2025.11.04 小野 鎭
一期一会 地球旅 386 アメリカ・カリフォルニアにて(1)
 
一期一会・地球旅 386 
アメリカ・カリフォルニアにて(1) 
 
添乗中の忘れ物、忘れ得ぬ感動などをオランダ、イギリス、ドイツと書き、この後オーストリア、スイス、イタリア、フランス、そして北欧などについても書きたいと思っている。ところが、ここへきてアメリカ、カリフォルニアでの出来事について書きたいことが出てきた。凡そ、脈絡も一貫性もない地球旅だが、一つ言えることは標題を「一期一会」と謳っている。1966年1月に初めて海外添乗の機会を得てそれから2019年まで240余回、その内230回が海外であった。多分,5,000人位のお客様に接してきていると思うが、旅行期間は2泊3日くらいから最長33日間それぞれのお客様と接していることになる。同じ組織で旅行を企画され、20数回参加されたお客さもあるが、多くのお客さまとは一度きりの添乗であり、旅行終了後はお礼状を差し上げるとか、年賀状交換などでご交誼をいただいてきた。旅行は、まさに一期一会でやり直しが利かない。古書「方丈記」にある『行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず』、とあるがまさにその通りだと思う。いつのころからか、その場その場で真剣に接することが何よりも大切なのだと感じるようになってきた。これまで自分の失敗や忘れ物で大慌てしたことを書いてきたが、今回、お話ししたいのはお客様の忘れ物で飛び回ったこと。今となってはお客様のお名前も忘れて思い出さないが、走り回ったことだけは60年近く過ぎた今も覚えている。 
 
発端は、昨年来のコメ不足とコメの値段で思い出すこと。昨年来のコメの価格のアップと米国の関税率の引き上げでもう一つ話題になっているミニマム・アクセス制度によるアメリカからのコメの輸入であり、カルローズ(Calrose)という名前を耳にするが、これは「カリフォルニアのバラ」という名前のカリフォルニア州オリジナルの中粒種だとか。アメリカの米生産地はジョージア州、ルイジアナ州、アーカンソー州、テキサス州、カリフォルニア州であり、加州では、サンフランシスコの北東部に広がるサクラメント・ヴァレーとある。(USAライス連合会資料より) 
 
かつて社団法人国際農友会という組織があった。昭和27年設立と記録にあり、我が国の農業青年の海外派遣、一方では、発展途上国等、海外諸国の農業研修生の受け入れなどを行うことにより、我が国農業青年の国際感覚の涵養と資質の向上を図ること。そうすることで我が国農業の発展を目指すことを目的としていたとある。その後、社団法人国際農業者交流協会という名称に改組されていると聞いているが1960~1990年代にかけてアメリカ、特にカリフォルニア州の農業事情視察・研修団を派遣され、その旅行業務を私が勤務していた会社が担当させていただいていた。その内、1969年の視察研修団に私も添乗した。106名という大人数であり、3班位に分かれてそれぞれ特色のある農場であるとか組織を訪問したが、その内の1班を私が受け持ったと記憶している。サンフランシスコからサンディエゴまで、カリフォルニア州の南側半分を北から南まで米作、園芸、畜産などを見学した。初めての添乗(1966年)から13回目(1970年)までの携行日程など詳細な記録を紛失しているため詳しい行程や視察先などは分からず、団体名と人数、旅行期間、航空便関係記録を開きながら本稿を書いている。 
 
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サクラメント・ヴァレーの南側にはもう一つのサン・ノーキキン・ヴァレー(San Joaquin Valley)と呼ばれる南北に細長く広大な平野が広がっている。海岸山脈とシェラ・ネヴァダ山脈にはさまれており、Valleyとは渓谷であるとか谷を意味しているが私の間隔ではここでは広い「平野」という感じであった。レタスであるとか、アーモンド、オレンジなどが栽培されていた。70年代、アメリカからのオレンジ輸入自由化は日本の柑橘類の生産に大きな影響を及ぼすということで我が国では大きな問題となっていた。 
この広大な平野の北部のサウス・ドス・パロスというところにコーダ・ファーム(国府田農場)という大きな米作農業者があった。日本から移住した国府田敬三郎氏が1928年に日本のコシヒカリに似た食感のコメを生産することに成功し、やがて新品種「コクホウローズ(國寶ローズ)」を開発し、1960年代に初めて売り出し、やがてアメリカでベストセラー米となっていった。私たちも滞在中、日本食を数回食したがカリフォルニア米=国宝ローズということをよく聞いていた。その味が日本で食べる日本食よりももっとおいしく感じたのは旅行中、巨大なハンバーグのアメリカ食に疲れていたためだけではあるまい。コーダ・ファームの水田は、日本のそれとはおよそスケールが違っており、水田では小型飛行機で種をまき、施肥するなど桁違いの大きさであった。この時も小型機が近くに駐機していたような気がする。国寶ローズは、カル・ローズとは異にしているが、私たちが視察研修で訪れた1969年当時は国府田農場の二代目が経営者として活躍されていたと思う。国際農友会から派遣された研修生もこの農場で実習しており、彼らは日本農業との違いやここでの学びや経験について聴かせてくれた。 
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国府田農場の見学の後、オレンジ栽培の農場を見学した。目の届く限り緑の樹木が見事に植わっており、鮮やかな黄色のオレンジが実っているのが印象的であった。サンキスト協同組合のメンバーであり、集荷場には山ほどのオレンジが運び込まれ、次に選果されて箱詰めされ、出荷されていた。アメリカのオレンジと言えばサンキストに代表される時代であった。そこで、サンキストの名前の由来は、Sun kissed Orangeつまり太陽がキスしたオレンジというのが語源であると聞いたことが懐かしい。
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米作農場とオレンジ畑やアーモンド畑など果樹栽培の広大な農場を見学した後、その日はヨセミテ国立公園を訪れた。ビジターセンター近くにあるロッジに宿泊したが、その奥の方にかかっているヨセミテ滝の桁違いの大きさと高さに驚き、そして感動したことが懐かしい。翌日、世界一の大木と言われるセコイアの林を通りながら、アメリカの大自然の桁違いの大きさに圧倒された。その後、ベーカースフィールドを経てカリフォルニア州最南端、メキシコの国境まで40kmくらい、加州第二の大都市サンディエゴに着いた。この町は、米国海軍の軍港や造船関係なども多い港湾都市、また海軍などの引退者も多く住んでいるという文字通り軍港の香りの多い町である。他にサンディエゴ動物園やバルボア公園など緑濃い観光リゾート地としても知られている。もちろん、この時はそんな景勝地などを回る予定は無く、市の周辺には蔬菜園芸などの畑作地帯が広がっており、日系農家なども多く、ピーマンやレタス畑などを見学した。グリーンやヤローのピーマンと説明され、何のことかわからなかったが、ヤロー=Yellowと指さされて納得がいった。日系農家で実習している研修生から研修体験やアメリカでの生活について、ざっくばらんな話に研修団のメンバーが熱心に聞き入っていたことが思い出される。(以下、次号) 
 
《写真、上から順に》 
・サン・ノーキン・ヴァレー&矢印の先がサウス・ドス・パロス:米国環境保全局より 
・國寶ローズ : Taste Atlasより 
・コーダ・ファーム、国府田敬三郎と小型機での作業:Legacy of California Rice Farming at Koda Farms : Race and Culture より 
・サンキストのポスター(1970年代):David Pollack Postersより 
・ヨセミテ国立公園とヨセミテ瀑布:Wikipediaより