2025.12.01 小野 鎭
一期一会 地球旅 390 大阿蘇から久住への旅(1)
一期一会・地球旅 390
大阿蘇から久住への旅(1) 
この秋、大阿蘇と久住方面への旅を楽しんだ。自分は、福岡県の筑豊地方で育ち、高校卒業と同時に東京に出たので故郷飯塚や博多方面へは行くことはあっても阿蘇地方などを訪れることがなく、一度はぜひ、この世界最大級の火山と言われている阿蘇山、特に中岳の火口をのぞき、そして阿蘇盆地と外輪山を眺めたいというのが長年の願いであった。妹たちがこの地を訪れる機会を作ってくれた。今回はドライブ旅行であったので専らクルマの窓から眺めることが多かったが、肝心なところはゆっくり案内してくれたし、ガイドブックと地図を広げながらじっくり眺めることの喜びを味わうことができた。旅行は、やはり、スマホの地図では物足りない。地図は、長妹のパートナーがとても分かりやすい地図を準備してくれていたし、旅行ガイド並みに各地に詳しく、上手に説明しながらハンドルを握ってくれた。自分のペースではないので多くの見聞はできなかったところもあり、歩行に不安があったため、各地をつぶさに見歩くところまでは行かなかったがかねての願いが叶ったので嬉しかった。もう一つある。長い旅行業で旅行計画は自分で立てるというのがほとんどであったが、今回は希望を伝えたうえで他人任せの旅行であり、目的地以外にもいろいろな場所に連れて行ってもらえたのは望外の幸せであった。
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飯塚の妹夫婦宅から出発、九州道に入るために国道を南へ走る。自分が子どもの頃、このあたりは田んぼやレンコン堀が広がり、その向こうには高い煙突が数本立ち、ボタ山が並んでいた。今は、忠隈炭鉱のボタ山が三山並び、こんもりとした森になっている。バイパスの両側には、大型量販店やアミューズメント関係など大きな建物が規模の大きさを競っている感じであり、交通量も多い。南北に走るだけでなく、国道201号線が交差し、八木山バイパスとなって盆地を囲む山地を抜けて篠栗町とつながっている。東の行橋や苅田町側とかつての筑豊炭田のもう一つの中心地であった田川市などと福岡市側と結ぶ動脈として交通量が一層増えていることを感じる。旧長崎街道に沿って200号線は、南へ伸び、次第に細くなり、やがて冷水峠に差し掛かる。昔、国鉄筑豊本線は若松から原田(はるだ)までの幹線であり、冷水トンネルが近づくと煙が入ってこないように窓を閉めたことが懐かしい。筑豊一帯には網の目のように伸びる支線を石炭列車が走っていたが、今は、筑豊本線より、飯塚から桂川(けいせん)を通って博多を結ぶ福北ゆたか線の方が本数は多い。 

冷水峠を越えると筑紫平野が広がってくる。原田駅に入る前に西鉄電車の線路をまたぐ。筑豊一帯には電車が走っておらず、ほとんどが蒸気機関車にけん引されている汽車であったので電気で走る鉄道=電車は自分にはとても珍しかった。長じてもう一つの興味は、地名における原=「はる」という呼び方である。九州地方では、○○原=「はる」と呼ぶことが多い。筑豊本線の終点である原田駅もそうであるし、他にも新田原(にゅうたばる)であるとか前原(まえばる)やたくさんの〇〇原がある。原田駅は、筑豊本線と鹿児島本線の分岐点であるが、熊本の方からこの駅に着いて、飯塚への乗り換えのためにホームを移動するとき、目をやると鹿児島本線は複線でレールも大きく、銀色に輝いていた。しかし、筑豊線は単線でレールも心なしか細く見え、しかも輝きというよりは少しさびているように見え、か細く、いかにも田舎の方に向かうのだという寂しさを覚えたことが思い出される。 

原田駅で降りて、熊本方面に行くために鹿児島本線に乗り換えると次は基山(きやま)。このあたりで思い出すのが、多分、終戦後間もなくの頃のこと。母方の祖父が我が家に来ていて、熊本に帰るということで一緒に遊びに連れて行ってもらうことになり、鹿児島本線に乗り換えてこのあたりを走っていた。幼心で覚えているのは、車内はとにかく満員状態、祖父の手にしがみついて大人たちの中にもまれて鳥栖駅あたりになると空くだろうといわれて待っていた。祖父の隣に立っていた男が私の頭を撫でるとか、列車が揺れると祖父に寄りかかるような動きをしていた。そして、基山駅に着くとその男は下車していった。祖父は大きな声でその男を呼び止めようとしたが男は改札口の方へ走っていき、間もなく列車は出発した。祖父が、ズボンのポケットに入れていた懐中時計を掏り取られたと大きな声でぼやいたが時すでに遅かった。みんな生きるのに必死で、お金だけではなく、貴重品なども掏り取られたり、盗まれたりする、生き馬の目を抜くような時代であったのだろう。 
やがて九州道に合流する一帯に入ると交通量が増え、左右には物流関係の建物や大きな倉庫らしいものなど大きな建物が次々に現れる。福岡県と佐賀県の県境が続いており、躍動感にあふれた風景が広がる。九州道だけでなく、大分自動車道とも交差しており、中九州の大動脈となっていることが分かる。鳥栖駅は鹿児島本線と長崎本線のほか、久大本線も鳥栖を発着することが多く、昔は国鉄の鳥栖機関区の大きな転車台があった。この駅では、いつも蒸気機関車の匂いが漂っており、とても好きなにおいの一つであった。今は、九州地方有数の物流拠点として栄えている様子がうかがえる。もう一つ、Jリーグの「サガン鳥栖」の本拠のある所と承知している。「佐賀の鳥栖」という読み方に由来しているのだろうと思っていたが、調べてみると「長い年月をかけて砂粒が固まって砂岩となるように、一人ひとりが小さな力を集結して立ち向かうことを意味する。『佐賀の』という意味にも通じる」と説明があり、納得した。 
九州一の大河である筑後川を渡ると久留米。ブリジストンはこの町出身の企業家石橋家の名前に因むと聞いているが世界有数のタイヤメーカーになっていることが誇らしい。久留米と言えば、近年では、日田や筑紫野と並んで全国有数の猛暑の地として聞くことが多くなった。市民にとってはあまり有難くない自慢かも知れない。市は筑紫平野の北西部に位置し、目の前には耳納(水縄)山地の西のはずれが迫っている。北東方向遥かに筑紫山地がある。さらに北西方向には背振山地もある。つまり三方を山地があり、平野であっても盆地のような地形となっているため、高温になりがちでさらにフェーン現象が起きたときなどは一層気温が上がるのではないだろうか。全国各地のもっとも暑い町は様々な対策や暑さのしのぎ方が講じられているが地球温暖化が言われる中でこれからも夏の暑さはさらに厳しくなっていくのだろうか。(以下、次号) 

《資料》 
・阿蘇山(阿蘇五岳と外輪山):阿蘇市ホームページより 
・サガン鳥栖を知ろう(サガン鳥栖とは):鳥栖市ホームページより 
・久留米が暑いわけ:RKB毎日放送、FBS福岡放送などの説明から 

《写真、上から順に》 
・阿蘇山、中岳の火口:2025年10月 筆者撮影 
・忠隈炭鉱のボタ山、飯塚市穂波川原より:2024年11月 筆者撮影 
・国道200号線と201号線 飯塚市秋松付近:2025年11月 マインド・アベタ提供 
・鳥栖駅の構内・さまざまな施設が置かれていました:鳥栖市ホームページより 
・駅前不動産スタジアム・サガン鳥栖のホームスタジアム:Wikipediaより 
・九州道・筑後川橋梁:2025年10月 筆者撮影 
・久留米駅前、右側に大きなタイヤが置かれている:Bridgestone Blogより