2025.09.01 小野 鎭
一期一会 地球旅 377 ドイツの思い出(17) 南ドイツにて(2)
一期一会・地球旅 377
ドイツの思い出(17) 南ドイツにて(2)
 

 ドイツも南部ではミュンヘン周辺などが多い。バイエルン王国時代の首都であったこと、さらに南部経済の中心であり、文化芸術、経済社会全般において視察や研修などで幾度も訪れたし、周辺では、シュターンベルク、ニュルンベルク、ウルム、バンベルク、アウクスブルクさらにはロマンティック街道にあるローテンブルク、フッセン、ガルミッシュ・パルテンキルヘンさらには小さな集落やお隣のバーデン・ビュルテンベルク州などでもあちこち行っている。シュバルツヴァルト=黒い森と呼ばれ、どこまでも森林が続き、厳冬の時期、手が凍えそうな思いをしたこともあるし、五月のドイツはとにかく新緑が美しい。若葉を通して照り映える陽射しのまぶしさが今も思い出される。他にも小さな村や温泉保養地なども懐かしい。 

 ミュンヘンは何と言ってもビール、自分は残念ながら生来の下戸でビールはおろかワインもほとんどダメ。グラス半分のビールでも睡魔に襲われハンドルを握ることもできないので酔っ払い運転の心配はまずない。ただし、加齢とともに運転には一層気を付けなければ、と自分自身に厳しく言い聞かせている。そんなわけでドイツに限らず、イタリア、フランスなど食事時のワインはほとんど手を付けることはしなかったので左党の方にはもったいないと思われるかもしれない。世界最大ともいわれる大きなビアレストラン、ホーフブロイハウスのあるミュンヘンに行くと、ほとんど毎回この店にお客様をご案内してきた。 
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ここでは、いくつかのグループで武勇伝を残している方もおられるが、2005年の時のグループは別の意味で思い出深い。1999年に社の自主閉鎖を余儀なくされ、それから数年間は塗炭の苦しい日々を過ごした。2005年頃になって、やっと時間的にも、経済的にも少し平穏な日々を過ごせるようになってきた。そこで、当時勤めていた専門学校の夏休みに長年、苦労を掛けてきた家人とヨーロッパへの旅行を計画、これを妹たちに伝えたところ、間もなく米寿を迎えようとしていた母も一緒に連れて行こうということになった。他にも旅行好きの人たちを含めて20数名になった。お互いに自分や家族へのねぎらいということで「いやしの旅」と名付けてオーストリアのウィーンやザルツブルク、ドイツのミュンヘン、スイスのミューレンなど11日間の旅行となった。家族ぐるみであり、私の母を含めて車いす使用の方も3名おられ、メンバー相互に支援しながら旅をつづけた。
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ホーフブロイハウスでは、両手で抱えないと持てないほど大きなジョッキのビールに誰もが驚いたが、ドイツ料理とダンスやバンドが演奏するドイツ民謡などを聴きながら、楽しいひと時を過ごした。宴を終え、外へ出たところ、かなり強い雨が降っていた。このビヤホールは中心部の飲食店街にあり、私たちのバスは駐車場で待っている。普段ならビールで酔った身には心地よい夜風に吹かれて歩いていくのだが、この日はそうはいかなかった。車いす用のフードを準備していた人もあり、他にも小さな傘を持った人もいたが、大半はその準備もなかった。やむなく軒先伝いに雨をよけて歩いたが多勢に無勢、濡れることを覚悟して声を掛け合いながらなんとかバスまでたどり着いた。ホテルに戻り、びしょ濡れになった衣類を洗い、身体を拭くとどっと疲れが出てダウン。 
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翌日は、かねて予定していたオーバーバイエルン(高地バイエルン地方)へのバス旅行。前夜からの雨は依然として続いていたが、それでも少し弱くなっているようであった。バスの窓からは、雨に煙った市街が見えていたが、次第に森と緑野が広がってきた。やがて、前方に山並みが見えるようになり、岩山の上に優雅なお城の姿が見えてきた。そして、たくさんの尖塔を持つノイシュヴァンシュテイン城が眼の前に近づいてきた。駐車場でバスを降りると手前の岩山の上にはもう一つのお城、ホーエンシュヴァンガウ城が見えていたがこちらはこの時は予定していなかったのでパス。ノイシュヴァンシュテイン城までは、坂道を徒歩30分くらいかかるので、この日は連絡バスを利用した。リフトは付いていないので家族やメンバー相互に助け合って、乗り込んだ。車いすはバスがけん引している荷物運搬用の車に乗せてお城の入り口まで10分少々であっただろうか。お城の前でバスを降りると多くの人はお城の入り口の方へ急いだが、私たちは、お城全体の優雅な姿が展望できるマリエン橋まで行くことにした。そのころになると雨は上がっていたが未だ曇り空であった。数日来の雨で坂道は、少しぬかるんだところもあったので、車いすの前を引き、後ろから押してマリエン橋までたどり着くことができた。橋からは優雅なお城の全貌と背後の湖沼群を眺めることができた。狭い展望台には全員が一緒に並ぶことはできなかったので交替で写真を撮りあった。 
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マリエン橋からお城へ戻ると依然として入館を待つ人たちの長い列があった。車いす の人たちは別の入り口からエレベーターで入館することができた。城の中には、それでも、まだ段差がたくさんあるということで母ともう一人M君は入館せずにここで待っているという。そこで、グループはミュンヘンから同行してくれているガイド氏にお願いして、私は待機組と一緒に残って待つことにした。その間、母はお城を眺めながら、日本語で書かれたガイドブックを熱心に見ていた。 
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ノイシュヴァンシュテイン城の美しい姿は世界的にも知られているが世界遺産ではなかった。私がお連れした多くのお客様が、何で世界遺産になっていないの?と聞かれることが多かった。しかし、今年、2025年7月、パリで開催されたユネスコの世界遺産委員会の会議で「ルードヴィッヒ2世の宮殿群:ノイシュヴァンシュテイン城、リンダーホフ城、シャッヘン城、ヘレンキムゼー城」という長い名前で世界文化遺産として登録されたことが報じられた。バイエルン王国のルードヴィッヒ2世の悲しい物語が宮殿の美しさを一層引き立てているようで何とも皮肉に思える名所ではある。 
 お城の見物を終え、健脚グループは麓のバス停まで徒歩、馬車で帰ったグループもあった。バス停はアルプ湖のほとりにあり、近くのレストランで名物の大きなマスのムニエル、日本人にはちょっと複雑な味だったがほくほくした丸ごとのジャガイモはご機嫌であった。昼食を終えるころ、湖には午後の陽射しがまぶしく照り映えていた。午後の明るい陽射しを浴びたオーバーバイエルンの丘陵地は緑が濃く、時々交差する曲がりくねった道路には、Romantische Strasseと書いた標識が立っていた。特に日本人に喜ばれるであろうか、日本語が添えられているところが多い。ドイツ中西部のヴュルツブルクから約400km、ロマンティック街道の南の終点近くであった。走ること30分、美しい緑の麦畑の中に立っている教会がたっている。「ヴィーナスの巡礼教会」で、奇跡を起こした木彫りのキリスト像が祀られている聖堂。1983年に世界文化遺産として登録されている。この教会を見学して、教会前のカフェで小休止、オーバーバイエルンへの日帰り旅行は、やっと明るい夏の陽を楽しめる旅行日和となった。(以下、次号) 
 
《資料》 
・世界遺産:すべてがわかる世界遺産1500(下巻)& 世界遺産ニュース NPO法人 世界遺産アカデミー 
《写真、上から順に》 
・いやしの旅一行、ウィーンのStadtpark(市立公園)にて:2005年7月 
・ミュンヘン・ホーフブロイハウスにて:2005年7月 筆者撮影 
・マリエン橋への坂道は、車いすを前引き後押し・・・:2005年7月 筆者撮影 
・マリエン橋から眺めたノイシュヴァンシュテイン城:2005年7月 筆者撮影 
・ノイシュヴァンシュテイン城の案内書に見入る母:2005年7月 筆者撮影 
・ノイシュヴァンシュテイン城を背にして:2005年7月 
・ロマンティック街道の道路標識、日本語も添えられていることが多い:Shutterstock 
・世界文化遺産 ヴィースの巡礼教会:2005年7月 筆者撮影