2026.06.15 小野 鎭
一期一会 地球旅 417 オーストリアでの思い出(4) ウィーンにて4
一期一会・地球旅 417 
オーストリアでの思い出(4) ウィーンにて4
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ヨーロッパの異常な暑さの思い出を長々と書いてきたが話を元に戻そう。ウィーンではさわやかな夏の思い出が多いが、一度、暑さに参った思い出がある。2006年、高校の同期生の有志で「ハプスブルク家の栄華の跡を訪ねよう」ということになった。高校を卒業して46年、年齢も64~65歳になり、第一線を引退する人も出てきたし、本人もさることながら女性の場合、配偶者は70歳を過ぎる人もあり、人生と時間にゆとりのある人が増えてきたこともあり、女性陣からの声がかなり高かったという理由もあるらしい。還暦ヨーロッパから4年過ぎていた。
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そこで、2006年7月22日から11日間、今回もやはりウィーンに入り、この時は、ここで乗り換えてハンガリーの首都ブダペストに至った。そこで2泊、次いでチェコのプラハとチェスキクリムロフというまさに絵のような街を訪ねた。そこから南下してオーストリアに入りドナウ川を少し下ってもう一度ウィーンに至った。2002年の時の参加者も多く、今回のウィーンは少し趣向を変えたプログラムとした。シェーンブルン宮殿の大広間を見学し、宮殿内の庭園で夕食、その後、宮殿コンサートを鑑賞、翌日、ハプスブルク帝国の要であるホーフブルク宮殿の見学、その後、ベルベデーレ宮殿では、グスタフ・クリムトやエゴン・シーレの名画を鑑賞、夕方、ウィーンを発ち、パリへ向かった。
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ウィーンに入る前に、ドナウ川で世界遺産ヴァッハウ渓谷を遊覧船で下り、船上での昼食を予定していた。チェコのチェスキクリムロフは、昔の古い町が生まれ変わった絵画を想わせるようなたたずまい。中心街のホテルまではバスが入れず、少し離れた駐車場で朝の出発を待っていた。ホテルからは10分近く歩いただろうか、やっと荷物を積み終わり、さあ出発と走り出そうとした瞬間、メンバーの一人がホテルに忘れ物。それを取りに戻るため、20分余り遅れて出発。さらにオーストリアへ出国するため、国境の通関で少々時間超過。結局、大聖堂のあるメルクから遊覧船に乗ることを予定していたが、それに間に合わず、一つ先の船着場シュピーツまでバスで20分余り追いかけた。途中、川を下っている遊覧船を発見、車中から電話で旅行会社に緊急連絡してもらって次の船着場で乗船することができた。結局、メルクの大聖堂も途中の景 勝地もろくに記憶に残らず。乗船時間は当初は2時間以上あり、船上で昼食をいただくことにしていたが、優雅な船上遊覧は予期せぬ寂しいものになってしまった。幸い乗船はできたものの、船上からの景色を楽しむ余裕もなく、船上のレストランへ。結局、世界遺産ヴァッハウ渓谷の文化的景観は、船上レストランの窓から食事をいただきながら横目に景勝地を眺めることになってしまった。もし、これが一般募集のツアーであったとすれば、旅程管理の観点から、禍根を残すことになったかもしれない。
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この日、ウィーンには早めに着いた。宿舎は前回同様、中心街から少し西へ行ったところにあるルネッサンス・ホテルであった。2002年の還暦ヨーロッパで泊まったところでもあったし、私自身は、2005年、いやしの旅でも宿泊しているので個人的にはすっかり馴染みになったところでもあった。この日は、ホテルで一休みして、シェーンブルン宮殿へ出かけた。ホテルからは歩いてでも行ける距離であったが、往路はバスを使った。今回の旅行では最初からかなりの暑さで、どこへ行っても汗を流しながらの観光であるとか、フリータイムであった。昼間の一般観光が終了した宮殿に入ってみると内部はさすがに静かで有難いことに涼しかった。
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ヴェルサイユ宮殿を模したというこの宮殿は、18世紀の女帝マリア・テレジアが大改造させて今の姿になったという。外部はバロック様式でベージュ色に美しく彩られているがこの色はテレジアン・イエローと呼ばれている。専任のガイドからこの日のメインである大広間(Great Gallery)について説明があった。ウィーンでも観光客の入場がもっとも多く、年に400万人もの見学者があるそうで昼間はグループとして動くこともままならず、最近ではイヤフォンをつけてガイドの説明を聞くことが多いが、夕方のこのツアーではその必要はなかった。壁には見事なシャンデリアがホール内を優雅にそして明るく照らしていた。総部屋数1,400を超える宮殿の中で最も豪華な大広間(Great Hall)。壁には中米から取り寄せた紫檀が使われ、金箔の額に入れられたペルシャの細密画が飾られ、天井には見事な壁画が描かれている。19世紀に入ると神聖ローマ帝国は崩壊したがウィーンはなお、ハプスブルク帝国の都であり、この宮殿は世界史の舞台であり続けた。1814~1815年には、ナポレオン失脚後のヨーロッパの秩序を保つためのウィーン会議が連日行われたが、列強の主張が容易には結論を見いだせず、「会議は踊る」の言葉が使われたという。1961年には、アメリカ大統領ケネディとソ連の最高指導者フルシチョフによる歴史的な会議が行われた。
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余談であるが、宮殿内には、シェーンブルン宮殿グランド・スィートがあり、宿泊することができるとのこと。この部屋は、4名まで宿泊可、窓からは、プライベート・ガーデン、ネプチューン噴水、グロリエッテなどが眺められる。 また、宮殿本館の3~4階には、賃貸アパートメントがあり、公務員などに利用されているという。外観は壮麗な宮殿であるが、居住室内部は現代的な住宅として使えるように改造されているとのこと。手紙などの宛先は、シェーンブルン宮殿内00室ということになるのであろうか。 

そういえば、ヴェルサイユ宮殿でもル・グラン・コントロレ(Le Grand Contrôle) として宿泊案内が見られる。こちらは宿泊料もかなりの金額であるが、何世紀もの歴史を持つこのような宮殿などでも建物などの一部は一般利用ができるとか、宮殿の維持費の捻出のためにも工夫されているということであろうか。(以下、次号) 

《資料》 
シェーンブルン宮殿大広間(Great Gallery):NPO法人 世界遺産アカデミー発行 すべてがわかる 世界遺産1500下
シェーンブルン宮殿グランド・スイート:Schloss Shönbrunn Grand Suite資料より 
ヴェルサイユ宮殿ル・グラン・コントロレ(Le Grand Contrôle):Château de Versailles Le Grand Contrôle 

《写真・上から順に》 
・ハプスブルク家の栄華の跡を訪ねる旅 携行旅程 
・チェスキクリムロフ:2006年7月 筆者撮影 
・ヴァンハウ渓谷案内図:Strecken Plan Wachau 資料より 
・ヴァッハウ渓谷遊覧船の船上レストランにて:2006年 筆者撮影 
・シェーンブルン宮殿外観:2010年 筆者撮影 
・シェーンブルン宮殿グランド・スイート:Shönbrunn Grand Suite資料より