2026.06.01
小野 鎭
一期一会 地球旅 415 オーストリアでの思い出(3) ウィーンにて3
一期一会・地球旅 415
オーストリアでの思い出(3) ウィーンにて③
次は、2005年、以前にも少しだけ書いたことがあるが、「いやしの旅」のウィーンでの思い出についてもう一度書いてみたい。かつて幾度もご案内した旅行好きの方々と私の妹夫妻の家族など含めた20数名のグループ。オーストリアから南ドイツ、そしてスイスのベルナーオーバーラントへ案内した。何時しか、私の得意とするコースになっていたと言えばちょっと大げさだが、バスや鉄道での車窓風景や食事、音楽などが多くの方々に喜んでいただけたことを覚えている。
この時の旅行好きの方々は、車いす使用の方や知的障がいなどで常時見守りが必要な方や食事介助が必要な方もあった。皆様それぞれに家族内で支援されるなどハードな日々を過ごしておられる方も多かったが共通して言えることは旅行好きであり,オーストラリアやアメリカは西海岸だけでなくニューヨークやグランドキャニオンなどへもご案内した方々であった。私の家族や友人とその親しい方々など私の故郷である福岡県の筑豊盆地などからの参加もあり、その中には私の母(88歳)も一緒ということで2名のMedif(医師の診断書)を航空会社に提示することが必要な人もあった。全体では、車いす使用の方3名が含まれており、旅行中はお互いに支援し合いながら各地の風物や食事、美しい風景や音楽を楽しみましょう。そして、旅行中は日ごろのハードな日々から脱して非日常への「いやしの旅」と名付けての旅行であった。
この時の旅行好きの方々は、車いす使用の方や知的障がいなどで常時見守りが必要な方や食事介助が必要な方もあった。皆様それぞれに家族内で支援されるなどハードな日々を過ごしておられる方も多かったが共通して言えることは旅行好きであり,オーストラリアやアメリカは西海岸だけでなくニューヨークやグランドキャニオンなどへもご案内した方々であった。私の家族や友人とその親しい方々など私の故郷である福岡県の筑豊盆地などからの参加もあり、その中には私の母(88歳)も一緒ということで2名のMedif(医師の診断書)を航空会社に提示することが必要な人もあった。全体では、車いす使用の方3名が含まれており、旅行中はお互いに支援し合いながら各地の風物や食事、美しい風景や音楽を楽しみましょう。そして、旅行中は日ごろのハードな日々から脱して非日常への「いやしの旅」と名付けての旅行であった。
成田空港からの出発であったが、前夜、福岡から成田に到着して空港近くに前泊した人も多かった。出来るだけ、ハードな移動や多忙なスケジュールは少しでも避けようと配慮した日程とした。成田からウィーンまで11時間余、長い飛行時間であったが旅慣れている人も多く、機内のトイレなども支障なくご利用いただくことができた。空港から中心街の少し西にあるホテルに向かった。ホテルでは、車いすご使用の方へは、通称バリアフリールームを手配してあったが、クィーンサイズ(大型ベッド)とシャワーのみであった。そして、ツインルームのバリアフリールームはなく、普通室しかなかった。
結局、ツインルームで浴槽付きの普通室に変更してもらい、家族内で入浴介助していただくことを選ばれた。欧米では、ツインルームではなく、大型ベッド(=ダブルベッド)の部屋も多い。ベッドは、クィーンサイズで車いす使用の方はシャワーを優先されることが多い。車いすの方であっても一人で旅行されることも多く、多くは、クィーンサイズベッドとシャワーとなることが多いのかもしれない。ヨーロッパでは、国によっては、バスタブ入浴ではなく、シャワーだけの生活に慣れている人も多い。しかし、日本人は総じてやはり浴槽に浸かることを優先される傾向が強いので日本では、ツインルームの車いす対応の部屋(バリアフリールーム)も多いということが言えるのかもしれない。チェックインが済み、全員が部屋に入られるまでには少々時間を要したが皆さんには夕食までわずかばかりの休憩時間もお取りいただくことができた。少しでも休息をとっていただくことを意識した。しばらくして、夕食。今日は機内食を含めて何回目の食事だろう?
時は7月下旬で日が長く、夕食後もまだ明るく西日が照っていた。元気のある方などが散歩に出たいということで、市民公園まで行ってみましょうということにして地下鉄で出かけた。ホテルからすぐのところに地下鉄の駅があり、ここから6つ先のStadtpark(市民公園)まで20分くらいであっただろうか。駅のすぐ横にはウィーン川が流れている。この川は市街の西の方から流れてきているが中心街では暗渠になっている。この地下鉄は地中にトンネルを掘るのではなく、地面を掘り割って作られているので地表面からはごく浅く、ホームから地上まではエレベーターでほんのわずかである。地上に出ると駅は瀟洒な造りで一つ手前のKarlsplatz駅の旧駅舎とともに19世紀の著名な建築家オットー・ワグナーの設計によるものでアール・ヌヴォー様式の建物として知られている。共にハプスブルク帝国時代の19世紀末期にウィーンの中心街が近代的な町に生まれ変わるときに造られている。
Stadtpark市民公園は市内の中心部でリングと呼ばれる環状通り沿いにあり、その名もシューベルトリングに面している。公園内は芝生と花園や池、そして美しい木立に覆われており、大都市の中心部にあるとは思えないほどの静けさである。ウィーン川はこの公園横では暗渠を解かれておりこの先少し行ったところでドナウ運河にそそいでいる。さすがは音楽の都、園内には著名な音楽家の像が置かれており、特にワルツ王と言われたヨハン・シュトラウス2世はヴァイオリンを弾いている金色の像で知られている。この公園に来た人はこの像の前でポーズをとるとか、グループ写真を撮っている。他にもレハールやシューベルトの像がある。公園を出るとすぐに広場があり、Beethoven Platzとあり、真ん中にベートーヴェンの像がある。ベートーヴェンの像を見上げて広場を通り抜けると大きな建物があり、Wiener Konzerthausとあった。つまり「ウィーン・コンサートハウス」であり、フランツ・ヨーゼフ皇帝の治世下1913年に完成した建物だそうである。現在ではウィーン交響楽団(Wiener Symphoniker)の本拠地となっている。
ウィーンではほとんど毎夜、どこかのホールや教会などで大小の演奏会が行われていると聞いているのでコンサートホールではどうなのだろうと入り口をのぞいてみたところ、今夜も小編成でポピュラーな曲などが演奏されるらしい。ウィーンに限らずヨーロッパではコンサートやオペラは秋から冬にかけて上演されることが多く、夏は国外へ演奏旅行に出かけるとか、音楽家たちが休暇を取っていることがおおい。夏場は旅行者向けのいわばポピュラーな曲の演奏であるとか、比較的気軽に聴ける演奏会などが行われていることが多いと聞いている。この夜のコンサートも言わばそのような演奏会であったらしい。入口の案内者に聞いてみるとまだ当日の入場券はあるし、入場料も多分20ユーロくらい(約3,000円)であったと思う。私たちのメンバーは、本場ウィーンでクラシックの演奏が聴けるとは! そしてみんなで入場することになった。館内は広く、後ろの方は空席がたくさんあり、ステージには2~30席の椅子が置かれていた。係の案内で客席の後部の中ほどに前後2列くらいに分かれて座った。しばらくすると楽団員がステージに登場し、約20数名の構成でそれぞれが楽器を持って構えた。チューニング(音合わせ)が始まり、それが終わると指揮者が入ってきた。そして、聴衆にちらっと挨拶をして演奏が始まった。
当夜のプログラムは残っていないので今となっては不見識で申し訳ないが何の曲だったか覚えていない。比較的短い曲が何曲か演奏されているうちに私の前列のメンバーの頭が次第に前へ傾き、どうやら舟を漕ぎ出したらしい。それとなく見ているとすぐに船は元へ戻るがまた漕ぎ出す。その隣もどうやら似たような状態。私は後ろからそれとなく少しだけ背中を押したところ、はっと気が付いて姿勢が元に戻ったがまたしばらくすると船が出航する!? 前列のメンバーだけでなく、私の隣でも出帆する人が出てきたので内心、弱ったと思い、そっと注意したところ、何とか船は元に戻ったが、どのメンバーも睡魔との闘いが続いているらしかった。無理もない、この日、成田から11時間余りの飛行、そしてホテルへ、夕食とその後の散歩であり、その疲れと睡魔の襲来は何とも致し方ないことであった。公園までの散歩は良かったが、コンサートへの入場はやはり避けるべきであった。舞台で演奏している音楽家たちにもどうやらその様子は遠くからではあったが見えているらしく、ちょっと苦い顔をしているようであった。
演奏の途中で席を立つわけにもいかず、それでも曲が終わると居住まいを正してもらって、何とか休憩時間まで我慢していただいた。そして、休憩時間に私は案内係に訳を伝えてみんなにも承知してもらい、みんなで中座することにした。外へ出ると夕風に吹かれて一気に目が覚め、カールスプラッツ(カールス広場)駅から地下鉄でホテルへ戻った。こうして、「いやしの旅」の第一日目、成田からウィーンまで11時間余、そして7時間の時差もありこの日は31時間、長い一日が終わった。(以下、次号)
《写真、上から順に》
・母 (88歳):2005年7月 筆者撮影
・ホテルのシャワー室はお湯の出も勢いが良く、快適(ミュンヘン・ヒルトン):同上
・ウィーンの地下鉄・Stadpark 駅:Otto Wagner Dokumentation 資料より
・Stadtparkのフランツ・シューベルト像:2011年10月 筆者撮影
・ウィーン・コンツェルトハウス:Wiener Konzerthaus資料より
・ウィーンの地下鉄・Karlsplatz 駅:2011年10月 筆者撮影