2025.08.11
小野 鎭
一期一会 地球旅 374 ドイツ/イギリスの思い出(13) ボンから先はロンドンにて!

一期一会・地球旅 374
ドイツ/イギリスの思い出(13) ボンから先はロンドンにて!
ドイツ/イギリスの思い出(13) ボンから先はロンドンにて!
こうして、ボンでは風邪で参ったこと思い出すがこのグループはその後、数か国をまわり、パリからナイトフェリー(夜行寝台列車)でロンドンへ渡った。その後、帰国したが、ここではトラブルがあり、それは今でも記憶に残っている。

ロンドンでは、ユースホステルではなく、ケンジントン地区にあるホテルに宿泊した。1967年、初の欧州添乗、ロンドンも初めてであったが、それから5回目くらいであったがそれらの時に比べるとだいぶ安いホテルであることは否めなかった。ポーターもいないし、フロントには昼間は2~3人いたが夜になるとフロントや電話交換などをやる何でも屋が一人いるくらいであった。部屋はツインまたはトリプルでバスかシャワーが付いていた。久しぶりに私は浴槽に浸かり、ちょっと体を伸ばすことができた。3月も中旬になっており、ハイドパークやケンジントンガーデンなどでは芝生の緑も少しずつ濃くなり、春の花が咲き始めていた。市内見学を楽しみ、土産物店やデパートをのぞき、特に女子学生は有名なハロッズ・デパートなどでお洒落な土産物を買ったりしてたくさんの思い出を作ったようであった。
トラブルが起きたのは、市内見学を終えたその夜のことである。学生の中には、未成年者もいたが、どうやらこの旅行の最終地、しかもユースではなくホテルということもあって、気が緩んだのか大人の真似事をしたかったのであろう。メンバーの中の一人で大物の風格のある男子学生の部屋に10人近くが集まって夕食会と銘打って酒盛りをやったらしい。食料品やアルコールなどをホテル近くの食料品店や酒屋で買ってきて賑わったのであろう。メンバーの中には女性も含まれていたが、深夜、その内の一人が私の部屋のドアを叩き、病人が出たので来てほしいという。当時は、部屋ごとの電話は、自動ではなく、交換手(ここでは、フロント係)を通じて相手の部屋につないでもらう方式であったが深夜であり、フロントが留守をしていたのか仮眠していたのか電話に出なかったため、私の部屋に直接来たのであった。驚いてその部屋に行ったところ、3名(男子2名、女子1名)がベッドや床に横たわって苦しんでいた。ビールやウィスキー瓶が転がり、食べ残しの食べ物などがテーブルのうえに散らばっていた。食中毒なのかそれとも飲みすぎ?急性アルコール中毒?

原因はともかく、フロントに行って医者を呼んでほしいと伝えたが、フロントの男性はこんな深夜にしかも数名ということでは、GP(一般医)は来てくれないし、救急車で 病院に行くことを勧めるということで救急車(999 Ambulance)を呼んでくれた。そして、一台では乗り切れないのでタクシーを呼んで分乗して、仲間の学生たちが付き添って近くの救急病院に運んでもらった。それまでに病院見学の添乗で2回、ロンドンの公立病院を見学して救急部門も見たことはあったが、患者の付き添いで病院に行くのはこの時が初めてであった。まだ病状などを詳しく説明できるほどの英会話は出来なかったが、3人に付き添ってきていた学生たちもかなり英会話は達者で、旅行全体のことやその日の夕方からの食事や飲酒などについても神妙な顔で素直に説明していた。診断結果は、いずれも急性アルコール中毒ともいうべき病状であり、伝染性の疾患などではなかったのでちょっと安堵した。必要な処置を終えたころにはすでに朝が近かった。結局、夜が明けて、全員が入院状態であったが、何とか回復して昼過ぎには退院することができた。

気がかりであったのは、医療費と入院費用などの支払いであった。英国の病院では、NHS(National Health Services)=英国国民保健事業により、国民の一般的な医療費は通常、国費で賄われており、「ゆりかごから墓場まで」ということで患者負担は無いと聞いていた。しかし、旅行者はどうなるのだろうとそのことが大きな気がかりであった。全員、旅行傷害保険には加入はしていたので、保険会社に電話をして、とりあえずは請求額を払って、帰国後、保険会社に保険金を請求してください、と説明を受けていたので学生にはそのように伝えるつもりであった。そして、病院の窓口に行って、費用のことについて尋ねてみた。すると、NHSで払うからここでは患者負担は無いとの説明であった。英国の社会保障については「ゆりかごから墓場まで」という言葉を聞いていたが、それは外国からの旅行者にも適用されており、通常は誰でもNHSで対応してもらえるということであった。但し、GP(一般医)を呼んだ場合は、診察費(Dr. Fee)などは有料となるとのことで、この時もし、ホテルで医師に来てもらったとすればその時の医療費を請求されていたのではないだろうか。この時は、救急車で救急病院に運ばれたA&E(Accident and Emergency)であり、NHSで対応されたのであった。帰路は、あの箱型のロンドン・タクシーに3人ずつ乗ってホテルへ帰り、翌日、予定通り帰国することができた。

実は、これから2年後の1973年に社会福祉施設職員の海外研修でロンドン滞在中、事務局の方は持病が悪化してGP(一般医)を呼び、数日間ホテルで過ごされたがかなりの医療費がかかっている。この場合は、救急扱いではなく、加えて、ホテルにGPを呼んで診てもらっているので、NHSでも自己負担部分として扱われたのであろう。この方の場合は、ロンドンが最終地であり、団から離脱してこの地での滞在が伸びたため、医療費は勿論、宿泊代などかなりの金額が生じた。しかし、旅行傷害保険で大部分の費目に対して保険が適用されたので、実際の負担はそれほど大きくはなかったと聞いている。それから半世紀上経っているが、今でもNHSは、かなりの部分がそのまま継続されており、外国人旅行者にも適用されることは変わっていないとある。但し、入院や治療に派生して生じる出費があるので旅行傷害保険を掛けておくようにと推奨されている。ところでこの時のホテルはロンドンではよくお世話になったが、今回この項を書くにあたり、調べてみたら少し前に閉館されていたらしい。無理もない、よく泊まったというのは、数十年前の話であるので。(ボンからロンドンの項はこれで終わり)

《写真、上から順に》
・春のハイドパーク : London Information Guideより
・ロンドンの救急車(1970年代) : London Ambulance Services, NHS Trust資料
・ロンドンの公立病院の例、Hammersmith Hospital :NHS Trust資料より
・ロンドン・タクシー: London Taxi Austin 1971資料より
・Royal Westminster Hotel (その後、Thistle Westminster Hotel :今は、営業していない)