2026.03.30 小野 鎭
一期一会 地球旅 406 初めての世界一周添乗(6)ラスベガスとフーバーダム 
一期一会・地球旅 406
初めての世界一周添乗(6)ラスベガスとフーバーダム
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シカゴからネバダ州のラスベガスへ飛んだ。多分、3時間くらいかかったと思うが添乗員は多くの場合、通路側の席に座るので窓からの風景を見ることはできないことが多い。それでも窓側のお客様から教えてもらってのぞき込むこともあるが、それよりも機の後部に行って窓から下を見ることが多い。オヘア空港を飛びあがると、市街がどこまでも広がっていたがその向こう側にミシガン湖の湖面がちらっと見えた。この3時間を一言でいえば緑から茶といった色彩の変化であった。広々とした薄茶色の大地に時々大きな円盤状の緑が見え、スチュワーデス(キャビンアテンダント)に、あれは何ですか?と聞いたところ、Irrigated Farmlandと説明され、農場であることは分かったが、Irrigationという意味が分からず、辞書で調べてみたら「灌漑」という意味であり、どうやら灌漑用水で畑を潤していることは分かったがなぜ真ん丸なのかはわからなかった。
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この旅行の1か月後、カリフォルニアの農業研修団の添乗をしたとき、このことについて、現地の関係者に聞いてみた。カリフォルニアでも乾燥地でこの農法を取っているところもあり図を書いて説明してくれた。一か所を固定して、これに車を着けた長いパイプで畑に散水するやり方で、コンパスで円を描くようになると説明され、何となくわかったような気がした。実際にはそれから数年後、飼料穀物関係の視察でアメリカ各地の農場を視察したとき、大きな円状の畑を見て納得した。何とも巨大な円状の畑で日本では考えられないようなスケールの大きさに驚いたものであった。因みに今回、この項を書くためにいま一度調べてみたところ、この灌漑の仕組みをCenter Pivot Irrigation (センターピボット式灌漑=中心軸灌漑)とあった。さらに調べてみると、実際の農業よりは芸術として、いろいろな刈込みや作物の種類を植え込むことで空から見る芸術もあるとか。そういえば、日本では近年、田んぼアートというのが流行っていることを聞く。 

ラスベガスには、アメリカの地上手配をしてくれているオペレーターのロサンゼルス事務所のL氏が来てくれていた。アメリカ生まれの日系二世でかつて太平洋戦争が始まると日系人などはキャンプに入れられて苦難の日々を余儀なくされたと聞いている。そのような経験や軍歴もあるらしいと聞いてはいたが、そのことには触れずに明るく楽しいおじさんであった。ラスベガスは砂漠の中のオアシスが少しずつ成長して町となっていった。ヴェガとはスペイン語で「肥沃な土地」を意味する女性名詞で、その複数であり、それに女性定冠詞をつけて、ラスベガスという町の名前になったとのこと。1931年に賭博が合法化され、加えて、近郊にフーバーダムの建設が始まり、労働者の流入と安価な電力で町は大きく発展した。その後も町は次第に成長し、毎日といってよいほど市域が広がっているとのことであった。
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しかし、このときは、すぐには町に入らずに、焼けつくような暑さの中、砂漠の中を1時間近く走ってフーバーダムを訪れた。アリゾナ州とネバダ州の境界を流れるコロラド川をせき止めた高さ221mの巨大なダムで1931年から1936年にかけて作られ、水利と発電などの多目的ダム。1929年の世界大恐慌の復興へ向けて行われたニューディール政策の一環でもあり、数千人の労働者の努力の結果によるもので時の大統領フランクリン・ルーズベルト隣席によって開所されたとある。ダムの上流にはミード湖という大きな湖ができており、そのさらに上流には世界最大のグランドキャニオンがあるとガイドしてくれたLさんから説明は聞いたが、この時は旅程には含まれていなかった。バスの車窓からの風景は、映画の西部劇そのままであり、いつの日かこの大西部を実際にもっと見てみたいと思いつつ、砂漠の中を走り、ラスベガスへ向かった。
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因みに、グランドキャニオンを訪れたのは、これから2年後のことであったが、ラスベガスから小型機でミード湖の上を飛び、遊覧飛行をかねて1時間半くらいで到着した。この時は、天候が悪く下界はあまり見えず、かなり揺れたため、怖い思いをしたことだけが印象に残っている。それよりも、さらにその2年後、1973年11月、アリゾナ州都フェニックスの東南方向、メキシコとの国境に近いツーサンに宿泊し、砂漠やカイバブ高原の広大な風景など片道550㎞近くを走り抜ける旅であった。サボテンが立ち並ぶ荒野からどこまでも続く高原、そして大自然のスケールの大きさとグランドキャニオンには唯々圧倒される思いであった。度肝を抜かれるとはこのようなことを指すのかもしれない、と思ったものであった。
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とばくの町と呼ばれていたラスベガスの中心街にはホテルとカジノと書かれた大きな建物があり、派手な看板がいっぱいだった。ホテルの1階は大きなカジノになっており、その一角にチェックインカウンターがあり、カジノのきらびやかさに圧倒される思いであった。1966年に初めての海外添乗で香港を訪れ、日帰りでマカオまで行き、そこでカジノを見物していたし、その後、ドイツやモナコでも見ていたのでカジノそのものは珍しくはなかった。しかし、その規模はけた違いに大きく、ただただ驚くだけであった。その夜、試しに多分20ドルくらいブラックジャックにかけてみたが一、二度勝っただけであとは授業料を払ったのみであったと思う。(以下、次号) 

《資料》 
・センターピボット式灌漑:Wikipedia 
・ニューディール政策:Wikipedia 
《写真、上から順に》 
・センターピボット灌漑式の農場:Kuriositas 資料より 
・大型農場見学(イリノイ州にて):アメリカ資料・畜産事情視察団 ほぼ中央、こちら向きが筆者。(1977年4月) 
・フーバーダム:Wikipedia 
・グランドキャニオン国立公園にて、海外教育事情視察団 1973年10月 
・ラスベガスのフレモント大通り(1960年代):Las Vegas News Bureau資料より