2024.11.18
小野 鎭
一期一会 地球旅 337 ニュージーランドの思い出(6)クライストチャーチから5 カイコウラ1
一期一会・地球旅 337
ニュージーランドの思い出(6)クライストチャーチから5
カイコウラ1
クライストチャーチから足を延ばしたところはもう一か所ある。南島を太平洋岸沿いに北へ190kmのところにカイコウラの町がある。東京・豊島区にあるゆきわりそうグループのオーストラリア旅行について紹介したが、ニュージーランド最大の都市オークランドで第九コンサートを行われることになった。そこへ出かけるツアーの一環として、発達プログラムの一つである水泳教室のドルフィン・スィムのメンバーもこれへの参加が検討された。そのためカイコウラへの現地調査が1994年12月に行われ、私も添乗業務を兼ねて同行した。
ゆきわりそうグループでは、利用施設としての本来的な役割と並行して、障がい者の発達を促すためのプログラム「レンガの家」を展開してこられた。ホームページには、次のような説明がある。「感じる力、考える力、いい時間づくりの提案・・・ 多様なプログラムを実施、参加者には目を見張るような発達が続々! 自分自身を外の世界と異なるものとして認知できるか、物をつかむ、握る、話すという手の操作ができるか。周りの環境にある程度適応できるか、それらの機能を獲得するところから自己認識や身体意識が育ちます。それぞれの教室は、その力をつけるために経験し、成熟し、発達するプログラムが組まれています。そして、より素晴らしい、人間らしい活動に入る準備ができます。」(ゆきわりそうグループ 発達プログラム レンガの家 H/P) このような目的を達成するためにソフトスポーツ、マラソン、ウォーキング、ゴロ野球、乗馬、水泳などのスポーツプログラム、もう一つは遊び塾、和太鼓、絵画、ゴスペル、合唱などの文化的なプログラムなどが行われている。これらの事業は、ゆきわりそうグループのうち、NPOゆきわりそうとして推進されている。とりわけ、水泳では、プール教室を経て、オーシャンクラブとしてイルカと泳ごう!豊かな自然を心と体で感じようというプログラムがある。伊豆諸島の御蔵島の海で毎夏ドルフィン・スィムプログラムが行われてきたが、コロナ禍から数年間中断されていた。それが2024年の夏、5年ぶりに再開され、野生のイルカと外洋で遊泳するメンバーたちの姿をとらえたドキュメンタリービデオを見ることができる。大海原でイルカと遊泳する彼らの姿に圧倒される。https://www.yukiwari.org/post-288/
このオーシャンクラブのプログラムは、もちろん一朝一夕に出来上がったものではない。ゆきわりそうでは、オーストラリアへの旅行に次いで、アメリカの西海岸やカナディアンロッキー、国内では与論島などへの旅行も実施してこられた。これと並行して、レンガの家の水泳教室の効果も大きく、水泳のインストラクターであり、NPOゆきわりそうの理事長姥山剛氏をリーダーとしてより効果的なプログラムが実施されてきた。初期のオーシャンクラブでは国内の外洋だけでなく、オーストラリアやニュージーランドでのドルフィンスイムの場を探り、実際に現地調査なども行われた。西オーストラリア州のフリーマントルやバンバリー、ニュージーランドのパイヒアやカイコウラなど私自身も添乗と通訳を兼ねてお供したところもある。差し当たっての焦点は、1995年12月に北島のオークランドで予定されている第九コンサートの後、オーシャンクラブのメンバーにニュージーランドの海でイルカとの遊泳を楽しませたいとの希望があり、そのための準備の一環であった。
その中でも、とりわけカイコウラは、強く印象に残っている。南島のクライストチャーチから北上すること車で3~4時間のところにある。クライストチャーチ一帯の平地を過ぎると左側には次第に山並みが険しく高くなり、やがて2,000mを越えるカイコウラ山脈(Seaward Kaikoura Range)が連なり、その麓の太平洋岸にその町はあった。同名の小さな半島があり、湾に面して集落があった。この地には、マオリ族が古くから居住していたが、19世紀前半にはイギリス人の支配が強まり、1842年に捕鯨基地がつくられ、捕鯨はこの町の主要な産業となっていった。しかしながら、捕鯨産業は次第に減退して海運業や町の周辺で農業などが周辺で行われるようになっていった。1945年にクライストチャーチから南島の北部のピクトンまでの鉄道が開通し、街の人口は5,000人くらいとなった。北島と南島を結ぶカーフェリーも開通し、南北の島の間の往来が増え、この町への観光客も増えた。1963年から翌年にかけて最後の捕鯨が行われマッコウクジラ248頭が処理されたという。その後、この国はオーストラリアと並んで捕鯨反対へと転換し、カイコウラの捕鯨基地としての歴史は過去のものになっている。
1990年代、私たちが下見で訪れたこの町は、かつての捕鯨の街からWhale Watching(クジラ見物)やDolphin Encounter(イルカとの出会い)などの観光が盛んになり、この国だけでなく、世界中に知られるようになっていた。しかし、日本ではまだ知名度は高くなく、政府観光局やニュージーランド航空の案内で紹介されているくらいであったと思う。実際に訪れてみたこの町は、海岸沿いに集落が続き、中心街らしいところに観光案内所とイルカやクジラを描いたツアー会社、潜水用具の店などが並んでいた。レストランやカフェなどのほか、小型のスーパーのような店舗などがあった。12月と言えば真夏であり、海辺の観光地はかなりの賑わいがあるだろうと予想していた。しかし、鎌倉や逗子などの海岸風景とはおよそ違っていてそれほど観光客らしい姿は多くは見かけなかった。宿泊施設も大きなホテルなどはなく、ペンション風の小さなホテルやアパート風の宿泊施設がほとんどであった。私たちが泊まったホテルもフロント係のほかにはスタッフらしい姿も見えず、レストランもなかった。チェックインを済ませた後の行動もすべて自分たちでやるのが当然? 部屋には小さなキッチンも付いており、自炊も行えるようになっていた。私たちは、食材などを買ってきて、この日はゆきわりそうの姥山代表が自ら準備してくださった夕食を楽しませていただいた。夕方までに私たちは、イルカの絵を大きく描いたツアー会社に行って翌年計画しているツアーへの対応についていろいろ情報を収集し、今後の対応についての打ち合わせを行った。Dolphin Encounterということばもこの時覚えた。野生生物との出会いや見物は、その出現率によって大きく左右されるが、1年を通してくじらやイルカの姿はかなりの割合でこれが可能であり、この時の下見で訪れた12月も好都合な時期であった。(以下、次号)
《資料》
・ゆきわりそう 発達プログラム レンガの家 : NPOゆきわりそう 資料より
・カイコウラ : Wikipediaより
《写真、上から順に》
・ドルフィン・スィムの発端 : NPOゆきわりそう 公式ホームページより転載
・ドルフィン・スィム 2024年 御蔵島にて : NPOゆきわりそう 公式ホームページより転載
・イルカとの遭遇 2024年 御蔵島にて : 同上
・オーシャンクラブ 海洋での練習風景 : NPOオーシャンファミリー資料より
・カイコウラ海岸とカイコウラ山脈 : 1994年12月 筆者撮影
・Whales & Dolphins Kaikoura 1995 : Todd Barbaraより