オーストラリアでの研修は前年の米国コロラド州デンバーでの集中プログラムでの成果が意識されたのであろう、メルボルン郊外にあるセント・ジョンズ少年少女の家(St. John’s Homes for Boys and Girls)が受け入れ主体となって1981年11月16日から29日までの2週間にわたって実施された。この事業体では、メルボルン市近郊で施設養護、予防ケア、重度障がい児などへの対応など多様なサービスを展開されていた。前身は、第一次大戦後、英国で溢れ出る戦争孤児がオーストラリアに移送されて彼らを受け入れるために1921年に英国国教会(聖公会)系の児童養護施設として設立された。やがて1958年に前述の施設となり、66年にはそれまでの大舎制の養護施設形態を改めて順次グループホーム型に移行、その後、地域分散型の児童養護を推し進め、一方では予防福祉なども開始されていた。
ケア・フォース(Care Force)も興味ある仕組みであった。要保護児の発生を予防し、地域の家庭の児童の養育に関する援助をするための専門職による福祉サービスが行われていた。ソーシャルワーカーがリーダーを務め、指定区域内の家庭における児童の養育相談、指導例えばカウンセリング、養育費など経済的な問題に関すること、あるいは緊急一時保護などがあった。特に様々な国から来た移民の多いこの国の特徴である多くの民族や人種の持つ多文化を理解しながら対応するためには英語以外の言葉、たとえばギリシャ語、東欧系の言語、中国語などを介する専門職などを含めたエスニック・ケア。フォース(Ethnic Care Force)は重要な役割を背負っていたと思われる。