2023.12.25 あ・える倶楽部
一期一会 地球旅 293 忘れえぬ思い出
 一期一会・地球旅 293 
忘れえぬ思い出 
添乗記録と携行旅程そして写真など 

243回(海外235回、国内8回)の添乗にはその都度、思い出がある。鮮明なものもあれば、漠然としたこと、写真などを見てもいつ、どこで撮ったのか? 一緒に写っているのはどなただろう、等はなはだ無責任なものもある。最初はどんな思いで書き始めたのか覚えていないが、利用した航空会社、自分が乗った飛行機、そして、フライト・ナンバーや飛行経路、飛行距離を記録してきたノート「添乗記録」がある。このノートは50年余り書き続けており、私にとっては、それ自体が取扱注意でもある。他の人から見れば何の価値もなく、単なる何かの資料? でしかないが自分にとっては、何よりも貴重な記録である。もう一つの宝物は、「携行旅程」である。初期のころは「最終旅程」と呼んでいた。これには、参加者名簿があり、お名前、所属先と役職名、現住所、もちろん電話番号も含まれている。自分が勤務していた旅行会社のお取り扱いは視察旅行が多かった。従って、それぞれの旅行は、旅行会社主催(企画)というよりは取扱会社として名前を載せていた。旅程の表紙には、視察・研修団の派遣団体名、後援団体名などが書かれており、内容は、旅行日程(旅行経路図を載せたこともある)、視察・訪問先名、宿泊ホテル名、部屋割り表、外貨レート、手紙の出し方、留守宅から旅行中のお客様への手紙のあて名の書き方、そして、旅行中の注意事項などが含まれていた。 
 
 そして、自分の場合は、その携行旅程を綴じて、毎回の旅行に持参して、旅先から視察団派遣の代表者や事務ご担当、過去の旅行参加のお客様などへ旅先から絵葉書を出していた。何よりも、時としてセールスの有力な手段の一つであった。大きな組織の代表者などへは、一介の旅行マンがご挨拶に上がるなどは余ほどのことでなければできないことであったが、手書きの絵葉書はほとんど、ご覧くださっていたらしい。何かの時に私のことを思い出していただけたし、地球の裏側から自分に絵葉書を出してくれたと喜んで下さったのかも知れない。携行旅程綴りは次第に分厚くなり、何らかの方法を考えなくては、と思っていた矢先、その肝心なファイルをどこかのホテルに置き忘れ、最初のころから数年分は手元に記録が残っていない、まさに痛恨の極みである。 
 
 手元には、173冊の携行旅程が残っている。いつのころからか、外貨レート以下は放棄して、表紙、参加者名、旅程、ホテルリストだけを残してきた。いつのころからか、参加者名簿も掲載しなくなったため、別に名簿だけツアーファイルから抜き出して保存するようにしてきた。携行旅程に載せなくなった理由は、個人情報ということから芳しくないということで掲載しなくなったものである。もっともそれは珍しいことではなく、パッケージツアー(旅行会社の企画になる不特定多数の参加者が含まれる募集旅行)では参加者個々の名前は読み上げることはあっても、名簿や部屋割り表などは添乗員のみが保持して、参加者には配布しなかった。一方、私どもの会社ではほとんどが特定団体による主催または派遣であり、団員相互に部屋割りは公開しており、部屋同士の電話のかけ方、外線や日本への電話のかけ方などを書いて各部屋に一枚ずつ配布することとしていた。 
 もう一つの宝物は、なんといっても写真である。空港会社のプロのカメラマンが撮った写真には、団体名が書かれているものも多い。航空機のタラップの前やVIPルームで撮った写真は、ほとんどがモノクロである。中には半世紀以上過ぎた今でも色は褪せておらず、見事なものであり、関係者にとっては価値ある記録である。最初のころは羽田空港であり、搭乗はタラップを登っていくことが多かったが、やがて成田空港へ移り、次第にボーディング・ブリッジ(搭乗ゲートから航空機の入り口までをつなぐ移動式の通路)や搭乗ゲートからそのまま航空機に乗り込むようになり、タラップの前ではなくVIPルームで撮ることが多くなっていった。 

 旅先の写真としては、最初のうちは経済的にも時間的にもカメラなど持っていく余裕もなくお客様から頂いた写真がほとんどであったが、いつのころからか携行して、風景や視察先を撮ることが多かった。従って、自分自身の写真はほとんど無く、お客様から頂いたものがほとんどである。いつのころからか視察先や観光などで通訳をやるようになってからは、写真を撮ることは時間的にも精神的にも余裕がなかったのでますます自分自身の写真は少ない。それでも、思い出の写真は数百枚というよりはそれ以上あり、明確に覚えているところもあれば、申し訳ないがどこで撮ったものか、どなたから頂戴したものか判別がつかないものもたくさんある。いただいたときにメモを付していなかったことが悔やまれる。一方では、日付の入った写真は添乗記録から類推することで記憶をたどることもできるので今となっては、幸いなものも多い。2000年代に入ってからは、高校時代の同期生であるとか、リピーターのお客様が多くなってきたことから、通訳をしないときは、むしろ、お客様を積極的に撮って、旅の思い出としてお客様に差し上げることが多くなってきた。また、これらの写真は、パソコンに取り込むようになってからは、アルバムとして見ることはもちろん、データとしても便利であり、有用である。
 これまで「一期一会・地球旅」は290回余りにわたって、トラベルヘルパーマガジンに掲載されてきた。多くの旅行が、特定団体の主催(派遣)になるものであってそれぞれの日程に沿ってその旅行や旅行先についての私自身の思い出をつづってきた。次回からは、世界各地で訪れた旅行先や国について特に強く印象に残っている思い出や失敗談、忘れ得ぬ感動、忘れ得ぬ人々について綴ってみたい。(以下、次号) 
 
【写真、上から順に】 
・添乗記録(ラインを付している旅行は、携行旅程を保存している) 
・携行旅程(添乗243回中、173回の旅行の旅程あり) 
・ある視察団の出発時の記念写真、後列左端が筆者(1973年=全行程30日間) 
・国際会議の特別セミナーで通訳中の筆者(1982年、カナダ、トロントにて)
  IASSMD国際知的障害研究会議、講師はベント・ニルエ博士(スウェーデン) 
・重度障がいのある方々の旅行にも力を入れてきた。(1997年、パリにて) 
・高校時代の同期生の還暦記念欧州旅行(2002年、ミュンヘンにて)後列右から4番目が筆者