2025.02.03
小野 鎭
一期一会 地球旅 347 タヒチの思い出(2)モーレア島
一期一会・地球旅 347
タヒチの思い出(2)モーレア島
タヒチの思い出(2)モーレア島
翌日は、全日が自由行動、ほとんどの人がオプショナルツアーとして、パペーテの向かい側で奇怪な山容を見せているモーレア島へ出かけられた。往路は船で45分くらいであっただろうか。紺碧の海という表現があるが、まさにその通りであった。そして、空はまぶしい青空に白雲が浮かび、ポスターなどで見かける南太平洋の島と海そのものであった。海外教育事情視察団の日誌にはタヒチ島に続けて、I氏がモーレア島について、次のように記述している。
「パペーテの真向かいに浮かぶ奇怪な島影、その名はモーレア島。浸食がはげしく、のこぎり状の稜線は朝夕に色を変え、人の心を果てしない空想の世界へいざなう。タヒチの自然美もこの島の存在によってどれだけ魅力を増しているかしれない。これら一連の風景は時間の経過とともに色彩が変化し、また味わいも変わる。一日中同じ場所であきもせず眺め、楽しむことができる。これこそまさに南海の珠玉“最後の楽園”ではないだろうか。
しかし、この“最後の楽園”も、飛行機など交通が発達し、観光事業が活発化すればするほど、急速に文明世界へ引き寄せられて、その実態は、期待やキャッチフレーズに背くものとなっていく。太古カヌーに身を託し、千里の海路を乗り越えて東進してきたポリネシア人の祖先が見出したこの島、古代の神々の信仰が栄えたこの島に、昔日の面影の多くはなくなり、文明社会に毒される日の近いことを予言せねばならぬことは、残念である。」と結ばれている。
画家ゴーギャンは、フランスでの日々から素朴で単純な生活を求めてタヒチ島に移り、アトリエはパペーテから離れた地に作って、作品を制作していたとのこと。その後、フランスに戻ったが、再び、この地に移り、彼のもっとも有名な絵画の一つ、「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか?」(仏: D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?)を描いており、その後、さらにタヒチからを1500km離れたマルキーズ諸島のヒバ・オア島に移り、その地で生涯を終えたという。多くの人たちが快適さと便利さを求め、一方では素朴で単純な生活に憧れるものらしい。ゴーギャンに限らず、そんな単純な理由ではないことは分かるが、どこまでも理想を求めて移り住んでいった彼の生きざまには、ある意味で羨ましさを覚える人もあるかもしれない。
私たちがタヒチを訪れたときよりも少し前にアメリカ映画で「南太平洋」(South Pacific)があった。その中に神秘の島「バリ・ハイ」(Bali Ha’i)が登場し、タヒチ島の向かい側にあるモーレア島がモデルになっていると聞いていた。主題歌の一つ「バリ・ハイ」を歌うファニタ・ホールの美声に感動したものである。元は、ブロードウェイのミュージカルで人気を博したそうであるが、映画はロッサノ・ブラッツイとミッツイ・ゲイナーが主演。私は、二人が歌う「魅惑の宵」(Some Enchanted Evening)にすっかり魅了された。今でも時々、ラジオからこのメロディが流れると、青年時代、夢中で映画を見ていたころを思い出す。実際の撮影はハワイ諸島のカウアイ島で行われたことを知ったが、個人的には南太平洋が舞台であれば、やはりモーレア島の方がピンとくると思ったものである。
ところで、本稿を書くにあたり、映画「南太平洋」の主役たちについて調べてみた。ロッサノ・ブラッツイ(Rossano Brazzi)は、イタリアのボローニャ出身、フィレンツェで過ごした後、イタリアでデビュー、やがてハリウッドでも大活躍。アメリカ映画「恋愛専科」(Rome Adventure)では私は、ローマの街を徹底して楽しんだし、「旅情」(Summertime)ではヴェネツィアにすっかり魅了された。彼の出た映画はじめ多くのフィルムを鑑賞することでイタリア各地を知る上でもずいぶん役立った。映画「ゴッド・ファーザー」(The Godfather)では、ヴィトー・コルレオーネ役のオファーがあったがこれを断ったとのこと。実際にはマーロン・ブランドが演じている。1994年に没している。
ミッツイ・ゲイナー(Mizzi Gaynor)はシカゴ出身、ミュージカル映画で大活躍した後、彼女の名前を冠したテレビ番組も流行ったとのこと。「南太平洋」のほか、「ショウほど素敵な商売はない」(There’s No Business Like Show Business)であるとか「夜は夜もすがら」(Anything Goes)などのミュージカル映画が今も記憶に残っている。本年10月17日に93歳で没したとのこと。ほんの数か月前の話である。合掌。
もう一人、準主役であったがフランス・ニュイエン(France Nuyen)が懐かしい。父親はベトナム人、母親がフランス人で、マルセーユ出身。東洋系のエキゾチックで謎めいた美しさは今も脳裏に残っている。南太平洋のほか、「ナポレオン・ソロ」(The Man from U.N.C.L.E.)や「最後の猿の惑星」(Battle for the Planet of the Apes)、「チャーリーズ・エンジェルズ」(Charlie’s Angels)にも出演していたとのこと。フランスよりアメリカで活躍したということだろう。現在、85歳だとか、元気でいてほしい。
モーレア島へは私もお供した。往路は船、文字通り紺碧の水面は吸い込まれそうな美しさであった。島の中央部には。ゴーギャンが「古城のような」と称したそうであるが、奇怪な山容の最高峰Mt.Tohivea(1207m)がそびえており、今は、ベルベデーレ展望台なるところまでドライブすると、緑の谷間と二つの青い海が入り組んだ湾などの絶景が素晴らしいとある。私たちが訪れたときもバスで島をまわり、素朴な集落や洒落たリゾートホテルなどを眺めたと思う。どのような風景であったか具体的なことは覚えていないが、セピア色に変色した写真から当時の島の様子を知ることができる。地図を見ると、この島はサンゴ礁に囲まれた逆三角形の形をしており、北から南側へ二つの大きな細長い湾入があり、結果的には巨大な「Wの字」を思わせる形に見える。
そういえば、タヒチ島は「ひょうたん」の形をしており、北側の大きな丸い方に最高峰オロヘナ山(Mt.Orohena 2241m)がそびえており、南東側の丸い部分の中央部にロヌイ山(Mt.Ronui 1332m)がある。地図を見ていて思い出すことがある。日本の伊豆諸島の八丈島北東から南西にかけて細長いひょうたん型(八丈島町役場の案内)をしており、北側に八丈富士(西山)854m、南側に三原山(東山)700mがある。二つの大きなこぶがあるということから言えばタヒチ島と似たようなところがある。自然景観から見て共通点を覚える二つの島である。
モーレア島からパペーテへの帰路は小型機に5~6人ずつ分乗、僅か10数分の空の旅であった。パペーテの空港には色鮮やかな小型機が並んでおり、モーレア島はじめソシエテ諸島の島々を結んでいるらしい。
《写真、上から順に》
・パペーテのホテルから見たモーレア島 : 1974年2月 筆者撮影
・ゴーギャンの「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか?」(仏: D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?) Museum Fine Arts of Bostonより
・バリ・ハイを歌うファニタ・ホール(Juanita Hall): World Press Co.,より
・映画「南太平洋」(South Pacific)のポスター : Wikipediaより
・クック湾から見たモーレア島の最高峰オロヘナ山 : 1974年2月 筆者撮影
・島々を結ぶ小型機、モーレア島にて : 1974年2月 筆者撮影