2025.11.18 小野 鎭
一期一会 地球旅 388 アメリカ・カリフォルニアにて(3)
 一期一会・地球旅 388 
アメリカ・カリフォルニアにて(3) 

次の課題は、サンディエゴで保管されている子の忘れ物をどうやって回収するかであった。お客様の願いを叶えるためには、遅くとも翌日のお昼くらいまでに回収しなければならない。グレイハウンドの定期バスは、サンディエゴとLAの間にかなりの本数あるがこのバスのドライバーに頼むことは社内規定でできなかった。現在のようなバイク便は当時では考えられなかった。現地手配会社に頼んでガイドなどに行ってもらう方法もあるがすぐに人材が見つかるかどうか、経費プラス人件費を考慮するとかなり高額になってしまうだろう。結局、航空便を使って自分で取りに行くしかないと思われた。しかし、お客様自身でおいでいただくには言葉であるとか旅行慣れということから言えばこれは難しかった。お客様に小野が付き添っていくことが考えられたが費用を考えると経費が掛かり過ぎて趣旨を半分殺いでしまう。 

 団長から提案があったのは、私に取りに行ってほしいということであった。翌日午前中は市内見学になっており、LAの日本人ガイドが来ることになっている。そこでこのガイドと団の動きについては、現地ガイドの協力を得て、団長と事務局担当者で責任をもって団を動かすことの確約をされた。つまり、添乗員による行程管理責任を団長が代わりに務めていただくということであった。今でいえば、旅程管理者であったが、一般募集した団体ではなく、国際農友会が企画募集した団体であり、社が旅行業務を請け負った手配旅行であった。急ぎ、小野は社の上司に国際電話を入れて事情を説明し、サンディエゴまで行ってくることについて了承を得た。こうして、結局、私自身がサンディエゴまで行って忘れ物を回収してくることになった。
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 当時の会社に来る前、私は、最初に入った旅行会社で航空運賃計算と航空券の発券業務に携わっていたので、Air Shuttleといういわば通勤飛行のような事前予約不要、空席さえあれば最初の便に乗ることができる航空便があることを知っていた。アメリカでは、ニューヨークとボストンやワシントンDC,西海岸ではLAとサンフランシスコやサンディエゴ、ブラジルのリオとサンパウロ間などで飛んでいた。それだけ、航空便が身近であったということであろう。当時のLAとサンディエゴ間にはPSA(Pacific South-West)があり、朝夕には多分30分に1本くらい、満席になるとすぐ次の便が手配されるというような時代であったような気がする。改めて調べてみると、当時のシャトル便の運賃は、S$9.90~11.00であった。これにLAのホテルから空港まではUS$15くらいだったと思われ、航空運賃より、むしろ高価であった。これにサンディエゴは空港からグレイハウンドのガレージ間はタクシーを返さずにチャーターしておく方が効果的である、こちらは10ドル以内で治まるだろうとのことであった。こうして総額を計算すると60ドル強(21,600円)か、と思われた。お客様の腹巻にはUS$4~500(144,000~18万円)+日本円5万円=総額20~23万円であり、その1割くらいであろうか。LAとサンディエゴ間の所要時間は1時間前後とあるが実際にはもっと短かったかもしれない。 
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 こうして、予想もしなかったことであるが、LAからサンディエゴまでAir Shuttleで往復することになり、翌日早朝、タクシーで空港へ向かった。PSAのShuttleのカウンターへ行き、サンディエゴまで行きたいと申し出た。係員はこともなげに、次の便に乗れるということで多分US$10くらいを払って、搭乗待合室へ急いだ。通常の搭乗ゲートより簡単な造りのゲートであり、バスの待合室のような感じであったことを覚えている。出発した時間は覚えていないが、PSAのB-727に乗り、離陸して舞い上がると眼下にLAの町がスモッグで覆われ、ぼんやりとどこまでも市街地が広がっていた。心細さというよりは、一人でサンディエゴまで飛んでいくことに何やら誇らしい思いがこみ上げたような気がする。到着して、列を作っていたタクシーに乗り、予め聞いていたグレイハウンドのガレージまで往復して欲しいと言ったところ、OKと言って承知してくれ、乗り込んだ。空港を出るとすぐに昨日も走ったI-5サンディエゴ・フリーウェイを南へ走り、港湾地区や市街地を抜けて20分くらい走ったであろうか、Greater Sandiegoの南側郊外にあるグレイハウンドのバスターミナルに着いた。オフィスへ行き、旅券を見せて、昨日のドライバーAl Kirkから届けてある腹巻Money Beltをいただきたいと申し出たところ、日本人は金持ちだ!と笑って、分厚い忘れ物に関するノートであろうか、サインをして返してくれた。お昼前にはLAのホテルに着くことができた。こうして私の武勇伝?ともいうべき予期せぬサンディエゴへの空の旅は無事成功! 私の添乗記録には、1969.9.1  PSA 064 LAX/SAN   1969.9.1 PSA 069 SAN/LAXと明確に残っている。今は残っていないが携行旅程には予定されていない航空便であり、その後、LAには数十回行っているし、サンディエゴにも数回行っているがなんといってもそのたびにはるか昔の「Air Shuttle武勇伝」を思い出す。
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ところで、このカリフォルニアの農業事情視察団で訪れたKoda Farms の国寶ローズは、Japan Centerで在庫切れとあり、昨年来、このFarms自体がコメ作りは幕を下ろしたという情報が見られる。国府田敬三郎氏が1920年にコメ作りを始めて100年余、様々な経営環境の変化などにより、一つの時代を終えたということであろうか。(カリフォルニアの項は終わり) 


《写真、上から順に》 
・Pacific South-WestのAir Shuttleなどで活躍していたB-727機(例:1970年代):San Diego Readers資料より 
・Air-Shuttle Terminal in Los Angeles Int'l Airport (1968):Flight Path Museum資料より 
・Greyhound Station in San Diego : Greyhound Bus 資料より