2026.10.26 小野 鎭
一期一会 地球旅 一期一会・地球旅 436 フランス逍遥(6) 南仏・ニースにて5
一期一会・地球旅 436
フランス逍遥(6) 南仏・ニースにて⑤
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ニースに行く度に不思議に思うことがあるので調べてみた。この町の目抜き通りは海岸に沿った美しい遊歩道もふくめて「Promenade des  Anglais=プロムナード・デ・ザングレ(英国人の散歩道)」と名付けられている。コートダジュールを代表する都市のひとつであるニースの目抜き通りがなぜそのように命名されているのか、疑問があった。中世から領土争いや100年戦争、世界中の植民地を巡る争いなど、フランスとイギリスは仲が悪いとはよく言われる話であるのに、ニースにこのような呼び名があることを不思議に思っていた。
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そこで、今回、改めて調べてみた。18世紀後半(産業革命が起きたころ)からイギリスの貴族や富裕者たちは冬をニースで過ごし、海岸沿いに散歩しながらパノラマを眺めることを楽しんでいた。18世紀から20世紀初頭にかけて英国は、大英帝国と言われる世界でもっとも力を持った国であった。ところが1820年の冬は寒さが厳しく、寒さに耐えかねて南仏ニースにはたくさんの物乞いたちが押し寄せた。イギリス人の中には、この物乞いたちに散歩道の整備と建設に彼らを従事させ、ニースのアングリカン(英国国教会)のトリニティ教会の牧師ルイス・ウェイと信徒たちから資金が提供され、事業が拡大されてこの散歩道が完成したとのこと。そこで、この海岸道路は「英国人の散歩道」と名付けられたのであった。
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そこで、道路の命名については納得したものの、もう少し調べてみた。当時、ニースは未だフランスの領土ではなく、イタリアの一部であった。ニースは、1860年にフランスへ編入される前、古代ギリシャの植民都市に始まり、ギリシャ人の勝利の女神ニケに因んで「ニカイア」と名付けられた。その後、ローマ帝国の支配下に入った。やがてイタリア側のサヴォイア公国に入った。そのような歴史的な背景があって政治的・文化的にイタリア半島側とのつながりが深く、言語や建築、食文化には今もイタリアの名残が多く残っている。さらにサルディーニア王国(イタリア)の一部となり、イタリア語圏の雰囲気を強く持つ都市であった。1860年にトリノ条約と住民投票を経て、フランスに割譲された。つまり、ニースの海岸通りが「英国人の散歩道」と名付けられたころはフランス領土ではなく、イタリアの一部であったことになる。なお、サルディーニア王国は北イタリア地域に18世紀から19世紀にかけて存在し、後にイタリア統一の中心となった君主制国家であった。オーストリアとの戦いなどを経てイタリア半島の諸地域をまとめ上げ、1861年にイタリア王国へと発展した。 

今では、プロムナード・デ・ザングレは単にプロムナード、略して、ラ・プロムと呼ばれるようになっているとのこと。特に日曜日は、自転車に乗る人、ベビーカーを押す人、家族連れに人気があり、スケートボーダーやインラインスケーターにも人気のスポットとなっていると近況が紹介されている。 
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もう一つ、ニースの大通りで興味深いところがある。前述のプロムナードは、西はコートダジュール空港、東は旧市街の海岸部分にある「Quai des États-Unis エタ・ジュニ通り(アメリカ合衆国通り)」という名前になっている。なぜ、ここにアメリカ合衆国通りという名前が?と不思議に思い、これも調べてみた。第一次大戦におけるアメリカの参戦とQuai des Etat Unis エタ・ジュニ通り(アメリカ合衆国通り)」フランス(連合国側)への支援に感謝を込めてQuai des Etat Unis=アメリカ合衆国の海岸・波止場と敬意を表して名付けられたという。つまり、有名なプロムナード・デ・ザングレ(英国人の散歩道)の東側に続く延長線上にイギリスに続いてアメリカとの歴史的な繋がりを示す象徴的なスポットとなっている。
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ニースについて後日譚がある。ニースは、国際的な冬のリゾート地として発展してきたが2021年に、「ニース:リヴィエラの冬のリゾート都市」としてユネスコの世界文化遺産として登録されている。フランス南部の地中海に面して位置するニースは、アルプス山脈に近いという立地条件の影響を受け、冬のリゾート都市として発展してきた。18世紀中ごろからニースの温暖な気候と絵にかいたような美しい景観に惹かれた英国人を中心とした貴族や家族が冬をニースで過ごすようになった。この町は1860年以前まではサルディーニア王国、その後フランスに属したが、当初からヨーロッパ、そして世界各国から冬の観光客が大挙して押しかけ、主に建築分野において多様な文化が交流する文化のるつぼとなった。特に英国、イタリア、フランス、ロシアなど様々な国の文化の融合が顕著に見られる。その結果、ウインターリゾート地としてコスモポリタン的な性格を表現するデザイン、装飾が生まれた。
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最後にもう一つ、2014年に私たちが宿泊したホテルは、Hotel West Endであった。上記のプロムナードに位置しており、1842年、創業とある。「West End」とは、イギリスの首都ロンドンにおける地区の呼び名であり、金融街であるシティを中心としてその西側がウエスト・エンド、東側がイースト・エンドとなっている。ウエスト・エンドは言わばロンドンの中心街と言ってよい地域であろう。この地域には、非常に多くのアトラクションが集中しており、単にウエスト・エンドと言った場合、何を目的にするかで幅が出てくる。例えば、映画・劇場の場合はレスター・スクエアやコヴェント・ガーデンの辺りを指すことが多い。ショッピング・エリアとしてはオックスフォード・ストリート、リージェント・ストリート、ボンド・ストリートなどが中心になってくる。また、トラファルガー・スクエア(ナショナル・ギャラリー)、トテナムコート・ロード(大英博物館の最寄り駅)、ソーホーも含まれており、美術館やギャラリーも多い。
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ニースのホテル・ウエスト・エンドが創業された1842年ごろは大英帝国が繫栄している時代であり、イギリスの貴族や富裕者が冬はニースなどコートダジュール地域で避寒・保養していたことを考えると、このホテルが建てられた当時、英国からの保養客などを意識してそのように命名されたのではないだろうか。ただし、これは、私の個人的な想像であり、ホテルに確認した訳ではないので予めおことわりしておきたい。(以下、次号) 

《資料》 
・Promenade des Anglais=プロムナード・デ・ザングレ:Wikipedia 
・ニースの歴史:歴史の窓 & Wikipedia 
・Quai des États-Unis= アメリカ合衆国通り:Wikipedia 
・ニース:リヴィエラ冬のリゾート都市: すべてがわかる世界遺産1500下巻 NPO法人 世界遺産アカデミー発行 
・大英帝国:宇津木愛子著 大英帝国2.0 鳥影社発行 $ 君塚直隆著 ヴィクトリア女王 中公新書発行 

《写真、上から順に》 
・Promenade des  Anglais=プロムナーデ・ザングレ:2014 K. Ono 撮影 
・1820年のニース・トリニティ教会:HTN Church 資料より 
・1848年のイタリア王国におけるニース:Age of the Sage資料より 
・Quai des États-Unis エタ・ジュニ通り(アメリカ合衆国通り)」:Office de NiceCôte d’Azur資料より 
・ニース:リヴィエラの冬のリゾート都市:UNESCO World Heritage 資料より 
・ウエスト・エンド・ホテルにて:2014年 撮影 
・19世紀後期のロンドン・ウエスト・エンドの劇場:Londonist 資料より