2025.06.02
小野 鎭
一期一会 地球旅 364 ドイツでの思い出(4)ハンブルクにて(1) ドアのないエレベーターに驚いた!

一期一会・地球旅 364
ドイツでの思い出(4) ハンブルクにて(1)
ドアのないエレベーターに驚いた!

産業青年後継者養成海外研修団は、初期のころはオランダでの研修が多かったが、次第にドイツでの研修が多くなっていった。最初は、団員数が40数名であったが次第に人数が増え100名を超すようになり、女性の参加も少しずつ出てきていた。そんな時代だったのかもしれない。研修プログラムの設定、特に視察訪問先を同時に数か所ずつ探すことが必要であり、訪問先の発掘では苦労が多かった。日本商工会議所のデュッセルドルフ事務所であるとか、ライファイゼン農協などにもお世話になっていた。日本航空ハンブルク支店にもお世話になった。70年代、北回りで飛ぶ日本航空は、デンマークのコペンハーゲン、ドイツでは、ハンブルクとフランクフルト、オランダのアムステルダム、フランスはパリ、英国はロンドンが発着地であった。産業貿易面での日本とのやり取りではデュッセルドルフと並んでハンブルクが要となっていた。多分、日本との貿易などでは今もその重要性は変わらないであろう。この町は北ドイツのエルベ川の河口から100㎞さかのぼったところに位置しているが、ロッテルダムやアントワープと並んで欧州有数の港湾都市である。中世からハンザ同盟の中核都市として発展し、この町の名前は、今も、自由ハンザ都市ハンブルクFrie und Hansestadt Hamburgであり、一市単独でハンブルク市・州としてドイツ連邦の州を成している。現在もベルリンに次いでドイツでは2番目の大都市である。

港湾都市ハンブルクの発展を今に伝えるところとして、シュパイヒャーシュタットとチリハウスのあるコントールハウス地区が市の中心部に位置しており、港湾都市において倉庫とオフィスが一体化して傑出した事例としてユネスコの世界文化遺産として登録されている。世界遺産に登録されているこの地区は、一度聞いただけではおよそ聞き取れない複雑な名称である。私は、幾度かこの町を訪れているがいずれも30~50年前のことであり、当時は古色蒼然とした倉庫街などであった。しかしながら、それを取り壊すのではなく、昔の街並みとたたずまいなどを残しながら徐々に再整備されていく様子を見たことを覚えている。横浜の赤レンガ倉庫街を想像していただいたらいいかもしれない。それらの再整備事業が終了した後、2015年に世界遺産として登録されたのであろう。願わくは、一度は訪ねてみたいものである。

研修団は、ドイツでは前述したライファイゼン協同組合と並んで流通面ではEDEKA協同組合関係を主として商業や手工業関係などについて視察研修プログラムがつくられ、商店や製造業関係の工場などを見学した。後継者の養成ということでは、マイスター制度が興味深いテーマであった。食肉店やパン屋などの商店では、マイスター(親方)の資格を取得しなければ開業することができないことになっており、我が子であってもしっかり指導していくことが店主にとっても後取りを育てる上から大切な責務であった。
商店などを見学する前にハンブルクのEDEKA協同組合について全体説明を受けるためにオフィスを訪ねた。7~8階建ての建物であったと思うが、ビルに入り、職員の案内に従ってエレベーターに乗ることになった。そこで驚いたのは、エレベーターにはドアがなく、左右一台ずつ、一方は上り線用、もう一方は下り専用であった。どうやら一日中、カゴは上下しており、希望の階で降りるというのがこのカゴを利用するときの仕組みらしい。目の前に来たカゴに乗り込み、左右の握り棒を掴んで安定を保ち、そのまま上昇していき、指定された階に到達するとその階の案内職員が迎えてくれて降りるという方法。二人で乗るときは同時に並んで乗り込み、それぞれ希望の階で降りるということか? つまり、このエレベーターは階ごとに止まるのではなく、一日中動いていて乗客(?)は上へ、下へと必要に応じてこれを利用するということであり、パーテルノステル方式(Paternoster)と呼ばれているとのこと。

このドアのないエレベーターについては、先輩社員から話は聞いていたのでそんなに変わった乗り物(?)があるのだったら自分もいつか利用したいとは思っていた。従って、なるほど、これのことだったのかと納得した。そして、慌てずにメンバー各位を誘導し、いよいよ自分も乗ってみた。そして、次に感じた疑問点は、終点、つまり最上階または最下階まで行ったらどうなるのだろうということだった。それを確かめたいとは思ったが業務中であり、そんな悠長な時間はなかったので原理だけは想像し たが確認せずに終わっていた。もしかすると、以前にオランダのアムステルダムの病院で視察団のうちの数名が乗っていたエレベーターが階の途中で急停止した。そしていっこうに動かず、止む無く、少しだけ空いていた隙間から這い出してもらったという椿事(ちんじ)があった。それがこの方式の設備であったような気もするが今となっては定かではない。この病院に先だって問い合わせてみたが半世紀前のことであり、確かなことは分からなかった。
パーテルノステル方式のエレベーター、元は、英国で考案されたがドイツやオーストリア、チェコなど中欧地方で普及したらしい。今は新しく設置されることはなくなっているが古い建物などで昔のまま、今も使われているところがあると聞く。事実、このエレベーターに乗ったことのある人たちがじぶんたちの経験談を投稿するとか、動画で紹介している人もある。それを拝見すると、終点まで行った具体的な説明が付されており、それを見て、納得がいった。投稿者にはお礼を申し上げたい。
さて、EDEKAは、ドイツ全体のスーパーマーケットの23.5%を占め、この国最大のスーパーマーケット・チェーン(2017年)としての流通組織網をもっており、ハンブルクにある本所の堂々たる建物が紹介されている。私たちが訪れたのは1970年代前半であったが、EDEKAの沿革を見ると72年に本所をハンブルクに移したとあるのであるいはその直後であったかもしれない。当時は、協同組合としての流通組織であり、その中でも物流であるとか傘下の商店やマイスター制度などについて説明を受けた。しかし、その場所が本所であったのか、それともどこかよその建物であったのかは分からない。現在の本所ビルがいつ建設されたのかは不明だが、現代的な建物であり、玄関ホールには見るからに快適らしいエスカレーターが紹介されている。ただし、エレベーターは紹介されていないがもちろん通常のトラクション方式(つるべ式)であることは想像に難くない。

ところで、EDEKA本所のある住所を見るとハンブルク北地区の新市街地にある。そこは、アルスター湖などのある旧市街地や中心街から北方にある広大な地域であり、その中にはハンブルク空港も含まれている。70~80年代に都市計画や建設関係並びに医療や福祉関係で幾度か訪れたころでもあった。Hamburg Nord(ハンブルク北地域)一帯は新市街地として開発が進められていた地域であり、その中の一画であることを知り、懐かしく思い出された。(以下、次号)
《資料》
・シュパイヒャーシュタットと、チリハウスのあるコントールハウス地区 : 世界遺産アカデミー発行 すべてがわかる世界遺産1500下巻
・パーテルノステル(Cyclic Elevator): Wikipedia
・昇降機百科/エレベーターの駆動の仕組み : 一般社団法人日本エレベーター協会
《写真:上から順に》
・ハンブルク港ザンクト・パウリ地区 : Wikipedia資料より
・世界遺産 シュパイヒャーシュタットとチリハウスのあるコントールハウス地区のうち、チリハウス : UNESCO World Heritage Centre 資料より
・EDEKAチェーンの食料品店見学(白衣を着ている人が店長 ハンブルク市内) : 産業青年後継者養成海外研修団 1972年 筆者撮影
・パーテルノステル式エレベーターの原理 : Wikipedia資料より
・EDEKA本所ビル (ハンブルク市City Nord) : EDEKA資料より