2015.01.20 小野 鎭
小野先生の一期一会地球旅㊴「海外医療事情視察団に添乗して(その4)」

一期一会 地球旅 39

海外医療事情視察団に添乗して、その4 こぼれ話(2) ロンドンは鬼門?

添乗業務で気がかりなことはたくさんある。 ざっと挙げても、先ず、お客様の旅の安全、旅券や金銭など貴重品の管理、交通運輸機関の円滑な運行と運航、ホテルやレストランなどが予定通り確保されていること、お客様の健康管理、視察や観光がスムーズに行われること、その他諸々、数え上げればきりがない。そして、毎回、無事運ばれるようにと願っているのが手荷物(スーツケースなど)である。航空便で旅客と同様にうまく運搬されることを願っているが、陸上に於いても気を緩めるととんでもない失態を演じ、お客様には大変なご迷惑とご心配をおかけすることになる。それを紹介させていただこう。 荷物が行方不明 その1 これはロンドンで苦労した話、しかし、これは誰を責めることも出来ない自分の犯したミス。恥を承知で書かせていただきます。 今風に言えば、(T_T)
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海外医療事情視察団は回を重ねるごとに、他の団体もたくさん経験していたことも含めて、次第に添乗業務に慣れてきて、行き慣れた国や都市は勿論、馴染みのホテルや観光地、親しみのもてるレストランなどお馴染みのところも増えてきて、たとえ初めてのところであってもドキドキするよりは楽しみの方が多くなっていた。そんなホテルの一つがロンドンのロイヤル・ランカスターホテル。ハイド・パークに近い位置にあり、なかなかご機嫌な居心地であった。昭和50年(1975年)7月2日の朝、ロンドンでの滞在を終えて、この日は、ドイツのベルリン(当時は西ベルリン)へ向かうべく、空港への出発に備えて荷物を出し、お客様にはロビーで待機していただいていた。自分を含めて28人であったので、荷物は30個近くあったと思う。 ポーターはすでに各部屋から荷物を運び出してホテルの玄関わきに集めて、空港までの貸切バスの到着を待っていた。待つほどもなくバスが来た。運転手に全体の個数なども伝え、彼は座席下のトランクに荷物を積み込み始めた。それを確認して、ロビーで待機中のお客様に声をかけてバスにお乗りいただいた。全員が乗車されて人数確認、貴重品や忘れ物は無いでしょうか、などと確認してヒースロー空港へ向かった。空港に到着して、Sending Assistant(送迎係)にお客様をベルリン行のカウンターに案内させる一方、ポーターに荷物を手押し車に積み替えさせてチェックイン・カウンターに向かった。当時は、団体として搭乗手続きが行われていたので、全員の航空券を航空会社の係員に手渡して搭乗券をもらう一方、グループ全体の荷物の個数確認と重量の計量を行い、クレームタッグ(荷物の送付札)をそれぞれにつけて預けるのが一般的な流れであった。ここで、ミスが発覚した。荷物が一個足りない。ホテルの玄関先では間違いなく全員の荷物を確認しており、バスから降ろした時も間違いなく全部出したことを確認している。しかしながら、この時に個数を数えていなかったことがミスの発覚を遅れさせることに繋がっていた。見つからなかったのは、N先生の夫人の荷物であった。どこで紛失したのか、目の前が真っ暗になる思いで、必死に流れをたどってみた。 そこで思いあたったことは、ホテル出発時にほとんど同じ頃、もう一つ別のグループがあり、荷物が出されていたこと、そのすぐ後ろに別のバスが居たことである。もしかすると、あのバスの運転手が間違えてこちらの荷物を積み込んだのかもしれない? 気が動転しながらも、送迎担当員と手分けしてホテルへ電話を入れた。そのグループの動きとロンドンでの手配会社を調べること、彼らの今日の動きが肝心であった。数分間が数時間にも思えるような待ち時間、やっとわかったのはそのグループ(米国人の団体)は、デュッセルドルフへ向かうらしいということであった。空港内でずいぶん調べたが、ヒースローは当時も世界有数の大空港、発着便も多く、容易に探すことはできなかった。こちらの出発時間も迫っており、止む無く、向こうの会社には万に一つの可能性を願って、わかり次第情報を送ってほしいと頼んで、ベルリンへ向かった。この時の機内で味わった無力感と申し訳なさ、このときほど自分の無責任な仕事ぶりを悔いたことは無かった。 ベルリンについて、一個不足の団全体の荷物を間違いなく確認し、税関検査を受けて外に出た。そこにはベルリンの送迎担当が待っていた。開口一番、何かロンドンから連絡は来ていないか、と尋ねたところ、N夫人の荷物は間違ってDUS(デュッセルドルフ)へ運ばれており、ベルリンへ転送されるとのことであった。 一気に、体中の力が抜ける感じであった。N夫妻にご心配とご迷惑をおかけしたことをお詫びし、経過を説明した。N夫妻は満面に笑みを浮かべて喜んでくださり、団全体からも大きな拍手があった。午後の観光を終えてホテルへのチェックイン、今度は間違いなくすべて手順通り済ませた。その後、夕食までの寸暇を縫って、テンペルホフ空港へ行き、間違いなくN夫人の荷物を受け取った。ホテルへ戻るタクシーの中で感じた安堵感と嬉しさは今もはっきり覚えている。 荷物が行方不明 その2
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これもロンドンでの話、しかし、これは降ってわいたようなトラブルであった。昭和51年(1976年)、このころは、海外医療事情視察団は、2日間短縮されて31日間、但し、欧州のみであった。というわけで、中・南・北欧など9ヶ国を回った。旅も終わりに近づき、ノルウェーのベルゲンで医療視察とフィヨルド探勝を終え、フェリーで北海を渡って英国のニューキャッスルへ上陸、その後、エディンバラを訪れた。この前後の数年間はロンドンではもっぱら包括的にNHS(英国国民保健事業)を学ぶ一方、スコットランドや中部イングランドで地域医療を学ぶことが多かった。この時は、エディンバラでの視察を終えて午後の鉄道で大ブリテン島をまっすぐ南下してロンドンに向かった。 夕方8時にロンドンのユーストン駅に到着して市内中心部、チャーリングクロス駅に近いストランド・パレスホテルに入ったのは9時近くであっただろうか。真夏のことであり、陽はまだ高かった。お客様をホテル内のレストランに案内して夕食を召し上がっていただく間にチェックインして、スーツケースの名札に各部屋番号を書き、ポーターには各部屋に届けるように指示した。一般的には、ホテル側で予め作成されているルーミングリスト(部屋割り表)を確認して、部屋割りなどに変更が無ければをポーターはそれに従って荷物を各部屋に運ぶのが普通のやり方である。しかし、自分は、過去のいろいろな経験から荷物には通しの番号を付していた。自ら部屋番号を書き写して、類似の名前があったりしたときも名前の読み違いなどが起きないように、この部屋割り表と荷物の通し番号を照合すれば誤配や紛失の場合も探しやすい。この日も、自分でスーツケースの名札に部屋番号を書いて、ポーターにはお客さまが食事を終えられるまでには配り終えておいてほしいと指示した。7月中旬、緯度の高い英国とはいっても流石にこの時期は暑かった。欧州のホテルは古い建物が多く、暖房はしっかりしていても冷房は付いていないとか、あってもあまり効いていないことが多かった。この日は長い移動の後であり、旅も終わりに近づき疲労も蓄積してきていた。シャワーを浴びて早く休んでいただきたいと思ったのである。
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夕食が終わった。皆様にも部屋割り表をお渡しし、「おはようカード」に書いた明日の予定を説明して、「お疲れ様でした、明日も元気でお会いしましょう!」と挨拶して解散した。ポーターからはすでに荷物は配り終えたという報告を受けていたので、自分も遅れて食事を済ませて、10時過ぎに部屋に入ったであろうか。それからいつもやっているように、お部屋は異常ないでしょうか、荷物は届いていますでしょうか? とご機嫌伺いの電話を各部屋に入れた。一行のうち、S先生から、同室者の荷物はあるが自分の荷物は届いていない、との厳しいご返事をいただいた。そこで、慌ててポーターにもう一度、確認しに行ったところ、やはり全部の荷物は運び終えており、間違いない、との報告であった。チェックインした時に荷物は間違いなく確認しており、誤配としか考えられない。しかしながら、ポーターは絶対に間違っていないと、一歩も譲らない。 通常は、荷物は廊下の各部屋のドアの前に置かれることが多いが、ニューヨークやシカゴのようなアメリカの大きな町、ロンドンなどは、保安上から、ポーターが合い鍵を使って、部屋の中まで届けておくことが多い。というわけで、廊下には勿論無かったし、メンバー全員の部屋にも誤配は無かった。ツインルームであり、二人のお客様ゆえ、荷物も二個は配達するはずであり、一つしかないことはおかしい?とは思ったがポーターも間違いはないと主張するのでお手上げであった。 誤配であれば、お客様は誰であれ、自分の荷物ではないと知らせてくださるはずである。 その日の空き部屋に間違って配達したのではないかと思いついてポーターにそのことを伝えた。その上で、ポーターを促して一緒に空き部屋をチェックして回った。結局、S先生方の隣の部屋が夕方になって取り消されており、その日は空室であったことが判明、開けてみたらその部屋に探していた荷物が置かれていた! というわけで、ポーターが間違えて隣の部屋に届けたことがわかった。この事実が判明して初めて、「It’s my fault, I am sorry!」と詫びた。日本のホテルや旅館ではこのような失礼な態度はまず考えられないし、このような場合は、
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支配人かフロントマネジャーが詫びに来るであろう。しかし、欧米人は、歴然とした間違いが証明されない限りは、自分の責任ではない、と容易には謝らない。文化の違いというのはこのようなこともいうのであろうか。この時ほど、それを感じたことは無かった。超高級ではないが、老舗ホテルであるこのStrand Palaceは今も堂々とした佇まいであり、このホテルの前を通るたびに荷物探しをしたあの思い出が蘇ってくる。 ロンドンでは、他にも自ら招いたうっかりミスがあり、これも忘れられない思い出である。さながらロンドンは、私にとっては「鬼門」の感があるが、勿論、悪い話ばかりではない。いずれにしてもこれらは、別の機会に紹介させていただくことにしたい。 (資料 上から順に) Royal Lancaster Hotel, London  (資料借用 但し、これは当時よりも改築後らしい) King’s Fund Centre & IHF(英国国民保健事業について聴講と国際病院連盟表敬訪問) おはようカード(翌日の出発に備えての時間などを書いたメモ:各部屋に配布) Strand Palace Hotel, London (1980年前後の様子)

(2015/1/19)

小野 鎭