2025.06.09 小野 鎭
一期一会 地球旅 365 ドイツでの思い出(5) ハンブルクでの恐怖
一期一会・地球旅 365 
ドイツでの思い出(5) ハンブルクでの恐怖 
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1974年の後継者養成海外研修団は、120名近い大きな団体であったが、パリで市内見学を終えた翌日、フランクフルトで日本航空に乗り換え、ハンブルクを経由した後、アラスカのアンカレッジへ向かっていた。機内では、このグループがエコノミークラスのほとんど半分を占めていた。この年は私のほかにもう一人K社員が添乗していた。水平飛行に移って、K君と添乗経過について聞くとか、添乗金の精算準備をしていた。それから間もなく、乗務員の動きがあわただしくなっていることに気づいた。私は、近くを通った一人の乗務員に何かあったのですか?と聞いてみたが「何でもありません」と笑みを浮かべながら答えてくれたが落ち着きがないことを感じた。操縦室とのやり取りも頻繁に行われているようであり、何か異常事態が起きているであろうことは容易に想像できた。そこで私は、キャビン後部で乗務員が集まって何やら話し合っているところに行き、思い切って質問してみた。趣旨はこうであった。「すでにご承知だろうとは思いますが、自分は、本日のエコノミークラスのほとんど1/3を占めているグループのチーフ添乗員であること。何らかの問題が起きていると思われるのでこのグループの責任者としてとても気になっている。できることであれば、自分も協力させていただきたいので差し支えない範囲で今何か起きているらしいことについて聞かせていただきたい」と申し出た。しばらくして、チーフパーサー(乗務責任者)から説明があった。要旨は次のようなことであった。 
 
 当機が離陸して間もなく、JAL ハンブルク支店に脅迫電話があり、当機に爆弾が仕掛けられていること、したがって乗客と乗務員が人質になっており、その爆弾を処理するためには身代金としてxx万マルクを支払うように、との内容であるとのこと。そのため、犯人側と支店側でやり取りが行われており、そのため、機はノルウェー上空を旋回飛行しているとのこと。機は旋回飛行を続けており、乗客の中には通常のコースから離れており、何か異常が起きているのではないか、それに対して機内では何らの案内も無く、不信感を抱き始めている人もいたらしい。私はその時の状況を研修団の団長と県の事務局氏に状況を伝えた。機は多分、ハンブルク空港に戻って緊急着陸することになるらしいが、乗務員からの機内アナウンスが流されると乗客は心配でパニックを起きる心配があり、大きな混乱が起きることにもなりかねない。そのためには、乗客は冷静にパイロットからの説明に従うことが大切であり、そのことを理解していただきたい、と伝えた。団長は、それについて同意され、各グループの班長などリーダー格を通じて全団員に冷静に行動することが約束された。 
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犯人側とのやり取りには、ハンブルク警察も対応に加わっており、犯人側に真偽を確かめることを含めて、機を安全に着陸させるために、犯人側の要求を呑むか、犯人側を説得して何とか爆弾を安全に処理することを目指しているとのことなど複数の対応が検討されているとのことであった。犯人側は説得に応じておらず、機は旋回を続けていたが、着陸できない理由として、一定高度よりも下がると気圧が上昇して、爆弾が爆発する仕掛けになっているとの犯人側からの身代金要求の理由としてそのような条件が加わっており、そのためには容易には高度を下げることもできないとのことであった。 
 
 機は引き続き旋回をしていたが、しかしながら、犯人側とのやり取りを続けてきた結果、犯人側からの脅迫電話はどうやらニセ情報であるらしく、単なる嫌がらせである可能性が極めて高いと思われるとの連絡がパイロットに伝えられてきたらしい。それから間もなく、乗務員から、やはり偽情報であると結論付けられ、機はハンブルク空港に引き返すことが伝えられ、正式に機内アナウンスが流された。機内では、驚きと予定通り日本に向かってくれないと困る、などざわつきもあちこちで起きていたが、私たちのグループ、即ち、エコノミークラス客席のかなりの部分は冷静であり、ざわつきも起きなかった。そのことが機内でいい雰囲気をもたらしたらしく、次第に機内での騒動は沈静化し、緊急着陸に備えるための機内アナウンスを真剣に聴くことへ態度が変わっていた。 
 
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 機は引き続き旋回していたが、間もなく、緊急着陸に備えるため予備の燃料の空中放出が始まったらしく、主翼の後方からは薄黒い霧のように空中に流れている様子が見えた。それからしばらくして、いよいよハンブルク空港に緊急着陸することになり、着陸に備えてシートベルトを今一度しっかり締め直すこと、最低限の貴重品以外の荷物は持たないこと、前の席側へ頭を低めること、などのアナウンスが強調された。そして、間もなく、機は大きく高度を下げて行ったが何も爆発音などはなかった。夜のとばりの中、ハンブルク空港に着陸し、滑走路をしばらく走り、ターミナルビルからはるか離れたとことに機は静かに止まった。シートに座って乗務員からの指示を待ちながら窓の外へ目をやると、機の周りには、何台もの消防車、機動車、警察関係の車などが近寄ってくるのが見えた。そして、乗客輸送用のバスが何台も並び始めた。パイロットからは、「皆様に大変ご心配とご迷惑をおかけしていますが、お陰様で無事、着陸することができました。皆様のご理解とご協力に感謝します。」とアナウンスがあった。 
 
 この後、私たちのグループは、他の乗客と共にバス数台に分乗して、ターミナルビルに移動した。日本航空側から、旅客ターミナルで当日の宿泊や明日に備えての準備等について説明などがあった。JALハンブルク支店の営業部長Y氏からはこのグループに対して格別のお礼のあいさつがあった。この日は、当グループは、ハンブルク市内のホテルではなく、ハノーヴァーのヒルトンに泊まることになった。ハノーヴァーからハンブルクへはアウトバーンを走って約1時間の距離であった。ハノーヴァーヒルトンは、とても快適で、旅行中で一番良かったと皮肉な感想も聞こえた。もちろん、当日の宿泊費、ハノーヴァー往復の交通費、その他諸経費については全額、日本航空側の負担で済まされた。 
 
 こうして、一日遅れの帰国となった。翌日、空港でJALのY部長が我々のグループに対して、機内での皆さんの態度や着陸後の整然とした行動についてもとても感謝していますとお礼を言われた。その前年、この研修団は、ハンブルクと周辺地域で主要研修を行ったがその時、現地プログラムの設営等について日本航空の全面的な協力があり、Y部長がその中心的な役割を担っていただいていた。私は研修団の訪独1か月前に事前調査のため現地に赴き詳細を打ち合わせるなどY氏とは旧知の間柄であり、この予期せぬ出来事でY氏は一層強く心に残る人となった。(以下、次号) 
 
《写真、上から順に》 
・産業青年後継者養成海外研修団 : 1974年11月 右端が筆者 
・私たちが乗っていたJALのB-747-400型機と同型機(ハンブルク空港にて):Planettpotters Netより 
・航空(B-747-400)燃料の空中放出(Fuel Jettison)の例 : Wikipedia より