ロサンゼルスから北へ1時間、サンフランシスコに着いた。チャイナタウンの中国料理も美味しく先生方は西海岸に来て生き返られたような感じであった。ここには、街を見下ろすツインピークスという丘があり、日本人は双子山と呼んでいるとガイドから説明があった。背伸びすると、太平洋の向こうに東京タワーが見えているかもしれませんよ、と案内して団員を笑わせていたが、ヨーロッパからアメリカ大陸を廻ってきた自分は何かしら胸にこみ上げてくるものがあり、泣きたくなるような気分であったことが思い出される。 Golden Gate Bridgeは、金色ではなく、朱色の巨大な橋であった。両腕を胸の前で合わせると、内側がサンフランシスコ湾、外側が太平洋、中指の間を少し開けてその中指同士を結ぶのが金門橋と教えてくれたガイドの説明はとても分かりやすく、今でも覚えている。バスで橋を渡り、対岸(マリン郡)まで行って戻ってきたが、はるか橋の下には青い海が波立っており、近くにサンフランシスコのダウンタウン、その対岸にはオークランドの町がうっすらと見えていた。私たちが訪れたこの年より7年前に堀江謙一青年が太平洋を一人で渡り切って、このサンフランシスコ湾にたどり着いたという話は依然として耳に新しかった。港の博物館に彼が乗ってきたヨットが展示されていますよ、とガイドが教えてくれた。堀江青年にはサンフランシスコの町はどんな風に見えたのだろうか?
60年代、テレビやラジオでは、Peter、Paul & MaryのWhere Have All the Flowers Gone ?(6)のメロディがよく流れていた。アメリカンフォークの父ともいわれるピート・シーガー作詞作曲のこの歌は世界で最もよく知られ、愛唱されている反戦歌だといわれ、日本でも多くの歌手によって歌われている。公民権運動や激動の社会情勢を背景にフォークソングを通して反戦へのメッセージが込められており、長引くベトナム戦争への反対を訴える若い世代にはことさら親しまれていた。そのような中で若者のエネルギーを解き放つような「ウッドストック・ロック・フェスティバル」(7)が行われ、当時、古い価値観を吹き飛ばすような文化の爆発がカウンターカルチャーであった。このような動きに対して、アメリカの保守層に言い知れぬ危機感が広がったのも事実であったとのこと。今日、LGBTQ+と言われる多様な性のあり方を包括し、誰もが自分らしく暮らせる社会を目指すダイバーシティの考え方が普及してきている。 私は、サンフランシスコのヘイト&アシュバリー地区を訪れ、その後も何度となくこの地を訪れてきたが、次第に奇異の目で見に行くことへの申し訳なさを覚えるようになっていたことを感じる。