2014.05.07
小野 鎭
小野先生の一期一会地球旅③「初めての世界一周」
初めての世界一周
小 野 鎭
航空便や運賃に関して「RTW」という業界用語がある。Round the Worldの略で世界一周を指している。RTWの規定は定かではないが、欧州とアメリカ大陸が含まれている場合はもちろんそうであろう。それ以外にも様々なRTWのかたちがあることは言うまでもない。つまり、「地球一回りすること」を指しているといってよいであろう。 前置きはそのくらいにして、私の場合は初めてのRTWは、1969年6月10日から7月14日までの35日間、海外医療事情視察団、全国の県立や市立など公立病院の医師、放射線や薬剤などの技師、管理者など総勢61名、病院がいくつかできそうな顔ぶれであった。2班に分かれて日本から欧州まで、欧州から米国大陸まで、そして太平洋区間は合同であったが、それぞれの大陸内では別々に動いた。私が受け持ったのは半分より少し少ない25~6名様であったと思う。もう1班の添乗は先輩社員であった。 ところが、この旅行の経路と航空便の詳細は分かるがそれ以上の細かいところがわからない。残念ながら、携行旅程を紛失しているためである。第1回目から今日まですべての添乗経験について団体名、旅行期間、旅行先、人数などを記録してきたことを以前に書いたが、「携行旅程」も保管していることも述べた。 これには、旅行日程、視察先、ホテル名のほかに、お客様の氏名、住所、勤務先または所属先役職名、電話番号など個人情報も列記されていた。一般募集の団体旅行では、このような個人情報は同じ旅行団内でも公表することは無いであろう。しかしながら、視察や研修、国際会議などの専門家グループの旅行は旅行会社が参加者を募集するのではなく、社団法人や財団法人など関係団体が参加の会員などに呼びかけて参加者を募り、その上で団が構成されるというのが一般的であった。旅行に先立って団員がそろって説明会も開催され、お互いに事前に顔を合わせるのがふつうであった。従って、携行旅程には前述したような個人情報が含められるのも当時としては極めて一般的であったといってよいであろう。 この「携行旅程」は今となっては、その内容からいっても私にとっては大切な宝物である。この携行旅程を次々に綴じては、添乗ごとにそれをまた携行して、それまでにご案内したお客様や主催者様(オーガナイザー)に旅先から絵葉書を書くことを常としていた。 この絵葉書作戦は、好評であった。航空便で送るが通常は1週間以上、どうかすると数週間後に配達されることもある。帰国後にお受け取りいただくこともあったが海外にあってもそのお客様のことを気にかけてくれているのだ、と喜ばれたのであろう。ところが、その冊子をある旅行中にどこかのホテルに置き忘れてしまった。 第1回から23回まで(1971年9月まで)が含まれており、痛恨の極みである。個人情報が含まれており、今ならば新聞沙汰にさえなりかねない失態である。これらの団体のお客様はお名前はじめ貴重な情報が残っていないのが何とも残念であり、申し訳ない思いである。 携行旅程の話題が長くなってしまったが、第1回目の旅行日程は、それでも当時の添乗記録から以下のルートであったことがわかる。羽田から日本航空でアンカレッジ経由デンマークのコペンハーゲンへ向かった。 3文字略語(スリーレターコード)で示すと次のようになる。 TYO-ANC-CPH-STO-AMS-LON-FRA-MUC-VIE-ZRH-MIL-VCE-ROM-MAD-PAR-NYC-WAS-CHI-LAS-LAX-SFO-HNL-TYO、つまり当時の医療先進国で代表的な都市を巡り、多分10数か所で有名病院などを見学し、一方で市内見学も楽しんでいただいた。何ともすさまじい日程である。 病院見学では、現地在住の通訳がいればよかったが、見つからないときは日本人商社マンの夫人や学生など現地語または英語の上手な人に通訳として来てもらった。しかしながら、20数名に対して1名の通訳では、なかなかむつかしく、さりとて院内で大きな声を出すわけにもいかない。お客様にしてみればそれぞれ専門分野を見たり、質問したいという個人的な希望は叶えてもらいにくく、満足いただけないことが多かった。また、通訳とはいっても医学や医療の専門語がよくわからず、先生方からは専門語は無理して訳さなくても良いから原語のまま言って欲しいといわれることもたびたびであった。 添乗員は、もっぱら人数を数えたり、病院に持参する記念品を運んだり、案内してくださる先方の医師など関係者の名前を書きとったり、資料集めなどいわば裏方若しくは便利屋としての役割を受け持っていた。この視察団で経験した病院や障害者施設などの専門視察の通訳や案内の要領については、その後、添乗の回数を重ねるごとにもっとうまくやることはできないのかと、考えるようになった。つまり、あらかじめその分野について勉強しておくとか、専門語もかじってみようとか、もっとうまく見学できる方法はないのか、通訳は自分でやることも可能ではないか、むしろ、自分でやった方がうまくいくのではないかという思いを抱くようになっていった。- 数次旅券
- 米国査証
- 外貨購入許可
- 検疫証明(Yellow Book)
写真は、上から、アムステルダム コンセルト・ヘヴォウ管弦楽団 ホール前にて
サンフランシスコで先輩社員と
ハワイ・ホノルル パンチボールにて
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