2025.06.16 小野 鎭
一期一会 地球旅 366 ドイツでの思い出(6) ボン:ベートーヴェンの生誕地にて(1)
一期一会・地球旅 366
ドイツでの思い出(6) ボン:ベートーヴェンの生誕地にて(1)

 ボンでのコンサートは以前にも書いているのでそれを改めて書くことはいささか面はゆいが、これまではあまり書いてこなかったことについてふれてみたい。

 「私たちは心で歌う目で歌う合唱団」が創設されたのは、1988年、その創設母体となっているのは東京・豊島区にある「地域福祉研究会ゆきわりそう」。ケア付き短期アパートとして活動を開始されたのは1987年7月であることを思うと、ゆきわりそうグループで重度の障がいのある方とその家族へ多面的なサービスを始められてからいくらも経っていないことが分かる。つまり、合唱団そのものがゆきわりそうの活動の中でも大きな部分を占めていたのではないだろうか。設立者であるゆきわりそうの姥山寛代代表はとにかくバイタリティに溢れた方であった。自分より少し年長であるがやる気と好奇心、そして何よりも熱意のある方であった。あの小柄な身体のどこにその原動力があるのだろうと不思議に感じると共に敬愛し、自分なりに精一杯応援させていただきながら、多くのことを教えられてきた。

 合唱団が設立された当初の目的は、ベートーヴェンの第九交響曲「歓喜の歌」を歌うことであり、障がいのある人もない人も同じ人間であり、共に集って歌うコンサートを開きたいということであった。そして、その舞台として東京文化会館でこれを行うことを希望された。ところが文化会館の責任ある人にここの舞台でコンサートを開きたいと申し出たところ、この場所はプロの音楽家が演奏する場所であって、素人の方や障害のある方にここを提供することはできないと最初は断られたと聞いている。
しかし、姥山代表は「私たちは重度の障がいのある方などが核となって編成されている素人の合唱団ですが、ベートーヴェンも聴覚に障害があって長いこと苦しみ、その中で第九交響曲を作曲し、歓喜の歌で人々が共に集うことを訴えています。私たちは、誰しも同じ人間であり、その人たちが集って、『Alle Menschen werden Brűeder すべての人たちが兄弟になる』ことを目指しています。私たちの趣旨をわかっていただきたいのです。」と懇願されたところ、会館の代表者は、「よくわかりました。」と会場を使うことを了承されたとのこと。
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こうして、1990年4月29日、「ひびけ歓喜の歌コンサート」を開くことができた。その日、会場を埋めた聴衆に厚い感動をもたらし、初めてこの大舞台に立ったメンバーは誰もが言い知れぬ満足感を味わった。このコンサートの模様は、NHKが45分番組として紹介し全国に放映した。私も、団が創設されて2か月後から練習に参加させていただき、夢中で歌詞を覚えることに専念した。学生時代は第二外国語としてドイツ語を選んでいたがそれはほとんど身についておらず、添乗でドイツに行くことも多かったので片言ではあったが、活きたドイツ語をしゃべることには親しんでいた。しかし、An die Freude「歓喜の歌」の歌詞を覚えることは難事であった。毎朝の通勤は誰よりも早く、早朝の地下鉄はがら空き状態であったので格好の練習場でもあった。本番では目を白黒させながら高音もなんとか声を出したが、途中では口(くち)パク状態もしばしば。それでも歌い終わったときは自分も沸き上がる感動を覚えたことを今も忘れない。演奏会終了後、ゆきわりそうに姥山代表を訪ねて、いつかベートーヴェンの生誕地であるドイツのボンで現地の人と一緒に歌う機会が持てるといいですねと話したところ、代表は「文化会館でのコンサートを開くことでエネルギーを使い果たしたこと、それと本来業務のことを考えるといつかできるといいね、と期待はしながらも今の段階ではそれはむつかしい。」と、否定的であった。
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私たちの合唱団としては、初めて海外での演奏会として、1993年にドイツのボンへ行ったが、その時の記録として「ボンに響け、歓喜の歌、そして憧れのスイスへ」があり、その中に次のような記録がある。
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実は、初めてのコンサートで大きな感動を味わったが、聴衆の声はいろいろあり、それらの感想や批判をじっくり読み直し、メンバーで話し合ってみた。意見のいくつかの例を挙げると、たとえば、「私は、音楽家だから基本的な内容、質で勝負できないものを、わざわざ外国まで持って行って披露しようということ自体、残念というか、批判的にも思わざるを得ません。(音楽家) また、次のような感想もあった。「ゆきわりそう」の「第九」は勿論素人でしょう。障害者であることを十分意識し、チケットなんか売れるレベルではないのに、2千円から3千円というあきれた金額で売りつけている。私だったら、こちらから払って見に来ていただきたいとしかいえない。つまりカルチャーセンターの発表会よりまだレベルが低い出来なのにわざわざ聞きに来てくれる人がたくさんいる。」(わかる福祉より)などの批判もあった。たくさんの様々な見方や批判もあり、それでも合唱団では親たちも含めて幾度も話し合ってみた。そして、まとめとして、次のように結論付けた。

障害者は障害者だけでは生きていけないが。多くの協力者の力を得て、より高い極みに、多くの人の感性をひきつける力を持っているのではないだろうか。私たちの第九はその意味で、素晴らしい第九の舞台、演奏を行うことができる集団であるということになるのではないだろうか?
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芸術論、文化論にはいろいろある。寄せられた様々な意見や指摘はそれでいいのではないか。長い時間をかけて出した結論は、ベートーヴェンの第九を、第九の弁当作りをやるの?トンカチもって何のリハビリやるの? と言っていた3年前の彼等とはくらべものにならない。自分たちの作る文化や芸術を語る人間に成長していたのだ。その結論が、ベートーヴェンの生誕地ドイツのボンへ行ってコンサートを行い、現地の人たちとともに「歓喜の歌」を歌いたいということであった。(以上、要約)
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ゆきわりそうでは、群馬県の妙義山の麓に山荘と農場があり、夏休みのプログラムなどが行われていた。そこに私もボランティアとして参加していたが、この時、姥山代表から、「ドイツのボンでのコンサート」をやってみたいとの話があった。次第に本格的になり、ボンでのコンサート開催へ向けて様々な伝手を、まさに手探り状態で探し始めたがなかなか容易にはことは進まなかった。私は、前述したようにドイツへは専門視察の添乗として、たびたび訪れていたので何かの伝手はないかと私なりに思い返してみた。(以下、次号)

《写真、上から順に》
・ひびけ歓喜の歌コンサート(1990年4月29日、於東京文化会館):ひびけ歓喜の歌 私たちは心で歌う目で歌う合唱団 ミネルヴァ書房
・「歓喜の歌」楽譜 : 同上
・ボンに響け歓喜の歌、そして憧れのスイスへ : 地域福祉研究会 ゆきわりそう
・合唱練習風景 : 私たちは心で歌う目で歌う合唱団 ミネルヴァ書房
・群馬の山荘、その後、「ゆきわりそう小さな家1号館」となった。:ノーマライゼーションを目指して 地域福祉研究会 ゆきわりそうの10年