2025.08.04 小野 鎭
一期一会 地球旅 373 ドイツの思い出(13) ボンでは風邪で参りました!
一期一会・地球旅 373
ドイツの思い出(13) ボンでは風邪で参りました! 
 
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 ドイツの思い出としては、他にもいくつかある。多くは研修や視察などの添乗で60回以上はこの国を訪れていると思うがそのすべてが旧西ドイツ側であり、東側はベルリン以外は今日まで未踏のまま。ドレスデンやライプツィッヒなど文化芸術面、あるいは世界遺産などでも興味ある所が多いが残念ながら願いは叶わず今に至っている。この国は、現在は16の連邦州で構成されているが、それ以上に多くの王国、公国、小領主君主領などが歴史上に登場しては消えていったと聞く。ドイツの歴史は古く、多様性に満ち、風土景観も変化に富んでいる。英国やフランスのように首都を中心とした一極集中型ではなく、日本とほぼ同じ面積の国土に州都始め大小の都市や古都が点在しており、私が添乗して訪れた町や村の数は、アメリカで訪問したそれに次いで多いと思う。北は首都ベルリンやハンブルク、西部は西ドイツ当時の首都ボン、デュッセルドルフ、ケルン、ボン、鉄と石炭の町エッセン、少し南へ下ってフランクフルト、ヴ ィスバーデン、マインツなどライン川沿いの町や村、南部はミュンヘン、ニュルンベルク、シュツットガルト、美しい大学都市バンベルク、ロマンチック街道沿いのローテンブルクやフッセンなどドイツの地図を見るとあちらこちらで懐かしい思い出が蘇ってくる。そのうちのいくつかについて少し書いてみたい。 
 
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 ボンでの第九コンサートのことについては長々と書いたが、そのほかに、風邪で参ったことを思い出す。1971年のことで今から半世紀以上前、添乗経験もまだ19回目であり、駆け出しの域を出なかった。それでもその4年前、初めての欧州添乗では、ドイツではケルンやボン、ハイデルベルクを訪れていたし、それ以外にも医療関係等でいくつかの町を訪れていたし、ドイツ語会話も少しずつ交わせるようになり、親しみのある国であった。この時添乗していたのは、ある大学のユースホステルクラブの学生、87名という大人数であった。バス2台で添乗員は私ともう一人、彼は私が初めてヨーロッパ添乗をしたときのように初の長期添乗であり、数年前の自分を見るような感じであった。イタリアからオーストリア、スイス、ドイツ、オランダ、フランス、最後は英国と廻って30日間、宿泊先はほとんどユースホステル、時々、ホテルであった。大学の春休み期間であり、旅行代金は航空運賃を含んで348,000円。バスでの移動がほとんどであったので各地の村や町などにも寄ったので見どころは多かった。 
 
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ハイデルベルクで、風邪をひき、アポテケ(薬局)で風邪と熱さましの薬を買った。医療機関を受診していないので処方箋が無く、一般的な薬であった。とにかく何とか治したいと願いつつ、夕方、ボンのユースホステルに着いた。ドイツ語では、Jugendherberge。町の入り口や通りでは時々JHという案内板を見かけた。ドイツはユースホステル発祥の国、中には味わいのあるホステルもあったが、旅行全体では27泊、連日シャワーしかなく、時には風呂にも入りたいと内心ちょっと寂しい思いであった。ボンのホステルは中央駅からは少し離れており、多分3泊したと思うが貸切バスはその間は利用できず、中心街まで出かけるには市バスなどを利用するしかなかった。前日からの風邪はかなりひどく、咳だけでなく、熱っぽく、身体の節々が痛かった。夕食後はベッドにもぐりこみ、養生に努めた。ボンには、ベートーヴェンハウスや美術館、冬枯れのライン川などの風景を見物した。翌日は一日フリー、依然として風邪は治らず、正直なところ、一日休んでいたかった。しかし、かねて案内していたオプショナルツアーとしてケルン日帰り旅行には50名くらいの希望があり、なんとしても自分が案内せざるを得なかった。 
 
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ケルンは、1966年、初めてのヨーロッパ添乗でドイツでは最初に訪れたところであった。ベルギーのブリュッセルからバスで走り、次第にケルンの町が近づいてくるにつれ、はるか遠くに2本の高い尖塔が見えていた。古色蒼然とした筆舌に尽くせぬ複雑な彫刻で覆われた大聖堂(Dom=ドム)は完成まで600年以上を要したという何とも壮大なゴシック建築で圧倒される思いであった。ケルンの中央駅を出るとすぐ目の前にそびえており、見学するには好都合、ドムまでは迷うことなく案内できると思っていた。ボンからケルンまでは、DB(ドイツ鉄道)で約30分、50名ということでケルンまで団体扱いとしてもらえた。乗車券は団券一枚のみ、割引料金であったがいくらであったかは覚えていない。やってきた列車に全員が乗ったことを確認すると、ぐったりしてシートにもたれ、わずかな時間身体を休めた。ケルンの駅はボンに比べるとけた違いに大きい。フランスやベルギー、オランダなどと往来する国際列車も数多く発着しており、ホームが何本もある。ドム(大聖堂)側の出口ホールに全員そろってこれから大聖堂まで案内し、その後は午後までフリーになるので帰りの集合時間にこの場所に集まるようにと伝えた。当時は勿論、携帯電話などは無く、もし迷うとか、集合時間に遅れたら自分でボンのホステルまで帰ってくるしかないと半ば脅し気味の案内もやむを得なかった。 
 
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駅前から広場に出て立って見ると、学生諸君はドムの想像以上の大きさと壮麗さに驚いた様子であった。広場の横には同名のホテルがあり、この町を初めて訪れたとき、ガイドに連れて行ってもらってお茶を飲んだことがあり、それを思い出した。そこで、じぶんも、ドム見物を終えた後は、このホテルのロビーで休んでいるつもりと学生に伝えておいた。ドム広場で大聖堂について、自分の俄か学習での知識を精一杯説明した。入館した後は各自で見学し、その後は付近にあるレストランや通りにあるスナック(Imbiss)などでのお昼をすすめた。そして、博物館など適宜見学して集合時間までに駅のホールに戻るようにと伝えて解散した。旅行が始まって10数日経っていたがそれまでの経験から、彼らは間違いなく戻ってくれることを確信した上でのことだった。 
 
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自分も改めて大聖堂の桁違いの大きさに驚き、ファサードの彫刻などを眺め、それから入館して内部を見学し、この風邪が早く治るようにと祈って外へ出た。その後、ドム・ホテルに向かった。この町でも代表的な有名ホテルであったが、臆することなく入館してコンシェルジュに自己紹介した。風邪のために体調が悪いことを説明し、ロビーで休ませてほしいと頼んだところ窮状を察してソファーで休むことを認めてくれた。ロビー内は温かく、柔らかなソファーに座って休ませてもらった。昼になり、ホテルのレストランで暖かいスープとシュラハットプラッテ(Schlachtplatte=蒸した豚肉にザワークラウトを添えた料理)のランチをいただいた。初めてドイツに来たとき、ハイデルベルクでも深夜この料理を食べたことを覚えており、ドイツに来るとチャンスさえあればこの味を楽しんでいた。マスタードをたっぷりつけてザワークラウトの酸っぱい味を口に入れると食欲が出てきて腹の底から元気が出てくるような気がした。 
 
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コンシェルジュに礼を言ってホテルを出た。そして、中心街を少し歩いてツヴィリンゲZwillinge(双子)マークのある刃物店(ゾーリンゲン)で鼻毛切を数個買った。ドイツではこの鼻毛切や鉛筆削りを買ってはお土産に持ち帰り、好評をいただいていたし、この時もそうであった。 
 
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駅に戻るとすでに数名の学生が戻って待っていた。三々五々メンバーが戻ってきたのでケルンでの印象を聞いてみたところ、やはり大聖堂の大きさと荘厳さに感動した学生が多かった。中には、俗にいう鉄チャンも居て、彼はこの中央駅のホームをほとんど全部見学したとのこと。ヨーロッパの駅では、改札口が無いことが多く、ホームには自由に出入りできる。ホームには、大きな時刻表や各列車の編成図が掲示されており、国際列車もたくさんあるので見ているだけでも楽しい。そういえば、鉄道模型で有名なメルクリンはドイツの老舗玩具メーカーである。 
 
最初に伝えておいた半ば脅しが効いたのか、みんなそろそろ旅慣れてきていたし、依然として外は寒気が厳しかったので駅のホールの方が暖かくて良かったのも知れない。いずれにしても一人の迷いっ子も、トラブルに遭った学生もなく全員が再集合。帰りの切符もすでに買ってあったので全員そろったところでボンへ戻った。帰りの車中でも体調は芳しくはなかったが少しずつ風邪は治ってきているようだった。(以下、次号) 
 
《資料》 
・ドイツ連邦共和国について : ドイツ連邦共和国大使館総領事館資料より 
《写真、上から順に) 
・バンベルク総合病院にて : 全国社会協会連合会 海外医療事情視察団 1987年 
・バンベルク総合病院 近景 : Klinikum Bamberg資料より 
・ドイツの街角で見る薬局の看板 : Traditional Pharmacy in Germany資料より 
・ボンのユースホステル : Bonn-Venusberg Jugendherberge 資料より 
・ケルン中央駅前から見上げるケルン大聖堂 : 1992年 筆者撮影 
・ドム・ホテルとケルン大聖堂 : Althoff Hotel Collection 資料より 
・ゾーリンゲンの鉛筆削りは数十年来愛用している : 1980年代にドイツで購入 
・ケルン中央駅の構内 : Köln Hauptbahnhof 資料より、看板に「4711」とあるのは、オーデコロンの元祖で今も評判:オーデコロン(Eau de Cologne=ケルンの水)はケルン発祥と言われている。