2026.05.25 小野 鎭
一期一会 地球旅 414 オーストリアでの思い出(2) ウィーンにて2
一期一会・地球旅 414 
オーストリアでの思い出(2) ウィーンにて②
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2000年代に入ると立て続けにオーストリアには前後4回出かけている。それ以外にも1988年にザルツブルクに行っているがこの時は、ウィーンには寄らず、そのままハンガリーのブダペストに直行した。この時は、航空会社による招待の研修旅行で、途中、バスの窓から遥かにウィーンの森が広がる丘陵地帯を眺めるだけであったため、団員からはちょっと寂しそうな様子が感じられた。ブダペストはその数年前に訪れていたが未だ社会主義体制であった。とはいえ、昔に比べるとかなり明るさが感じられ、観光客らしい姿も見られ、少しずつ変わってきているな、という感じであった。事実、その翌年、1989年にベルリンの壁が打ち壊され一気に東欧各国の様子が変わっていったらしい。やがて東欧から中欧と呼ばれるようになり、ウィーンの国際空港では、バルト三国や文字通り東欧、中欧各国の首都や地方都市への直行便の案内が見られ、ウィーンがこの地域のハブ的存在であることを認識した。
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2002年、高校を卒業して42年。まだ、現役で活躍している同期生が多かったが早期引退組もあれば、自由業的な人もある。同期会・熟年還暦欧州デラックス旅行「オーストリア・南ドイツそしてスイスアルプスの旅」として企画され、私は旅行担当と現地への案内と添乗。パートナーや家族4名を含めて26名の参加であった。母校は福岡県飯塚市にあり、多くのメンバーが飯塚市を含む筑豊地方や福岡市内在住などのほか、関西、関東そして仙台からの参加もあった。成田に集合し、一路ウィーンへ向けて出発した。機内ではだれもが郷里の筑豊弁に帰り、一気に40数年前の高校時代に戻ってとにかく賑やか。中には、小学校から中学そして高校と12年間一緒であった人たちもあり、子どものころから多感な時代の思い出を含めてとどまるところのない懐かしの時間であった。
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この旅行は6月の中旬の出発で10日間の行程。16時10分にウィーンに到着、ホテルに着くと日本から予約していたということで早々にコンサートに出かけた人も数名あった。真夏とあって夕食後もまだまだ空は明るく、元気のいいメンバーを案内して 地下鉄で市内中心部にある市民公園(Stadt Park)まで出かけた。緑濃い公園の散策は心地良かった。公園の一角にクアサロン(Kursalon)がある。19世紀の建物でフランツ・ヨーゼフ皇帝の時代、ウィーンの旧市街の大改造が進められたが、その一環として市民公園脇に建てられた。イタリア・ルネッサンス様式で当初は薬効のある飲泉場などを供えたサロンとして造られたが完成後すぐに建物はコンサートや催し物会場として使われるホールとなり、1868年(日本では、慶応4年=明治元年)、ヨハン・シュトラウス2世による初のコンサートが開催されたことをきっかけに「音楽の都」を象徴するコンサートホールへと変わって行った。そして、このクアサロンはワルツの崇拝で人生の喜びを謳歌するウィーン社交界の集いの場として発展し ていった。 
午後のひと時、このホールの野外ステージでは小編成のオーケストラの演奏が行われていることが多く、テーブルでは文字通り、ウィンナコーヒーを味わいながらクラシックの名曲やワルツなどのメロディに耳を傾けるとウィーンを訪れた素晴らしい思い出のひとつとなるかもしれない。夜は、ホールでの演奏をやっており、この日も早速聴いて行こうと入場した。しばらくすると客席の前でお客様にダンスをお楽しみくださいとアナウンスがあり、何組かのカップルがワルツのステップを踏み始めた。旅行客らしいメンバーもあるが踊りの達者なカップルの踊りもあれば、昔取った杵柄とばかり、軽やかにリズムに乗っている年配の夫婦らしい踊りは見事であった。間もなく、我々のメンバーの一人、H君、学生時代は硬派であったと思うが彼は近くにいた現地の女性らしい人に声をかけてダンスのお相手を願っていたようであった。最初は我がグループの女性を誘ったようであるが応じてもらえなかったらしい。H君の願いに応えた女性は笑いながら立ち上がり、二人はステップを踏み出し、ターンを繰り返していた。こう言っては申し訳ないが、H君がこれほど達者だとは!と我々は驚き、大いに声援を送った。こうして、熟年還暦記念欧州デラックス旅行の第一日目の夜が更けていった。 
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翌日の市内見学はシェーンブルン宮殿の見学に始まり、次いでベルベデーレ宮殿 へ。ともにバロック建築で有名なことで知られている。特にベルベデーレは2階から上がオーストリアでは最も重要な美術コレクションを展示している。中でもグスタフ・クリムトやエゴン・シーレなどの代表作もあり、もっとゆっくり鑑賞したいという声があったが、その後の予定もあり、これを聞き入れられなかったことが申し訳なかった。午後は、カーレンベルクの丘の上までドライブ、遥かにドナウの流れと市街の展望に目を細めながらの楽しいひと時は好評であった。この日は、この丘のふもと一帯にブドウ畑で収穫されるブドウからつくられるワイン・レストランでの夕食が予定されていた。
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市内中心部から少し離れたウィーンの森一帯の丘陵地は、昔からブドウづくりが盛んであり、ワインの名産地グリンツィングの集落がある。そこには、ホイリゲ(元はワインの新酒の意味)と呼ばれるワイン酒場・レストランがあり、毎夜賑わっている。この日は、緑の木立の下の比較的大きな店で食事とワインを楽しんでいただいた。店にはヴァイオリンやアコーディオン、ギターを演奏しながら歌う大衆音楽のシュランメルのミュージシャンがウィーンのメロディだけでなく、世界中から訪れる旅行者を楽しませようと各国の曲なども軽妙に演奏し喝采を受けていた。この日は我々のテーブルの近くにはドイツやアメリカからのグループも来ており、誰もが楽しく手拍子を打ったり、歌ったりして賑やかな時間であった。
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こんな時、みんなをリードしてくれるのが我々のグループのY君であった。学生時代は卓球部員として活躍していたが、いつも剽軽(ひょうきん)な言葉を発したり、座持ちがうまく、人気者であった。この時も立ち上がっては、流暢な(?)博多弁と時折混じる怪しげな英会話と手を振って隣のテーブルも一緒に声をかけ、みんなでリズムに乗って手を叩いたり、拍手をしたり、何とも見事な指揮ぶりにみんな大喜び。旅行中はこのように座を盛り上げてくれるメンバーの存在は有難い。また、添乗員である私の仕事をよく理解してくれて応援してくれる人もあった。グリンツィングでのひと時を楽しんだ一行は、帰りのバスの中でも余韻が続き、高校の校歌の大合唱。こうしてこの旅行は快調に翌日、ザルツブルクへ向けてウィーンを後にした。(以下、次号) 

《資料》 
・クアサロン(Kursalon):Wien Com. 
・ヨハン・シュトラウス2世(Johann Strauss II):Wikipedia 
・グリンツイング(Grinzing):Wikipedia 
・ホイリゲ(Heuriger):Wikipedia 

《写真、上から順に》 
・ブダペストにて、背景は、ドナウ川と王宮、中央左が筆者:1988年撮影 
・同期生・熟年還暦でラッククス欧州旅行 携行旅程:2002年6月 
・ウィーン、市民公園(Stadt Park)にて:2002年6月 筆者撮影 
・クアサロンの演奏会とダンス風景: 同上 
・クアサロンの舞台で踊るH君: 同上 
・カーレンベルクの丘で憩うメンバー、背景はウィーン市街とドナウ川:同上 
・ホイリゲのシュランメル・ミュージシャンの音楽を楽しむ:同上 
・ホイリゲで多国籍のお客さんの指揮をするY君:同上