2026.04.27 小野 鎭
一期一会 地球旅 410 初めての世界一周添乗(10)サンフランシスコにて(1)
一期一会・地球旅 410
初めての世界一周添乗(10)サンフランシスコにて(1)
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ロサンゼルスから北へ1時間、サンフランシスコに着いた。チャイナタウンの中国料理も美味しく先生方は西海岸に来て生き返られたような感じであった。ここには、街を見下ろすツインピークスという丘があり、日本人は双子山と呼んでいるとガイドから説明があった。背伸びすると、太平洋の向こうに東京タワーが見えているかもしれませんよ、と案内して団員を笑わせていたが、ヨーロッパからアメリカ大陸を廻ってきた自分は何かしら胸にこみ上げてくるものがあり、泣きたくなるような気分であったことが思い出される。 Golden Gate Bridgeは、金色ではなく、朱色の巨大な橋であった。両腕を胸の前で合わせると、内側がサンフランシスコ湾、外側が太平洋、中指の間を少し開けてその中指同士を結ぶのが金門橋と教えてくれたガイドの説明はとても分かりやすく、今でも覚えている。バスで橋を渡り、対岸(マリン郡)まで行って戻ってきたが、はるか橋の下には青い海が波立っており、近くにサンフランシスコのダウンタウン、その対岸にはオークランドの町がうっすらと見えていた。私たちが訪れたこの年より7年前に堀江謙一青年が太平洋を一人で渡り切って、このサンフランシスコ湾にたどり着いたという話は依然として耳に新しかった。港の博物館に彼が乗ってきたヨットが展示されていますよ、とガイドが教えてくれた。堀江青年にはサンフランシスコの町はどんな風に見えたのだろうか?
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サンフランシスコは坂の町とはよく言われることだが、文字通り、中心部には坂がいっぱい、それも尋常ではない急な坂も何か所かあった。中心街には名物のケーブルカーが走っており、あの急な坂道を元気よく上っていくのが頼もしく思えた。私たちが泊まったホテルから少し行ったところには日本人町があり、雑貨店や日本食店、小説や雑誌を売っている書店もあった。先生方は日本の新聞など買い求めて、夢中で読まれている姿が今も思い出される。安心して話せる商店街は、可愛らしかったが何やらホッとするものを感じる一画でもあった。
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日本人町から少し進んで、前述したツインピークスのふもとにHaight とAshbury(1)という通りがあり、その一角を表す地域名でもあった。一般的には「ヒッピー文化の聖地」(2)として有名である。1960年代から70年代にかけて、つまり、私たちがこの地 を訪れたころであり、ゲイの人やレズビアンがこの地区に惹かれて住み始めていた。通りには男性同士が腕を組んで歩くとか、路上のカフェでお茶を飲んでいる風景が見られた。日本でもヒッピー族と呼ばれる人たちのことが知られるようになってきており、一方では、多くの人たちがこのような人たちを奇異の目で見ていたと思う。かく言う私たちもそうであり、サンフランシスコを訪れる観光客たちがこの地を物珍しそうに見に行っていたことも事実である。
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ヘイト&アシュバリーは単なるヒッピーの拠点では無く、性的自由を求める人たちが集まるコミュニティでもあった。フリーラブ(自由な愛)が謳歌されるようになっていた。しかし、彼らの目指すものはそのようなことだけでなく、泥沼化するベトナム戦争への反発から生まれたもの(3)であった。愛と平和を掲げて、武器でなく、花を携えていたことからFlower Childと呼ばれ、自然回帰や自由恋愛を提唱していた。一方では、サイケデリックなロックや絵画、服装が全盛を極めるなどカウンターカルチャー(対抗する文化)(4)の聖地となっていった。これは、従来の既成文化に対する考え方から生まれたものであり、「カウンターカルチャー」と呼ばれる新しい文化が生まれてきたのであった。
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1960年代後半からベトナム戦争が激しさを繰り返している時代であり、私たちがアメリカ各地を回っているときもホテルのテレビでは戦争の様子が報じられていた。この旅行を終えて帰国した翌月、アポロ11号が月面着陸に成功したという輝かしいニュースがあるなどアメリカの華々しい一面がある一方では、泥沼化した戦争があった。ベトナムに送られた多くの若者たちは命を落としたり、傷ついたりしていた。戦争から戻った若者の中には精神を病む者も続出した。また、この項を書いているいま、(2026年4月中旬)NASA(米航空宇宙局)が主となって進めている国際有人月探査プロジェクト「アルテミス計画」の一環で54年ぶりに有人月周回を行った宇宙船オリオン2が乗組員4人を乗せて4月10日(日本時間4/11午前)地球に帰還し、太平洋に着水したという喜ばしいニュース(5)が伝わってきた。そのような華々しい話題の陰でこのところ繰り返されているイラン&中東での紛争が文字通り、一日も早く終結されることを祈るのみである。
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60年代、テレビやラジオでは、Peter、Paul & MaryのWhere Have All the Flowers Gone ?(6)のメロディがよく流れていた。アメリカンフォークの父ともいわれるピート・シーガー作詞作曲のこの歌は世界で最もよく知られ、愛唱されている反戦歌だといわれ、日本でも多くの歌手によって歌われている。公民権運動や激動の社会情勢を背景にフォークソングを通して反戦へのメッセージが込められており、長引くベトナム戦争への反対を訴える若い世代にはことさら親しまれていた。そのような中で若者のエネルギーを解き放つような「ウッドストック・ロック・フェスティバル」(7)が行われ、当時、古い価値観を吹き飛ばすような文化の爆発がカウンターカルチャーであった。このような動きに対して、アメリカの保守層に言い知れぬ危機感が広がったのも事実であったとのこと。今日、LGBTQ+と言われる多様な性のあり方を包括し、誰もが自分らしく暮らせる社会を目指すダイバーシティの考え方が普及してきている。 私は、サンフランシスコのヘイト&アシュバリー地区を訪れ、その後も何度となくこの地を訪れてきたが、次第に奇異の目で見に行くことへの申し訳なさを覚えるようになっていたことを感じる。

今回、ヘイト&アシュバリーについて書くためにネットで調べてみたところ、ビンテージ衣類やバッグ、シューズ、アンティックアクセサリーなどを扱う老舗のショッピング案内として紹介されていた。地名としてのサンフランシスコの「ヘイト&アシュバリー」がヒッピーの聖地であることに行き着くまでには、少し掘り下げて調べないと出てこなかった。ここでも60年という時の流れを改めて感じさせられた。(以下、次号)

《資料》
(1) Haight とAshbury : Wikipedia
(2) ヒッピー(Hippie, Hippy 英):Wikipedia
(3)ベトナム戦争反戦運動:世界史の窓
(4)カウンターカルチャー:世界史の窓
(5)Artemis II Astronauts Back in Houston : NASA Communications 
(6)Where Have All the flowers Gone ? : Wikipedia
(7)Woodstock Music and Art Festival : Wikipedia

《写真、上から順に》
・Golden Gate Bridge : 1969年7月 筆者撮影
・サンフランシスコのケーブルカー:1980年代 左端が筆者
・ヘイト&アシュバリーの町の様子(70年代):San Francisco Art Exchange資料
・ベトナム戦争:Wikipedia
・Where Have All the Flowers Gone & Peet Seeger : All Music 資料より