2024.07.30 小野 鎭
一期一会 地球旅 322 オーストラリアの思い出(7) メルボルン7 ゆきわりそうの旅(続き)
 一期一会・地球旅 322 
オーストラリアの思い出(7) メルボルン7 ゆきわりそうの旅(続き) 
 
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 メルボルンの郊外カンタベリー市一帯で展開されているインターチェンジ・プログラムは、St. John’s Homes for Boys and Girlsのサービスの一つであり、地域に住んでいる重度の障がい児などを週末、ボランティア過程で受け入れ、その間、障害児の親たちは介護の明け暮れからくる心身の疲労や障がい児の兄弟姉妹たちにも普段接することが少ない配慮や一家としての絆を深めることができるといった効果があると好評を得ていたと言われている。そのセント・ジョンズ・ホームズの施設長エリス師に相談すれば何らかのヒントが得られるのではないかと思い、早速、コンタクトしてみることにした。その上、偶然にもこの年10月、私は、医療事情視察団の添乗でオーストラリア・ニュージーランドへ出かける予定があった。メルボルンではエリス師からビクトリア州病院協会へ紹介していただき、そのお蔭で医療施設を見学することになっていた。まさに、天の配剤と言っても良い幸運であったといえよう。 
 
 幾度か書いているが、この時代(80年代)はインターネットやEメールなどはまだ無く、普及していたが、まだ航空便が多く、急ぎの場合は国際電話が一般的であった。とはいえ、かなり厚かましい相談であると思い、いきなり電話するとか、一方的にFAXで依頼することなどは正直なところこだわりもあった。ご機嫌を損ねたら大きなパイプを失うといった不安があったというのが正直なところであった。 
 
 エリス師に電話を入れて要用のみを伝え、近々訪豪するので、その時会っていただきたい、詳しくは手紙を書きますのでぜひ協力願いたいと伝えた。多分、当方の勝手な願いと申し出に対しては当惑されたと思うが、師は再会できることを楽しみにしている、と快諾して下さった。Air Mailの返事をもらうだけの時間的余裕はなく、それでも好意的に受けとめていただけるであろうと期待を抱きながら、この年1987年10月24日、海外医療事情視察団 Doctor Tourをご案内してオーストラリアへ向かった。ゆきわりそうで予想されるグループは車いす利用の方が15~20名、その家族や施設のスタッフなどを含めて総勢50~60名になるであろうとのことだった。前述したように、「障害者旅行」はまだそれほど盛んではなく、増して車いす利用の方15~20名を含む大きなグループであれば航空便、現地宿泊施設、リフト付き貸切バスの借り上げなどは容易ではあるまい。 
 
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 エリス師に手紙を出す一方、航空会社は先ず、日本の会社でオーストラリアへ路線を持っている会社が当時は一社だけであった。そこで、先ずその会社に相談したが国際会議やスポーツ関係など公的な組織や公共団体などの派遣ではなく、重度の障がいのある方であって車いすの台数が多いこと、観光目的であり、純粋に民間で自費での旅行であることを告げると、担当の営業マンは最初から及び腰。社に相談してみるとの話ではあったが、やはり難しくて受けられない、との返事。そこで、これから出かけるツアーで利用することになっているQF社(カンタス航空)に相談した。担当のS氏は、日本からはそれほど多くは経験していないが、欧州線や北米線では車いす利用の乗客はよくお乗せしているので、協力できるのではないだろうかと「前向き」であった。そして、いろいろな条件は伴うがそれぞれ片づけていきましょう、どいうことで正式に受けていただけるとの回答を得た。 
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 ホテルは、通常のツインルームでは、歩行不自由な方の入浴介助などはしにくいことが多いので今日言われるAccessible Roomがあることが望ましかったので現地手配会社(ツアーオペレーター)に相談した。ところが、そのようなところは少ないかまたはあるとしても、予想される車いす使用者数は満たし得ないであろう、加えて、料金的にも高くなるかもしれない、とのことであった。姥山さんからは、必ずしも障害者対応のホテルでなくても、シャワーとトイレがきちんと使えれば良いだろうと譲歩いただいていた。そこでこれもエリス師に相談したところ、師はメルボルン大学神学部出身であり、同大学の学生寮が学生たちの夏休み期間中で学生の不在な時期であれば使えるかもしれない、との話を得た。食事は、キッチンスタッフが朝夕食を準備していただけるとのこと。滞在中は、様々なプログラムが計画されるのでお昼は外で食べることとして、宿泊と朝夕の食事についても整えられることが見えてきた。貸切バスについていえば、当時、日本では障害者施設などが車いす対応のバスなどを所有していたが、貸切バスとしてはまだ普及していなかったと思う。エリス師は、これについてもリフト付きの大型バスを借り上げることで話を進めてくださっていた。 
 
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 こうして、当初予定されていた旅行業務で出発し、シドニー滞在後、メルボルンに到着した。エリス師の協力で医療施設見学など二日間の公的なプログラムを終え、夕食後、師が彼の片腕ともいえるF.ビア部長と共にホテルに打ち合わせに来てくださった。この時のMeetingは1時間くらいであったが、両氏がとても好意的に接してくださり、こちらの相談や申し出に対して全面的に協力いただけるとの確約を得、とにかく「うれしい」の一言であった。それからニュージーランドを回って10日後に帰国し、姥山さんに詳しく報告したところ、涙を流さんばかりに喜んで下さり、勇気百倍の思いで本格的に旅行のお取り扱いへ向けて準備を進めていった。旅行期間は、1988年12月6日からの8日間とすることになった。QF便はメルボルンへの直行便があり、メルボルン大学の学生たちの夏休み期間であって、学生寮を使わせていただけること、クリスマス前の旅行繁忙期前の平準期であることなど諸条件を満たして決まった日程であった。 
 
 エリス師とはその後も逐次Air Mailでお互いに準備状況について情報を交換して次第に土台が固まっていった。実際に、旅行に参加したいというメンバーも少しずつ固まっていき、どうやら車いす使用者18名、その家族や施設スタッフなどを含めて総勢53~54名くらいになると見込まれた。QF側にこの旨を伝え、障害の種類、年齢、歩行の可否、座位が保てるかどうか等をリストにして提出した。そして、搭乗は、一般乗客よりも前に、予定されたシートまで歩行できない人は、家族やスタッフが抱えたり、おぶったりして移動していただくこと、現地到着後は、その反対の動きをすることを確認した。また、QF側では、幸い、当該搭乗便のエコノミークラスに若干の空きがあったので我々のグループの座席近くに数席を確保して、いざという場合は、それらの席も使って構わなという好意も得ることができた。(以下、次号) 
 
《写真、上から順に》 
・St. John’s Homes for Boys and Girlsの本部(ビクトリア州カンタベリー市) Find &Connectより 
・カンタス航空 B747-200型機 1980年代 カンタス航空資料より 
・メルボルン大学ニューマン・カレッジ学生寮。中庭から見たメインダイニング・ルー ムの上には大きなドーム。 University of Melbourne Newman College 資料より 
・全社連 海外医療事情視察団 シドニーにて 1987年10月 筆者撮影