2024.07.16 小野 鎭
一期一会 地球旅 320 オーストラリアの思い出(5) メルボルン5 お世話になった方々
 一期一会・地球旅 320 
オーストラリアの思い出(5) メルボルン⑤ お世話になった方々 

 ところで、児童養護をテーマとしたこの海外研修旅行に特に深い関心を持った理由は、私自身が学生時代、児童養護施設に勤務したことが大きく影響しているといえよう。東京・練馬区にある養護施設で働いたのは4年弱と短期間であったが、そこで経験し、結果として学んだ社会とのつながりなどがとても大きかったと確信する。大学での勉学のため上京し、生活費と学費を稼ぐためにいくつかのアルバイトを経験しているうちに、大学の学生課から紹介された仕事は、住み込みで3食付きという「願ったり、叶ったり」の好条件であった。 
児童福祉や児童養護については、ほとんど何の知識も経験もなく、書記として雇用いただけたのはこの施設の理事長・施設長が、同じ大学の卒業生であり、僧侶でもあったという幸福な出会いであった。そんな自分を厚遇してくださり、4年間をそこで過ごすことができたことは60年余り過ぎた今も感謝しきれないほどである。書記という職名ではあったが用務員として雑務から事務関係の仕事、次第に児童養護という専門業務にも関わるようにと社協や東京都の関連部局の研修などにも参加し、やがて児童指導員として務めさせていただいた。 
 
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 早朝から夕方まで実務に就き、夜は大学に通った。当直などもあり、夏休みなどは施設としての様々な行事もあり多忙な4年間であったが大学での学びと並行して「生きた社会学」を学ぶことができたことは幸運であった。卒業してからは子供のころからの夢であった旅行会社に入り、直接的には児童養護の仕事とは縁が切れたが、それから数年後、医療や福祉関係の視察や研修旅行を担当するようになった。学生時代の経験と社協や行政機関の関連部門への関心度合いはより大きく、深かったので営業面でも大きく役立ち、社としても重宝がられていったと言えよう。 
 
 そのような経験と深い関心がこの資生堂児童福祉海外研修団の旅行業務を受注し、担当させていただける絶好の機会となった。結果的には1980年から18年間にわたって旅行業務をご下命いただき、そのうちの7回は添乗業務を担当させていただけたことにつながっている。最初のデンバーに続き、翌年はメルボルンでの1週間、そのあと、オーストラリア連邦の首都キャンベラ、さらにシドニー、併せて2週間の密度の濃い研修旅行であった。St. John’s Homesを研修先として選ばれたのは研修団を派遣された資生堂財団であるが、プログラム作成のための細かいやり取りや現地での運営、通訳などは筆者が担当させていただいた。当初の計画通り諸準備が整えられ、現地で所定の研修が滞りなく実施されたのはプログラム全体を設定され、多方面にわたって協働いただいたおふたりの人物による綿密な指導と協力があったからに他ならない。 
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 そのおひとりが、イアン・G・エリス師(Rev’d. Ian G. Ellis)である。オーストラリア人としては、多分、小柄であったがとても温和で慈愛に満ちた方であった。メルボルン大学神学部の出身でアングリカン(英国国教会)の聖職者であるが一方では児童福祉の専門家であり、同ホームの総合施設長として幅広く活躍されていた。氏は、この2年後の1983年に資生堂財団が主催された国内研修会で講師として財団が招かれ、オーストラリアの児童養護について講演された。この時は、小職が通訳を務めさせていただいた。その講演内容は、財団発行の「母性と福祉」16~17号にも掲載されている。さらに、1985年には財団としても再びメルボルンへ研修団を派遣されており、この時も温かく迎えてくださっている。 
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 もうお一人は、財務部長のフランク・ビア氏(Mr. Frank Beer)である。エリス師とは対照的に大柄な人物で豪放磊落、陽気なスコッツ(スコットランド人)であった。彼は、長年、世界的に有名な金庫や警備会社として名高い英国のChubb勤務経験の持ち主であった。セント・ジョンズ・ホームズはビクトリア州でも代表的な児童福祉事業体であったが、「福祉もビジネス」という捉え方がなされていた。従って、施設の健全運営を維持するためにも有能なビジネスマンが必要であり、財務担当部長兼総合施設次長としての要職にある人物であった。彼は、愛妻家で耳の不自由な夫人をいつもとても大切にしておられた。 
 
 それから数年後、筆者は社会保険病院関係団体の視察団を案内してオーストラリアとニュージーランドを回ったが、この時もエリス師の紹介でメルボルンでの病院見学をすることができた。また、St. John’s Homesのプログラムとして、重度の障がい児を週末にボランティア家庭で受け入れている「Interchange」 サービスがあった。そして、このプログラムからヒントを得て1988年に東京・豊島区にある地域福祉を行っている事業体が企画された重度障害児・者とその家族など総勢54名をメルボルンにお連れした。その受け入れについてもエリス師が全面的に応援してくださり、前述のビア氏も一緒に動いていただけたことでこの旅行は参加者全員に大変喜ばれた。お二人の協力なくしては、この旅行は実現できなかったであろう。  
 
 その後、筆者は、「障害者旅行」から「バリアフリー旅行」、そして「ユニバーサル・ツーリズム普及へ」むけて活動への道をたどることになった。このように、次々と人の輪が広がることでさらにお客様の幅が広がっていった。私にとっては、児童福祉海外研修団の旅行業務を担当したことから知遇を得たエリス師やビア氏はまさに「人財」そのものとして今も忘れ得ぬ貴重な思い出である。 
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 なお、1997年に、セント ジョンズ ホームズは、Anglican系の他の二つの福祉事業体と合併し、アングリケア・ ビクトリアhttps://www.anglicarevic.org.au/が設立されている。メルボルン都市圏だけでなく、州内45ヶ所の拠点で活動するほか、オンライン、自宅、地域社会での支援を提供することで、里親、家族・子育て支援、教育、家庭内暴力、アルコール・麻薬中毒、児童・青少年育成、緊急支援、家計カウンセリング、地域ケアといったプログラムを展開し、ビクトリア州最大の児童・家族サービス提供者であり、オーストラリアで最も革新的な福祉事業体の一つとなっている。(St. John’s Homes for Boys and Girls https://www.findandconnect.gov.au/guide/vic/E000211: Find & Connect, VICならびにAnglicare Victoria 各ホームページより要約) 
(以下、次号) 
 
《写真、上から順に》 
・児童養護施設勤務時代、後方真ん中が筆者。 1963年 錦華学院(東京・練馬)にて 
・イアン・G・エリス師(右)と筆者。 メルボルン空港にて 1981年11月 撮影 
・フランク・ビア氏、ビア氏の自宅にて。 1981年11月 筆者撮影 
・Anglicare Victoria  Website 表紙より