2022.03.08 小野 鎭
一期一会 地球旅 211 イタリアの美とスイスの絶景を訪ねる旅(3)

一期一会 地球旅(211) イタリアの美とスイスの絶景を訪ねる旅(3)

 2010年の個人旅行では、ローマからフィレンツェへ鉄道を利用したが、今回は貸切バスであった。南北に細長いイタリアはトリノ、ミラノ、ボローニャ、フィレンツェ、ローマ、ナポリなどを結ぶ高速道路が四通八達している。主要な南北幹線は「太陽の高速道路」(Autostrada del Sole)とよばれ、この国の経済を発展させるうえで大きな役割を果たしていると幾度も聞いたことを思い出す。今回は、その幹線道路を途中で降りて、ピエンツァからシエナを経てトスカーナの古都を巡る歴史探訪の旅であった。
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一帯は緩やかにうねる台地が広がっており、オリーブと麦畑が広がり、小さな集落をいくつか通り抜けていくと、やがて小高い丘の上に町が見えてきた。イタリアやフランスなどでは多く見かける風景。低地ではなく、丘の上に古くからの集落があり、それもかなり急な斜面の上にしがみ付くように建物がびっしり連なっていることもある。昔は、外敵からの襲撃に備えて丘の上に集落ができてその周りを城壁で取り囲み、集落ごと籠城して外敵と戦ったという。高台の上に集落を築くもう一つの理由は、低地の湿地などで発生しやすい伝染病を避ける意味もあったと聞いたことがある。他にも、高いところの方が天なる神に近いという理由もあるのかも?とはこのような集落を望見するたびに思ったことである。 丘の上にある町はピエンツァであった。15世紀にローマ教皇であるピウス2世が自分の出身地であるこの地を長年の夢であった「理想の街」とすべく、建築家ベルナルド・ロッセリーニに命じて再整備を下命。
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教皇の要求に応え、ピウス2世広場を中心に、格子状の道路で区画された街造りを目指した。かつての教皇の権力がいかに強かったかを示す一例であろうか。丘の上に広がるこの町は、大聖堂(ドゥオモ)とその前の広場を中心に小さな街路が続き、数百年続く建物が商店や事務所、住宅として今も息づいている。15世紀の修道院であった建物を改造したホテルのレストランでの昼食はなかなかの味であった。食事には一家言を持つメンバーも爽やかな味わいのある冷えたワインとトスカーナの地方料理、美しい景色に目を細めながら真夏の昼のひと時を楽しんでいたことが思い出される。テラスにあるレストランからの眺めは豊かに広がる盆地とはるかに続く小高い山並みが雄大であり、気温は高かったが、頬をなでる風は乾いており心地よかった。
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この一帯は、「オルチア渓谷」と呼ばれ、「ピエンツァの歴史地区」と並んで共に世界文化遺産であり、文化的景観として評価されている。キャンティワインの産地としても知られ、アグリツリズモと呼ばれる農家民泊としても人気があると聞く。ただし、幹線道路や鉄道からも離れているので忙しい旅行では、立ち寄りにくく、それなりの旅行計画を作る必要があるだろう。美しい麦畑と彩り豊かな花々、丘の上の糸杉の並木などの風景が旅行案内などでも紹介されている。とはいえ、このときは時間的にゆとりがなく、車窓からの写真しか撮れず、残念であった。オルチア渓谷は広い地域であるので、一か所に絞ることは難しいと思うが今となっては、懐かしい思い出である。
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オルチア渓谷を抜けて、古都シエナに至った。貸切バスは旧市街には入れず、町の外側にある駐車場に停まった。旧市街の中心部までは狭い坂道や階段を徒歩15分くらいあり、昼下がりで暑さもきびしくハードワークであった。中世の街並みがそのまま残る商都であるこの町のお目当ては、カンポ広場。「世界で最も美しい広場」と賞賛され、市庁舎を扇の要(かなめ)にするように傾斜して緩やかに広がっている。広場には噴水があったり、観光客がそこここでポーズをとったり、ガイドの説明に耳を傾けている。この広場まで夢中で歩いてきたので、広場にあるカフェでのジュースやエスプレッソ・コーヒーに救われる思いであった。 このカンポ広場では、年に2回ほど、「パリオ」と呼ばれる競馬大会がある。シエナの各街区(コントラーダ)代表の選手たちが鎬(しのぎ)を削るというこの催しはこの町の年中行事でも最大級の催しの一つであるといわれている。
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池上俊一著の「シエナ ― 夢見るゴシック都市」には、「ふだん穏やかで品のいいシエナ人が、うって変わって熱狂と興奮の渦に巻き込まれるときがある。中世都市においては、各自治体は平等と調和が生活の目標であったが、実際に都市内では、いつでも不和の種子が満ち満ちていた。為政者は、都市生活を混乱に陥れないために時にいささか乱暴な手当てをせざるを得なかったのだ。定期的に祭りが催されたのもそうした政策の一環であり、パリオはその一連の華やかな祭りの一大イベントであった」とある。ヨーロッパや南米で催されるカーニバルもそれに似た例の一つかもしれない。この年も我々が訪れた数週間後にその年のパリオが開かれたことがテレビで紹介されていた。「シエナの旧市街」はこの日、3番目の世界文化遺産であった。

シエナからトスカーナの豊かな田園風景を車窓に1時間走り、この日の最終目的地フィレンツェに着いた。駅近くの近代的な中クラスのホテルであった。

(以下、次号)

写真&資料(上から順に。ことわりのないものは筆者撮影) トスカーナの風景とピエンツァ遠望(丘の上) (2011年7月) ピエンツァのレストラン(Relais il Chiostro di Pienza)からの風景(同上) 車窓から見たオルチャ渓谷の風景(同上) シエナのカンポ広場にて(前列右端が筆者、2011年7月) シエナのパリオ(Italian Cultural Centreより借用) ◎なお、シエナとパリオを紹介しているYoutubeは見ごたえがあります。ご参考までに紹介します。