2022.09.26 小野 鎭
一期一会 地球旅 233 英国の伝統・文化と田園を巡る旅⑤

一期一会・地球旅(233) 英国の伝統・文化と田園を巡る旅 ⑤

 
到着した日の夕食は自由であったが、ほとんどのメンバーがどこかでまとまって食べようということで結局、旧市街の盛り場辺りへ行ってみようということになった。ホテルから出てすぐ近くにあるウェイバリー駅(英国鉄道)の構内を通り抜けていった。この町の中央駅的な存在であり、西のグラスゴーやスコットランドのハイランド地方、ロンドン始め南のイングランド各地と結ばれている。駅は、市街地の中央部で谷の部分にあり、新市街からも旧市街からも坂を下っていくことになる。英国鉄道の駅の面白いところは、プラットホームの横までタクシーやクルマが入っていくことが出来ることであろう。この時も、タクシーが列を作って客待ちをしていた。日本の鉄道は、明治5年(1872年)に初めて新橋から横浜まで敷かれ、英国の鉄道の仕組みを導入したと聞いているが、当時は自動車ではなく馬車であったのであろう。新橋駅も同じようなつくりになっていたのだろうか。そんなことを考えながら、駅の構内を通り抜け、旧市街の方へ上がっていった。かなりの急傾斜であり、階段といい、坂といい、我々にはかなりハードである。エディンバラは美しい街であるが、場所によってはとにかく坂が多く、歩行者には厳しいところでもある。みんなで坂道を登りながら、中心街を目指して歩いた。すでに日は暮れており、中心街の盛り場は賑わっていた。
10名近い人数となると飛び込みではむつかしい。そんななかで派手に客の呼び込みをやっているインド料理店をのぞいてみた。日本でもインドやネパール系の料理店が増えているが、一部の老舗をのぞいて多くはファストフードなどの店が多い。それと比較すると英国ではインド・パキスタン系のレストランも本格的なところが多い。英国による支配が長かったことにより、これらの国からの移民も多く、それは納得のいくことであった。幸いまとまって座ることが出来、店の勧めに従っては腹を満たし、我がメンバーは、元気を回復し、翌日の市内見学に備えることが出来た。 翌日、弱い秋の日差しを受けながらバスで市内見学に出かけた。幾度も書いているように、これまで幾度かこの地を訪れているが、毎回視察や研修主体で市内見学を含める余地がなかった。ホテルや視察先以外にこの町をじっくり見学することが無かった。今回は、予め関係資料を読むことなどで事前にかなり丁寧に調べていたが、調べるほど、「北のアテネ」といわれる所以などを含めて、一層くわしく知りたいと改めて感じていた。 東京を発ったときはまだ少し暑さも感じるほどであったが、ここエディンバラでは肌寒いくらい。セーターやジャンパーを羽織って出かけることにした。Y氏は、シャツ姿では寒いくらいだとぼやいていた。ドライバーや街行く人の中にはシャツ姿も多く、寒さには慣れているのだろうか。スコットランドのこの辺りは、アジアで比較してみると緯度的にはカムチャツカ半島の付け根くらいにあたる位置。アイルランドや英国、さらにそのはるか北のノルウェーの西海岸までも高緯度で大西洋を北上してくるメキシコ湾流の暖流によりずっと温暖であるということは昔から聞いている話。とは言いながらやはり肌寒さを覚える。
市内見学は、現地在住の日本人ガイドが案内してくれた。エディンバラの概要、スコットランドとイングランドの関係、車窓風景などを説明しているうちに、アーサーズシートと呼ばれる小高い丘の展望台に着いた。バスを降りて、目の前に広がる市街地を見渡しながらエディンバラの歴史とスコットランドの歴史をかいつまんで話してくれた。特に、当時賑わっていたスコットランドが英国から離脱して独立を目指していることに関するものであった。これは実際にはこの翌年、スコットランドの独立の可否について、スコットランドでの国民投票(レフェレンダム)が2014年に行われた。結果は、独立反対派の方が多く、これまで通り英国に変化はなかった。国の一部が離脱して独立するとはどういうことなのだろう? ヨーロッパには他にもスペイン第2の都市バルセロナを中心とするカタル―ニャ州が独立をめざして州民投票が行われる一方、中央政府はさまざまな圧力をかけてこれを封じようとするなどの手が打たれるなど時限爆弾を抱えているような状態かもしれない。 そんなことを考えつつガイドの話を聞いているうちにバスはスコットランド国会議事堂や官庁街を通り、ホリルード宮殿へやって来た。エディンバラ旧市街の中央部を貫いているのがハイストリートであり距離は約1.6㎞あるところからロイヤルマイルと呼ばれている。その東の端にホリルード宮殿があり、英王室のスコットランドの居城として今も利用されている。
宮殿は部分的に見学することもできるがこの時は外観のみを見た。ロイヤルマイルの中ほどに立っているのが聖ジャイルズ大聖堂、王冠のかたちの屋根が印象的なゴシック様式の教会であり、大聖堂はおよそ900年間、エディンバラにおける宗教の中心であり、長老派(Presbyterianism)母教会とみなされている。また、この教 会に近いところにアダム・スミスの銅像がある。「国富論」を著わした人であり経済学者と承知しているがスコットランド出身だそうである。バグパイプのメロディが聞こえてくるのもこのあたりが多い。ロイヤルマイルの中心部であり、近くにはレストランやカフェ、パブ、土産物店などがあり昼夜を問わず賑わっている。一方、ロイヤルマイルから横合いへ入っていくと狭い小路や階段になっている。古くからある建物がびっしり並んでおり、いまは、商店やレストラン、カフェ、パブ、土産物店、小さなホテルやアパートの入り口などが並んでいる。昔は、このような小さな通りには日も射さず下水も路上を流れ、汚物が溢れて悪臭が漂っていたとある。中世には、ペストが大流行してたくさんの死者が出たといわれており、無理からぬことであるように思える。
ここまで書いているうちに、エリザベス女王が亡くなったのが保養地であったバルモラル城、そこから女王の遺体は、ホリルード宮殿で一夜を過ごし、聖ジャイルズ大聖堂に移され、一般市民が弔問に訪れて長い列を作っていたこと。遺体には英国の国旗ではなく、スコットランドのシンボルである赤い獅子を描いた被いで覆ってあり、これを支えているのがスコットランドのキルトスタイルの兵士たちであるのが一層印象的である。スコットランドが英国から離脱することを願っているとは言われながらもエリザベス女王への親しみは大変なものらしい。これはすべて王室の配慮なのかそれとも、スコットランド側の為せるところであろうか。それにしても、私たちのグループが2013年に見学していた名所旧跡がたくさん出てきて懐かしく思い出された。(以下、次号)   写真&資料(上から順に) エディンバラ・ウェイバリー駅構内  (2013年10月6日撮影) エディンバラ旧市街の中心部 ロイヤルマイルのインド料理店前で(同上) アーサーズシートからみたエディンバラ市街、中央がエディンバラ城(同上) アダム・スミスの銅像、左後方が聖ジャイルズ大聖堂(同上) Week of public mourning for Elizabeth II in Edinburgh (一週間にわたるエリザベス女王への一般弔問はエディンバラで始まった)   Washington Times紙より