2025.07.22
小野 鎭
一期一会 地球旅 371 ドイツでの思い出(11) ボン:ベートーヴェンの生誕地にて(6)

一期一会・地球旅 371
ドイツでの思い出(11) ボン:ベートーヴェンの生誕地にて(6)

一夜明けて、オリエンテーションを兼ねて市内観光と散策をした。その中でハイライトはベートーヴェン・ハウスの見学であった。第九は晩年、オーストリアでウィーンとその周辺で作曲されているが、生家はボンの市内中心部の旧市街にある。250年以上の古い建物であり、いわば重要文化財。3階建てであるが、残念ながらエレベーターは設置されていない。事前調査では、この記念館の見学にあたっては、多くの車いす使用の人たちのためにクレーン車で抱え上げるなどのアイディアも出されたが、その方法はとられなかった。そこで、スタッフや添乗員、屈強な団員などが相互に支援しあって2階まで上がっていただいた。おぶって上がる人、肩を支えて一歩ずつ上る人もあれば、4人で車いすに乗った人を支えて階段を上がった人たちもあった。夢にまで見たベートーヴェンの胸像、自筆の楽譜や彼が使った楽器、耳に宛てた収音機などをじっと眺める姿が一入印象的であった。N君の写真と一緒に見学している姿もあった。団員の一人東哲朗さんは、ゆきわりそう開設から間もなくスタッフとして入職され、N君にとても信頼されていた人である。N君がいなくなった旅行中は別の団員を支えるなど大活躍している姿が今も私の記憶に残っている。あれから32年後の今、法人の理事を務めつつ、ゆきわりそうでは幹部職員として大活躍されている。

バスで市内を回り、ボン大学の広大なキャンパスも見学した。大学本館は大きな建物で2~3階部分の窓が大学の講堂らしい。あそこでいよいよ「歓喜の歌」を歌うことを考えると次第に胸が高まってきた。

夕方、オーケストラも加わってゲネプロ(全体練習)。ここで初めて指揮者トノ・ヴィッシングと対面した。スラっと背の高い好青年、30歳前後であろうか、Guten Tag!
第九を歌おうとみんなはドイツ語の歌詞について学んできたが活きた会話をしたことは無かった。みんな元気よく、挨拶をした。彼は、にこにこ笑って喜んでくれて、同様にGuten Tag!と応じてくれ、練習会場は一気に明るくなった。オーケストラの団員も皆にこにこ笑って、笑みを返してくれた。トノは、ひとたび指揮棒を持つと全身に力がみなぎったようであった。一通り、歌ってみたところ、彼が発した言葉は、「よく練習を積んだ合唱団です」と喜んでくれた。オーケストラやカルトイザー教会合唱団のメンバーとも交歓、そして、本番では力いっぱい歌おうとみんなは心に誓ったと思う。

5月14日、いよいよコンサート当日、ホールは大学本館の2階にあるが、天井の高い建物であるので3~4階はありそうな感じ。小さなエレベーターがあり、それで上がった人もいたが、多くは団員が支えあって階段を上り、ホールに上がった。舞台では、前方にオーケストラ、後方に合唱団、私たちとドイツ側のメンバーがそれぞれパートごとに交じり合って立った。客席は、全席が埋まっており、レーベンスヒルフェのボン支部に属する人たちやその家族らしい人たちの顔もたくさんあった。そして、最前方の中ほどにDr. Tom Muttersがにこやかに笑みを浮かべて座っていた。そして、私に手を挙げて合図を送ってくれた。パキスタンのカラチで彼に協力を申し出た1991年11月から1年6か月が過ぎていた。お蔭でやっとここまで来ることができ、嬉しさがこみ上げてきた。みんな、力いっぱい歌ってほしい!
演奏に先立って、姥山代表の挨拶。「ドイツの皆さん、日本の皆さん、ありがとう、平和のために、愛のために、私たちは今日力いっぱい、歌います!」、そして、T・Tハギハラ女史が通訳して聴衆に伝えた。会場からは大きな拍手があった。そして、トノ・ヴィッシングのタクト(指揮棒)が振り下ろされた。

「生涯、忘れない、ボンに響け、歓喜の歌、私たちは命の限り歌った」、記念誌には団員の感想が書かれている。私自身も歌い終えたとき、一緒に来ている添乗員I君と肩を抱き合った。彼も仕事の合間に共に練習に励み、歌い続けてきた。彼も私も感激の涙が流れるのを止めることができなかった。聴衆は総立ちとなり、いつまでも拍手が続き、鳴りやまなかった。Dr. Muttersも立ち上がり、全身で喜びと感動を表していた。とにかく嬉しかった。彼のお蔭だった。団員の誰よりも私は彼への感謝の念でいっぱいだった。どれほど言っても言い尽くせぬほど感謝の思いがあった。当初は、どこから手を付ければよいのかわからず、とにかく無我夢中でもがき続け、やがてムッタース氏にたどり着いて動き出した。そして、多くの人たちの協力をいただいたおかげで見事に花を咲かせることができた。

演奏会後の交流会はボンの市庁舎ホールで行われた。事前調査で最初に紹介された場所であった。華やかに楽しく、ユーモア、そして友情が暖められた。みつばちブンブンのメンバーは、浴衣を着て、大正琴で「さくら、さくら」や「カッコウ」などを演奏、たくさんの拍手を得た。指揮を終えたトノ・ヴィッシング氏も相好を崩してメンバーと写真に納まっていた。記念誌の結びに姥山さんは書いておられる。「自らを鍛え、自らを管理する自立への正しい前進は、見事に花開き、定着したと思う。第九への挑戦は、福祉は文化であることの証明となった。文化に障害者を近づけるのでなく、障害者に文化を近づけるという発想はスポーツ、文化などあらゆる面での新しい展開を可能にする豊かな世界を予感させる。ノーマライゼーションは、私たちの力で作り、切り拓いてこそ可能となるのだ。力も、お金も、音楽の素養もなかった私たちがドイツの舞台で第九を命の限り歌えたことは奇跡に近い。たくさんの方々の愛と協力に恵まれたからだ。そのお返しに私たちは懸命に生きようと思う。それが何よりのご恩返しだと思っている。この場を借りて深く感謝のお礼を申し上げる次第です。」(以下、次号)

《写真、上から順に》
ベートーヴェン・ハウスに入館する人たち : 記念誌 ボンに響け、歓喜の歌より
ゆきわりそうスタッフの東さん(車いすを押す人) : 同上
ゲネプロ(全体練習)はGuten Tag!から始まった。: 同上
コンサート会場でのトム・ムッタース博士(右から2番目の男性): 同上
演奏終了後、オーケストラ団員も立ち上がって喜んでくれた。 : 同上
コンサート終了後の打ち上げ、トノ・ヴィッシング氏(後方中央)を囲んで。: 同上
お礼の挨拶をする姥山代表(前方中央、右は通訳のT.T.萩原女史) : 同上