2026.05.18
小野 鎭
一期一会 地球旅 413 オーストリアでの思い出(1) ウィーンにて1
一期一会・地球旅 413
オーストリアでの思い出(1) ウィーンにて①
前回まで、自分が初めて「世界一周添乗」をしたときの思い出を振り返ってみた。欧米を飛び回っていたのは、1966年から2013年までであったが、そのうち、早期の頃、ヨーロッパでは、LON・PAR・ROMと短く呼ばれるロンドン、パリ、ローマの3都市が含まれることが多かった。観光主体の旅行ではなく、視察や研修の団体旅行が多く、医療や福祉、教育分野などが多かったが参加者は、海外は初めてとか、ヨーロッパは初めて等という方も多く、海外派遣を計画された組織では、この機会にそれらの町も見せてあげたいという「親心」もあったと思う。その面から欧州では、英仏独、北欧、オランダ、スイスさらにはイタリアなどが含まれていることが多かった。70年代から海外旅行が急激に増加していったが、とりわけ視察や研修旅行団が多かったのは、高度成長経済の時代を経て日本の経済力が強く、加えて円高になっていたこともあるだろう。言うところの欧米先進国に学ぼうとする姿勢が大きかったと思われる。
当時は、東西冷戦の時代であって、東欧諸国は社会主義国家が多く、視察や研修関係に含まれることは「西欧」に比べると少なかった。これらの国に近接するオーストリアは、西側諸国ではあったが、経由地なども含めてもそれほど多くはなかった。自分自身、ザルツブルクやインスブルックを含めても多分10回程度しか行っておらず、英独仏スイスなどが圧倒的に多かったことと比べるまでもなく、少なかった。ところが、1989年にベルリンの壁が壊され、冷戦構造が崩れるとかつての東欧の多くの社会主義国家は次第に国のかたちが変容していった。そして、観光産業の振興に力を入れる国が増えて、1990年代からは日本からの観光客も少しずつ増えていった。かつての東欧諸国は「中欧」と呼ばれるようになり、オーストリアの首都ウィーンは、この地域のハブ的な存在になってきた。一方、1990年代にバブル経済が破綻して日本経済は長い沈滞ムードに覆われ、かつての視察や研修といった旅行形態も急速に減少し、海外旅行そのものも次第に伸びが鈍化していった。また、旅行形態もかつてのグループ旅行から次第に個人旅行形態に替わり、しかも旅行手配なども旅行者自身でこれを行い、旅行会社を介さずに出かける人が多くなっていったのも時代の変化を示す一例であろう。
そんな時代背景を経て、自分の添乗経験は2000年代に入ると年齢的な変化もあり、次第に旅行回数が減り、一方では、かつての視察や研修旅行が少なくなり、観光主体の旅行に替わっていった。2000年からの添乗ないし旅行は、欧州14回、北米10回、オセアニア3回、アジア10回、国内が7回であった。そのうち、視察や研修関係は10回であり、かつての経験に比べると激減している。その反対に観光主体または、仲間同士の懐メロを目的とした旅行が多かった。行き先で特に印象的なことは、欧州14回のうち、オーストリアが4回、いずれもウィーンが主であった。一方では、イタリアも4回ということでこれも興味深いことであった。そんなわけで、ウィーン始めオーストリアでの思い出は比較的ホットな記憶が多く、そのようなことについていくつか書いてみたい。
そのひとつは、はるか昔の1978年、Doctor Tourであった。ノルウエーに始まり、英国、オランダ、スイスを経て西独さらにイタリア、ギリシア、最後にフランスと周り31日間の欧州視察であった。近年では、地球温暖化が進行しているためかヨーロッパでも夏の暑さは「異常が平常になってきている感じ」であるが、以前はおおむねさわやかであった。アルプス以北のヨーロッパ各地のホテルでは、暖房装置は総じて良くできていると思うが、冷房ということから言えばせいぜい換気が行われるとか、窓を開けて外気を入れるくらいであったと思う。つまり、冷房設備は備わっていないところが多かったのではないだろうか。ウィーンも、この時はさわやかでカラッとした暑さであった。
この時は、市庁舎に近いホテルに宿泊した。ミュンヘンから列車で到着したのは午後3時25分、ウィーン西駅着、ホテルに入ったのは4時ごろだったのではないだろうか。先生方の中には、クラッシック音楽が好きな方も多かった。駅に迎えに来ていたガイドから音楽の都ウィーンでは、オペラやウィーンフィルの演奏会などは冬場が多く、夏は市民公園やシェーンブルン宮殿などで比較的ポピュラーなプログラムのコンサートなどをやっていますよ、という案内があった。ホテルに着いてチェックイン後、フロントではその日のコンサートなどについて案内があり、市庁舎の中庭でコンサート(Arkadenhof Konzertといわれていたらしい)についても紹介されていた。ホテルから市庁舎までは徒歩でも数分で行ける距離であり、10数名の先生方からご希望があった。コンシェルジュに聞いてみるとまだ切符があるとのこと。金額もプログラムも記憶にはないが、今からでも時間的に間に合うとのことで先生方は急ぎ服装を整えて出かけられた。私は、チェックイン後の各種業務があり、先生方と一緒にこれを鑑賞することはできないが、グループの半数近い人数であり、団の皆さんには了解を得てコンサート希望者を会場まで案内した。すでに開演間近であったが、席は十分残っており、係員が皆さんを案内してくれたのでほっとしたことを覚えている。
オーケストラは、夏休み期間中も演奏旅行には参加せずにウィーン市内にいる演奏家であるとか、プロを目指すミュージシャンなどで構成されており、プログラムはシンフォニーの一部であるとか、ワルツなどポピュラーなメロディであったらしい。豪華なゴシック・リヴァイヴァル様式の市庁舎はそれ自体見応えのある建物であるが、中庭は心地よくさわやかな風があり、とても楽しかったと喜ばれた。
オーケストラは、夏休み期間中も演奏旅行には参加せずにウィーン市内にいる演奏家であるとか、プロを目指すミュージシャンなどで構成されており、プログラムはシンフォニーの一部であるとか、ワルツなどポピュラーなメロディであったらしい。豪華なゴシック・リヴァイヴァル様式の市庁舎はそれ自体見応えのある建物であるが、中庭は心地よくさわやかな風があり、とても楽しかったと喜ばれた。
まさに音楽の都ウィーンでは、演奏を聴くためにこの町に行く旅行者も多いが、たまたま旅行中に現地で音楽を聴きたいとホテルのフロントに聞いて出かける人もある。また、市内でも目抜き通りであるケルントナー通りであるとかシュテファン寺院やホーフブルク宮殿など観光名所付近では演奏会などの案内兼切符売りが観光客に案内をしている。最初のうちは、インチキではないかと近寄らないことにしていたが、現地の観光局やガイドなどに聞いてみるとその面での心配はほとんどないらしく、事実、自分自身これを利用したこともあり、さすがは音楽の都と納得している。 旅行中、ウィーンに限らず、コンサートを聴きに行ったことは幾度かあるが添乗業務中はお客様と一緒であれば気分的に楽であった。それ以外は完全にフリーな時以外は実際にはちょっと難しかったと記憶している。(以下、次号)
《写真、上から順に》
・ブータム・パーク病院(英国・ヨーク市)、この時は、慌てて加わったため、添乗員(筆者)は最前列にいる!:1978年撮影
・スイス・インターラーケンのヴィクトリア・ユングフラウホテルにて。一流ホテルであることを意識して、服装は予め整えてチェックインに臨んだ。:1978年撮影
・ウィーン市庁舎は壮麗なゴシック・リヴァイヴァル様式の建物:Wikipediaより
・ウィーン市庁舎のArkadenhof Konzert (1967の例):Wien Info.より
・この旅行では、ギリシアのアテネにも行った!左が筆者:1978年撮影