2026.06.29 小野 鎭
一期一会 地球旅 419 ドイツからオーストリアへの思い出、ミュンヘンからウィーンへ(1)
一期一会・地球旅 419 
ドイツからオーストリアへの思い出、ミュンヘンからウィーンへ(1) 

その後、2011年にウィーンを私的に再訪した。私の家族はオーストリア好きと言おうか、おこがましいがハプスブルク家へのあこがれというべきか、または、最後の皇帝のフランツ・ヨーゼフ1世の后、皇妃エリザベート(シシー)への憧憬ということか?共通項は音楽好きということかもしれない。次男が音楽関係の出版社に勤めているということもあった。家人と息子と私の3人で行った。 

長男と次男は2人で学生時代に一か月かけて全米を東から西まで長距離バスなどを利用してニューヨークからワシントンDC、そして南部各地を回ってロサンゼルスから帰ってきた。ハワイはいずれ行くことがあるかもしれないので、その時のお楽しみということでこの時はカットしている。それから多分30年以上が過ぎると思うが結局今もってハワイには行っていない。当時はまだスマホもなく、彼らの行動予定をUSTS(アメリカ政府観光局)のアメリカ地図に書き込み、壁に貼って今日はここを廻っているはず、無事で旅行を続けているだろうかと気にはなったが遠隔操作をすることもできなかった。途中、一度電話があったらしいが、多分、家人が受けたと思う。帰国後、二人の土産話を聞いていると、私がT/C(添乗員)としてアメリカ各地を回ってきたのと比較して、とても私にとっては考えられないような内容であった。二人は文字通り、地を這うように各地を回ってきており、私よりもずっと各地をつぶさに見て、多くのことを経験し、学んできたように思えた。 

長男はその後、これも情報関係の会社に入り、年に一度、3~4週間まとまった夏季休暇を得られることを良いことにして数年おきにパリやロンドン、ローマやウィーン&チェコやハンガリーなどを集中的に訪れていた。各地に1週間くらい滞在し何かのテーマを掲げて、それら各地を掘り下げて観てくるという手法でいくつかの都市を廻っていた。それら各地であれば、私以上に歴史や地理に詳しいかもしれない。私は、T/Cという役割で各地を、それこそ、何十回も訪れながら各地を掘り下げるということはあまりしてこなかった。但し、社会情勢や表面だけは3~40年のうちに大きく変化してきたことを私の方がよく見てきているとは思う。
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さて、2011年、この時は南ドイツのミュンヘンから入り、オーストリアは、インスブルック、ザルツブルクそして最後がウィーンであった。旅行時期は、9月後半の11日間。私は正直なところ、この時期に ミュンヘンに行くことは避けたかったのが本音であった。9月下旬から10月にかけては、オクトーバーフェスト(10月祭り)が行われ、ホテルはどこも満杯、加えて宿泊料は、Messe Price(見本市=イベント割増)ということで通常よりかなり高額となる。ところが、家族は、そういうことであればぜひその時期に行ってみたいということで結局ミュンヘンから入ることになり、正真正銘のオクトーバーフェストを見物し、大きなジョッキを抱えてドイツ人やアメリカ人の旅行者と意気投合して乾杯したり、写真を撮り合ったりして楽しんだ。残念ながらアルコールに弱い私は、それでも、恰好だけは何とかつけてジョッキを抱えたりしている。
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後先になるが、この旅行では、前半はレンタカーでの移動であった。ミュンヘン空港に到着、そのままターミナルビル前のレンタカー事務所に行った。旅行手配は、私が受け持ったがレンタカーの予約は息子が担当した。私も国際免許は取得して行ったが、正直なところ、運転は自信がなく、弱気であった。ヨーロッパ各国の高速道路を数えきれないほど走ってきたがそれはいずれも貸切バスの話、自分は助手席で専ら地図を見て案内に徹してきたのであって、海外で運転したのはわずかに一度だけ、アメリカのデンバーの駐車場の中で100mくらい、クルマを移動させただけであった。
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レンタカーはミュンヘンで借り出して、ザルツブルク出発まで8日間の契約であった。手続きを終えて、駐車場に行くと、約束のベンツ車があった。ミュンヘンのホテルは私も知っていたので空港からホテルまでは、私が運転するつもりであった。聞いてはいたが、ヨーロッパはマニュアル車が多く、且つ、左ハンドルで、私は何とか駐車スペースから車を出したものの、ほとんどお手上げ状態。それまで40数年、日本で運転はしてきたがすっかりオートマ車に慣れており、マニュアル車は何とも苦手になってしまっていた。息子は、ドイツというよりヨーロッパへの旅行が初めてであり、当然、ここでの運転は私同様であったが、さすがに、呑み込みは速く、ハンドルを握ってくれた。ナビ(方向案内)を見ながら走り出し、すでに暗くなっていたが都心へ向けてアウトバーンを走り出した。私は、地図を片手に通り過ぎるたくさんのクルマを見ながら、とにかく安全を第一にと心がけるように息子に頼むだけであった。途中、スーパーに寄り、少し買い物をしたが、何とか順調にホテルまで着くことができた。何とも見事な運転振りにほっとした。翌日は市内の名所を回った後、ニンフェンブルク宮殿も見学した。そして、自動車のBMWはミュンヘンに本社があり、博物館を見学したことも懐かしい。
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夕方からは勿論、オクトーバーフェストの会場へ、これは市バスと地下鉄で行った。学校の体育館ほどの大きさのビールテント(ヴィーゼンツェルト)が並んでおり、全部で14棟あるという。そのどれもが満員の盛況、バンドがドイツマーチを奏でたり、客は広い会場の中をジョッキ片手に歩いたり、立ち上がっては乾杯を呼びかけて、Ein Prosit!(アイン・プロージット!)と叫ぶ。中には、イスの上に立ち上がって踊っている若い女性たちもいた。それにしても、みんな大騒ぎしながらも整然(?)として、酔っぱらっている感じ。私はというと、根っからアルコールには弱く、それでも恰好だけは何とか保ちつつ、楽しい雰囲気を味わってきた。
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ミュンヘンから高地バイエルンへの旅は、例によって雨だったがそれなりに楽しんだ。ノイシュヴァンシュテイン城はこれまでT/Cとして、幾度も訪れていたが、概してお天気に恵まれず、雨天であるとか濃霧に隠れていることもあった。このお城は昨年、ユネスコの世界文化遺産として選ばれたが地形的な理由もあるのだろうか、それとも私の行いが悪いのか、雨天や小雪あるいは雨に煙る城を眺めたことも多い。この時も雨に煙った城が浮かんでいた。ふもとのレストランでは大きなマス料理が定番、大味だったが添えられた茹でたジャガイモは美味かった!
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オーバーバイエルンからは午後にはミュンヘンへ戻ることが多かったが、このときは、バイエルンアルプスの谷間を抜けてオーストリアのインスブルックへ向かった。ドイツもオーストリアもEU加盟国であり、国境を示すポールが立っているくらい。道路わきにそれらしい事務所があったが、人影らしいものは見えなかった。いつしか雨は霙(みぞれ)や小雪に変わり、ひたすら安全第一を呼びかけながら息子の運転に頼るのみであった。9月下旬、レヒタールアルプスの谷間は、冬の様相を呈していた。谷間を流れている川は数日来の雨のため、大きな流れとなり、イン川に合流してやがてドイツへ入り、ドナウ川本流に向かって流れていくのであろう。(以下、次号) 

《写真》 
・ウィーン経由ミュンヘンへ。2000年代に入って4回、オーストリアに行ったが、いずれもオーストリア航空であった。成田空港にて、2011年 筆者撮影 
・オクトーバーフェストの賑わい:2011年 筆者撮影 
・BMW自動車博物館:2011年 筆者撮影 
・オクトーバーフェストにて、ドイツの青年と交歓:2011年 撮影 
・雨に煙ったノイシュヴァンシュテイン城:2011年 筆者撮影 
・インスブルック市内でみたイン川は茶色の大きな流れ:2011年 筆者撮影