創立は、1695年、この地域に在った修道院に当地の大僧正が病院を建てたことに始まったとある。その後、時が過ぎて近世に至って次第に病院は大きくなり、特に第二次大戦後に大躍進を遂げて現在(1976年当時)は20の専門分野があり、外科と内科はそれぞれ2科に分かれ、ICU(集中治療室)もある、と報告されている。今日、総合病院ではICUやNICU(新生児)やCCU(心臓関係)があることは珍しくないが、50年前からこの病院群が地域の中核の高度医療施設であったことがうかがえる。 

一行は、この病院を見学した後、市街の後背にあるウンタースベルクの山脈(やまなみ)を越えてその向こうにあるドイツの山岳保養地として有名なベルヒテスガーデンにある塩の鉱山を見学されている。ザルツブルクの「ザルツは塩」、「ブルクは砦」の意であり、ザルツブルクと周辺は古来、この地域で産出される岩塩をハラインの町で製塩し、大司教から特権を与えられたラウフェンの船乗りたちがザルツッハ川を通じてヨーロッパ各地に送りだしていた。ザルツブルクの司教は製塩業で上がる利益の一部を布教の財源としていた。こうして中世からザルツブルクは発展し、大司教は大きな権力を持っていたと紹介されている。ベルヒテスガーデンの岩塩鉱山は古くからあり、今も塩の採掘がおこなわれる一方、塩鉱山のツアーもあり、これを見学されたことを憶えている。肝心の病院見学の写真は残っていないが、塩鉱山見学の写真があり、全員が塩鉱山夫のいでたちで写っていることが懐かしい。ベルヒテスガーデンには、かつてヒットラーの山荘があり、近郊のオーバーザルツブルクは1920年代にナチス党によって買収され、ナチス最高幹部用のリゾート地兼軍事拠点として使われていたとのこと。
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日本では、岩塩はそれほど多くは話題には上らないと思うが、ヨーロッパに限らず世界中多くのところで岩塩は採掘されており、生活に密着しているし、大きな産業となっている。岩塩で有名なところの中には、ザルツブルクからほど近いハルシュタットやポーランドのヴィエリチカなど世界遺産として登録されているところもある。ザルツブルクでは、岩塩が土産として売られているし、岩塩で作られた置物なども売られている。 

この町ではいろいろなことが思い出され、そのいくつかを紹介させていただきたい。
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その一つは、バッド・フィガウンの温水プールのこと。ザルツブルク&ハンガリー研修に行った1988年にはその年の秋、厚生年金基金連合会の海外福祉施設調査団で再びザルツブルクを訪問した。公的年金には、厚生年金、国民年金などがあるが、このほかに企業年金制度が設けられている。企業年金は、大手の企業では、自前の年金組織を設立されているが中小企業では業種ごとに企業年金を設けられていることが多い。旅行業の場合、現在は観光産業企業年金基金として、厚生年金などに上乗せして従業員の生活の安定や福利厚生の充実を図ることを目的とされている。1970~80年代は、日本経済が大きく発展して社会保障制度を充実させるうえでも、さらに公的企業年金制度が設けられた。このグループは、従業員や年金受給者へのサービスを充実させるためにも、欧米の企業年金制度について調査され、福利厚生のためのサービスや施設を視察されることが目的であった。この時は、ロンドン、ストックホルム、ミュンヘン、ザルツブルク、チューリヒ、ローザンヌ、パリなどで年金組織の訪問や施設の視察が組み込まれた。ミュンヘンでは、BMW自動車会社の施設、チューリヒでは、ツルザッハの温泉利用施設、ローザンヌでは、ネッスル食品の関連施設見学であった。
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ザルツブルクでは、市内から南へ16kmのところにあるフィガウン(Vigaun)の温泉プール(Spa Bath)や医療・保養施設などの見学であった。この年の4月に観光施設の研修で視察していたこともあって、今度は企業年金関係調査団として見学を申し込んだところ、見るだけでなく、プールの利用も誘われた。そこで、団員の半数近くがプールに入られて快適であったと喜ばれたことを憶えている。この時の施設の写真は残っていないが、今では、Bad Vigaunとして飲泉施設や保養施設、温泉プールなどが紹介されている。ザルツブルク周辺はザルツカンマーグート地方に温泉や湖沼、渓谷など景勝地が多く、Bad Ischl, Bad Goisern, Bad Aussee, Bad Mittenndorfなどの温泉保養地がある。(以下、次号) 

《写真、上から順に》 
・シュロス・メンヒシュタインホテル(Hotel Schloss Mönchstein):2011年筆者撮影 
・メンヒスベルク(Mönchsberg)の丘から見たザルツブルクの旧市街一帯と右奥にホー エンザルツブルク城塞(Festungs Hohensalzburg):2011年筆者撮影 
・ベルヒテスガーデン塩鉱山(Salzbergwerk Berchtesgaden)見学時の全社連の海外医療事情視察団。前列左から6番目が筆者:1977年撮影 
・厚生年金基金連合会 海外福施設調査団 ザルツブルクのミラベル庭園にて、後方に ホーエンザルツブルク城塞。前列右端が筆者:1988年撮影 
・バッド・フィガウン(Bad Vigaun)の温水プール(Spa Bath):Tourismusverband Bad Vigaun(バッド・フィガウン・ツーリズム連合会) 2026年資料より